「バリアフリー」とは



          はじめに

 1994年9月に「ハートビル法」正式名称「高齢者、身体障害者が円滑利用できる特定建築物促進法」が、2000年11月にに「交通バリアフリー法」正式名称「高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律」が施行されてようやくわが国のバリアフリーの施策が目に見える形で動き出した。

 私が住んでいる埼玉県大利根町の町民が利用する栗橋駅も、遅ればせながら2000年に駅舎が建て替えられてバリアフリーの駅に脱皮したし、2004年春に新築してオープンした町の図書館「ノイエ」もバリアフリーに配慮した木造の建物で車椅子でも利用しやすい。

町の図書館「ノイエ」



 妻に介護されて車椅子で毎年旅行しているが、日本のあちらこちらで、バリアフリーの施設が少しずつであるが増えているのは嬉しい。

 人間は皆平等なのだから、高齢者も若者も、障害者もそうでない者も、普通に生活できるような社会を実現したいものである。




       
          バリアフリーとは?    


身体障害者や高齢者が生活を営むうえで支障がないように、商品を作ったり建物を設計したりすること。また、そのように作られたもの。広辞苑

障害をもつ人々が、生活環境(住宅、地域施設、交通施設において、普通に生活することを阻んでいる障壁(バリア)をなくすこと。1974年、国連専門家会議報告書『バリアフリーデザイン』が出版された当初から、物理的バリアフリーのみならず、心理的・社会的バリアフリーの重要性は指摘されていた。近年、バリアフリーのみならず、安全性や利便性等にも十分配慮し、障害者、高齢者、子供、妊婦、乳母車を押す人々などすべての人々に使いやすい設計として、ユニバーサル・デザイン(普遍的デザイン)の考え方も重視されている。日本大百科全書(ニッポニカ)

一般にはお年寄りや体の不自由な人がつまずかないように、段差のない住宅設計や住設機器のことを指すが、原義はモノ・ヒト・コトの境界をなくし、在来の不便をなくそうという商品、手段の意味。

障害者が建築物を使おうとしたときに邪魔になるさまざまなバリア(障碍(しょうがい))を取り除こうという考え方。これは第2次世界大戦後に特に議論され実行に移されるようになった。医学の進歩によって戦闘による負傷で障害者となっても社会復帰が可能となったからである。

建築物のバリアフリー設計標準がはじめてまとまったのは、1961年、アメリカ標準としてであり、各国でも議論されてしだいにめざすべき方向が明らかになった。しかし、バリアフリーを実行に移そうとすれば、問題は建築物や都市環境だけではないことがわかる。95(平成7)年の「障害者白書」は、物理的バリア、制度的バリア、意識のバリア、そして文化・情報のバリアの四つが課題であると指摘した。具体的には、(1)製品から建築物、都市環境にいたるまで、物のデザインに関わるバリア、(2)政府を含めた社会の障害者へのさまざまな意味での差別(欠格条項(→「欠格条項見直し法」)などがその典型例)、(3)そうした制度の存続を認めてきた、われわれ自身の心の中にある差別意識、(4)情報の提供手段などで結果として生ずるバリア(さまざまな案内表示が読みにくかったり、視覚情報以外は用意されていなかったりということで多くの人が社会参加を阻害されていることなど)である。これらすべてを取り除かなければ、本当の意味でのバリアフリーは達成されない。(現代用語の基礎知識

         関連用語

○ノーマライゼーション

等生化。等しく生きる社会の実現。障害のある人も、一般社会で等しく普通に生活できるようにすること。障害者も普通に生活を送る機会を与えられるべきであるという、新しい福祉の考え方を提唱する語であり、今後重要な概念になると考えられる。「共生化」とも言い換えられるが、人間と野生動物との共生、多民族間の共生など、意味が広くなり過ぎる問題がある。

                   (
現代用語の基礎知識


〔参考〕

第2回 「外来語」言い換え提案−(国立国語研究所「外来語」委員会)

  http://www.kokken.go.jp/public/gairaigo/Teian2/index.html

                             


〔参考〕

1997年 秋に私はこんな文章を書いている。

 夢そして希望

「国際障害者の十年」(1983〜1992年)が終了してから早くも5年が過ぎようとしている。そのころから「ノーマライゼーション」という言葉が多く使われるようになり、施策の面でも、障害者、高齢者向けの施策が少しずつ充実してきた。

けれども、私は障害者を取り巻く日本の環境は、根本的にはそれほど大きく変わってはいないように思う。毎日、車椅子の生活をしていてそのことを痛切に感じている。

それはなぜだろうか?

私は、人々の「心」の問題だと思う。日本が経済的に豊かになったといっても、それにともなって人々の心の豊かさがそれに追いついていないからだ。今問題になっている「地球の温暖化」や「介護保険法」の議論をみていてもそれを感じる。

だから、「ノーマライゼーション」という、言葉の意味を理解すればごく当たり前のことが、人々の間になかなかひろがりをもたないのだろう。

今 日本は、「少子高齢社会」といわれている。高齢化が進むと、障害を持つ人も確実に増えてくるといわれる。障害者も、高齢者も、健常者と同じように行動した いのだ。「外に出たい」「外で働きたい」と思っている人がいっぱいいることを忘れないでほしい。外にでたいという気持ちは、同じ人間として当然のことだと 思う。そういうささやかな願いを少しでも実現するためには、「バリアフリーの環境」の実現が欠かせない。

私 は幸い多くの人の応援で職場に復帰することができたが、それでも職場までは毎日娘に車椅子で送ってもらっている。今住んでいるマンションも、エレベーター の広さやボタンの位置の問題、入り口の段差の問題、トイレや風呂の段差の問題などがあり、娘の介護がなければ一人ではとうてい暮らしていけない。通勤に 使っている歩道も1年前から工事中ででこぼこだらけだ。
街にもビルにもあまりにも「バリア」が多すぎる。

「高 齢者も若者も、障害者もそうでない者も、すべて人間として普通の生活を送るため、ともに暮らしともに生きてゆける社会こそがノーマルな社会」と言えるとす れば、日本は、ノーマルな社会にはまだまだほど遠いのが現状だ。そうした社会の実現には、人々の心がそれを当然のことと受け止めるようになることが必要だ ろう。

そんな当たり前の社会の実現を目指して、私も社会の片隅から小さな声をあげていきたいと思う。

                              (1997年 秋)