・・・ユニバーサルデザインの家・・・
10,住み心地 |
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1,はじめに 勤め人を辞めた金さん&和さんの熟年夫婦が、都会の喧噪におさらばしてカントリーライフをはじめました。利根川河畔にあるこの町は和さんの生まれ育ったところです。自然のいっぱい残っているこの土地で、お米や野菜を作りながら仲良くカントリーライフを楽しんでいきたいと思います。金さんが二度目の脳出血の後遺症で車椅子の生活になったのが10年前の1994年のことです。 車椅子の生活にもすっかり慣れました。 しかし、車椅子で楽しいカントリーライフをするには住宅などの環境整備がかかせません。そのため、いつかバリアフリーの家を建てようと相談してきました。 勤めている間、東京まで往復120キロの遠距離通勤を長年(和さんは40年、金さんは32年)頑張ってきたのですから、退職して自由人になったこの機会に、「ごくろうさん」と自分たちで自分たちにご褒美をあげたい、という思いもありました。 一方、日本の高齢化は世界に例を見ない程進んでいると言われています。金さん&和さんが住んでいるこの町でも80歳を超える高齢者がたくさんいます。金さんの故郷長野県の山村(町になっていますが)でも、若者は少なく80歳を超える高齢者が大勢畑に出て働いています。 2015年になると、国民の4人に1人が65歳以上の高齢者になるといわれていますが、金さん&和さんも2015年には70代になっているので決して他人事ではありません。 わが国でも高齢者や障害者などへの施策としてハートビル法が制定されています。公共の建物や人が大勢集まる建築物のバリアフリー化が目に見えて進んでいるのは嬉しいことです。でも、これらの動きは、まだ国内のあちらこちらに点として存在するに過ぎません。その「点」が全国に広がり「面」となったとき、はじめて日本はバリアフリーの行き届いた国、ノーマライゼーションの実現している国といわれるようになるでしょう。 そんなことを意識しながら、遅ればせながらではありますが、いよいよ自分たちの家をバリアフリーの家にする順番がやってきたようです。 ※ ハートビル法 アメリカでのADA(アメリカ障害者法)の成立がきっかけとなって、日本でも建築物のバリアフリー化を目的とした法律が1994(平成6)年につくられた。高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(通称ハートビル法) である。その後の進展を踏まえ、建築物のバリアフリー化をもっと進めるべきとして改正がなされ、03年から新築では一部が義務化され、加えて特定多数が利 用する事務所や学校、共同住宅などにも努力義務が課された。建築条例による上乗せを認めたので、先進的自治体ではいっきに変わる可能性が出てきた。 ( 現代用語の基礎知識 ) ※ ノーマライゼーション 等生化。等しく生きる社会の実現。障害のある人も、一般社会で等しく普通に生活できるようにすること。障害者も普通に生活を送る機会を与えられるべきであ るという、新しい福祉の考え方を提唱する語であり、今後重要な概念になると考えられる。「共生化」とも言い換えられるが、人間と野生動物との共生、多民族 間の共生など、意味が広くなり過ぎる問題がある。 ( 現代用語の基礎知識 ) 2,どんなバリアフリーの家にするか? 自分たちの家をバリアフリーの家にするにあたって、金さん&和さんが描いた構想は次の通りでした。 @ 自分たちの高齢化が進んでいるので平屋の家にしたい。 A 車椅子の生活をする金さんに便利な構造にしたい。 B 浴室、トイレのバリアフリー対策は特に重視する。 C 太陽光発電を取り入れオール電化で環境にやさしい家にしたい。 D 床の段差が無い家にしたい。 E 厨房は火を使わないIHクッキングヒーターにしたい。 F 雨戸は屋内で開閉できる電動シャッターにしたい。 G 電動車椅子で雨の日も濡れないで車に乗れるようにしたい。 H 使いやすいパソコンルーム(書斎)を持ちたい。 I 収納スペースを広く取りたい。 J 薪ストーブのある家にしたい。 K ユニバーサルデザインに配慮した家にしたい。 ※ J の薪ストーブはオール電化の構想に反するのと経費の面でも高いで削ることも考えました。しかし、平屋でこぢんまりした家です。薪ストーブと煙突のある家を建物のアクセントにして若い頃からの夢を実現させようと和さんと相談して実現しました。 3,誰に建ててもらうか?・・成功した工務店を選び どんな家にしたいか構想が決まると、どこの建築会社(工務店)を選ぶかが次の大問題です。 三十数年前に今まで住んでいた家を建てたときには、建築資金のほとんどを借金(ローン)でまかないました。また、その時は住宅について情報不足もあったので、住宅展示場を幾つか見てからプレハブ住宅を全額ローンで建てられるミサワホームに決めました。 その時の経験から、今度は大手の建築会社に頼んで規格品を建てるのはやめにしました。そして、地元埼玉県の建築会社(工務店)に頼んで、ここの土地と金さん&和さんの構想にあった家を建てることにしました。それには金さん&和さんの意見を十分聞いてくれるのは当然ですが、この土地を見て、斬新なアイデアを盛り込んだ家の建築をしてくれる工務店を選ばなければなりません。「家は三度目でやっと自分の思ったように建てられる。」というほど、家づくりは難しいことなのですから。 建築会社との付き合いは新築の時だけの付き合いで終わりはありません。建築後のメンテナンスがより大事なことだと思います。その点、地元の建築会社と懇意になっておくのが良いだろうと、和さんと相談して、インターネットで見つけリフォームをお願いしたことのある白石工務店を第一候補に、話しを聞くことにしました。 白石工務店は幸手市にある有限会社です。前にお願いしたリフォームの時(床のフローリングへの張り替え、手すりの設置、ウッドデッキの設置、スロープの設置など)には若い弟さんが担当しましたが、新築を担当するのは兄さんの専務(三十代の若手)でした。 家のリフォームの後、専務の弟さんとは時折メールのやり取りをしていました。それが縁で同工務店が主催する見学会などにも和さんと参加していました。見学会に参加して弟さんだけでなく、兄さんの専務や専務の奥さんとも顔見知りになっていました。 家で専務に直接話しを聞いて「信頼できる工務店」だと心証が得られれば、他の工務店を呼んで話を聞くまでもなくお願いする腹づもりでした。 専務はは年齢よりも落ち着いていて頼もしく見えました。専務の奥さんもなかなか前向きな人で積極的に仕事に取り組む感じのいいひとです。リフォームで同工務店にお世話になってから、定期的に「住まいの瓦版」という手製の情報誌を作り家に送ってくれていました。また、時々ホームウェルレディーと呼ばれる職員が届けてくれることもありました。 建築会社(工務店)の仕事も待っているだけで仕事が取れる時代ではありません。 お客さんを積極的に開拓していく時代です。顧客の開拓には社員の人柄が重要な要素になります。白石工務店専務のぼくとつとした話しぶりは、好感が持てました。また同工務店で住宅に関連する情報の提供を工夫している専務の奥さんの役割も、建築会社(工務店)を決める要素の一つになりました。 後でわかったことですが、同工務店は金さんと同年配の社長の下で社長の息子の専務、専務の奥さん、専務の弟さんなどが、建築の相談や宣伝に当たっています。 大利根町の金さん&和さんの家に専務がたびたびみえるようになって、専務の人柄や会社の全体像が解ってきました。だんだん会社の姿勢や健全に経営されていることがわかり、白石工務店に建築をお願いすることに決めました。 白石工務店は ホームウェル幸手 有限会社白石工務店 です。 ※ 白石工務店 のホームページ http://www.shiraishi-koumuten.com/ トステムホームウェルのホームページ http://www.homewellfc.com/ 4,若い専務にすべてを託す!・・施工主と工務店の十分な話し合い 建築に一番大事なのは施工主と建築会社(工務店)との十分な話し合いができることだと思います。 金さん&和さんもバリアフリーの家の漠然とした構想は持っていましたが、具体的な構想ができていたわけではありませんでした。 白石工務店の若い専務も「腕の見せ所」と頑張ったようです。白石工務店は過去にバリアフリーの家をたくさん建てた実績のある会社ではないようでした。ただ、新築の他にリフォームなどをたくさん手がけているうちに、高齢者や障害者の住む家はそこに住む人に応じたバリアフリーの家が必要なことがわかっていたようです。金さん&和さんのバリアフリーの家を建てることになり、若い専務もやりがいを感じているように見えました。バリアフリーの家について、関連の本を買うなど情報を集めていろいろ研究しているようなところに、それが見受けられました。 また、施工主である金さん&和さんと工務店の専務の間で十分な話し合いが行われました。金さんもかなり個性のある車椅子生活者です。設計図が出来上がってからも話し合いの結果結構大きな手直しもしました。個人にとって家造りは一生の間に一度あるかないかの大きな事業です。金さん&和さんも終の棲家にしようと建てる家です。住宅の隅々まで自分たちが納得した家にしたいと考えていました。(写真は白石工務店専務) ※ 2007年この若い専務が白石工務店の社長になっています。 5,太陽光発電と薪ストーブ? 太陽光発電を取り入れオール電化の家にストーブは似合うだろうか?は金さん&和さんの間でも議論になりました。見積書ができて予定の金額がも最初のもくろみとかけ離れていたときは正直止めようか?とも思いました。 しかし、最後まで諦めなかったのは夢を追い求める少年(?)の意地だったと思います。 6,古い家の取り壊しと土地の整理 今まで住んでいた家は金さん&和さんが結婚したときに土地を分筆してもらい建てたものです。子供が生まれておばあちゃん(和さんの実母)が家に同居することになり、和さんが子供の頃住んでいた古い母屋が空き家になりました。約千二百坪ある屋敷内は、古い母屋が建っている宅地、金さん&和さんが建てた家が建つ宅地、田、畑、山林と登記簿の上でも入り交じっていました。 そこで、バリアフリーの家を建てるこの機会に、分筆して使いにくくなっていた登記簿上の宅地、田、畑、山林を、利用しやすいように整理しようと和さんが発案しました。これはこの土地に生まれ育った和さんの強い意志でした。面倒な手続きを息子の代に持ち越さないでおこうという親心もあったようです。 問題は、この土地が市街化調整区域にあるので、農地を宅地へ転用するには県知事の許可が必要なことです(窓口は農業委員会) 。そこで、町内の土地家屋調査士に依頼して、測量と町の農業委員会を経由して県知事の許可をもらう手続きを和さんがやりました。 これらの事前の仕事は2002年、2003年にやりました。金さんが車椅子の生活で現場に出て行けないため、和さんがすべてに立ち会いこれらの仕事をやり遂げたのは立派だと思います。 古い家の取り壊し 整地の工事 ※ 市街化調整区域 都市計画法に定める都市計画区域のうち、市街化が抑制される区域。宅地造成などの開発は原則として制限される。 ※ 農業委員会 市町村農業委員会・都道府県農業会議・全国農業会議所の3段階組織で構成される行政委員会。農業委員会は地域農業振興に関するさまざまなことを行えるが、実際には農地の権利移動の許可、地域農業の振興計画策定などが主要業務である。農地の効率的な利用を図るため、すぐれた経営に所有権、利用権が集積するよう斡旋(あっせん)することも期待されている。 7,地鎮祭 2004年2月15日地鎮祭の日です。気温が低く寒い日だったので、和さんと息子に任せ金さんは家の中で窓を開けて参加しました。二回目の脳出血で寒さには特に弱くなっていたので、無理をすることはないと和さんも言ってくれました。 地鎮祭に用意するものは、あらかじめ工務店の専務に聞いて教えてもらいました。 ○ お米 ○ お酒 ○ 塩 ○ 野菜 ○ 果物 ○ 海の物(こんぶ・わかめ・するめなど、何でも良い) ○ 玉串料 神主さんは工務店にお願いしておきました。 8,建築工事 建築工事がはじまりました。 バリアフリーの家は、金さんの書斎からよく見えるところに建てます。今まで住んでいた家をそのまま残すことにしたので、工事の遅れは気になりません。多少遅れてもしっかりした仕事をしてくれるので安心していました。工事現場用のトイレをレンタルし、毎日大工さんたちが飲むお茶も工務店が用意してくるので、こちらでお茶を出さなくてもよいのが楽だと和さんは言っていました。金さんは、夕方書斎の窓を開けて毎日どこまで進んだか見るのが楽しみでした。 9,完成・・引き渡し・・ 金さん&和さんのバリアフリーの家が完成した。 2004年2月に始まった工事が同年6月に終わって建物の引き渡しが完了しました。といっても予定通り完成したわけではありません。若干遅れました。そのためかねてから約束していた金さんの友人5人が引き渡しの完了するまえに遊びに来ました。勿論専務の了解はもらっていました。 10,住み心地 |