車椅子の視線から「随想」


(2000年7月〜12月)


目  次

 

◇ “リリア”メインホールへ 2000年12月23日 

 「子ほめ条例」に拍手  2000年 11月 11日 

◇ 日光へ“紅葉狩り” 2000年11月4日 

◇ 焼き芋  2000年 10月 28日 

◇ 看護専門学校で「闘病体験」を話す  2000年 10月 18日 

 金さんの山田村&バリアフリー見聞ドライブ旅行 

◇ 週末の午後  2000年 9月 2日 

◇ 40年ぶりの母校  2000年 8月 20日  

◇ 真夏の夜の悪夢!「救急車」  2000年 8月 9日

◇ 車椅子用のレインウェアー  2000年 7月 4日

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◇ “リリア”メインホールへ 2000年12月23日 土曜日

12月23日埼玉県川口市にある川口総合文化センター“リリア”メインホールへ演奏会を聴きに行ってきました。

川口市・アンサンブルリベルテ吹奏楽団の20周年記念の定期演奏会があり楽団員のお母さんである芳村さんに招待されたのです。

金さんは久しぶりの演奏会でしたが、とても感動的な演奏会でした。

 アンサンブルリベルテ吹奏楽団は全日本吹奏楽コンクールで3年連続6回金賞の楽団

 だったのと、今年の定期演奏会がサクソフォンの須川展也さんとタップダンサーの

 宇川彩子さんの2人をスペシャルゲストに招いていたからです。

 演奏会にタップダンサーが饗宴というのは金さんには初めてでした。

 

 メインホールはお客さんで満席でした。一階の最後部には移動可能なイスが数席あって

 金さんのような車椅子の人も楽に座れました。そこには二階にエレベーターで行って

 スロープで降りられるようになっていました。障害のある人の洗面所も一階二階ともに

 完備されていて、地下の駐車場の障害者用のスペースとともにバリアフリーの施設が

 揃っていたので安心でした。

 演奏会に車椅子の人が来ているか気を付けてみていましたが、金さんの他には

 見かけませんでした。せっかくバリアフリーの施設ができているのだから また、機会を見つけて行ってみたいと思いました。

 

 

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  「子ほめ条例」に拍手  2000年 11月 11日 

11月 1日の朝日新聞の「天声人語」に大分県前津江(まえつえ)村が先月つくった通称「子ほめ条例」のことがでていた。

村の子どもが「人に親切にした、本をよく読む、友だちとなかよく遊ぶ・・・」などの何か良いことをしたら、あるいはその子の良い点があったら、

ほめて金メダルと賞状を贈ろうという内容で、通称「子ほめ条例」というのだそうである。

この村の小中学生は188人で、その全員が在学中に必ず表彰されることになっているという。

「その他」賞もあって要するに何でも対象になるので、どの子にも必ず良いい点を発見しなければならない大人の側も大変らしい。

 

テレビやゲームなどの影響か(?)最近はこの村でも子どもたちが外で遊ばず、家に閉じこもりがちなのだという。

そこでこの「子ほめ条例」をつくったのだそうである。

「え、そんなことで褒めるのかい、ということでいい。いままで怒られていた子が、褒められると自信を持つんです」

この春まで村立中学の校長だった取りまとめ役である村の女性の教育長が取材に話したという。

 

未来を担う 子供の育て方は難しいが、怒るよりもほめることで子どもたちを伸ばしていこうという

前津江(まえつえ)村の選択に 教育だけでなく地方自治の原点を見たようで拍手を送りたい。

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◇ 日光へ“紅葉狩り” 2000年11月4日 土曜日


◇ 焼き芋  2000年 10月 28日 土曜日

この秋はじめてやきいもを食べた。

息子が屋敷林(※防風林)の落ち葉を掃き集めて妻に「焼き芋に使っていいよ」と言ってくれたという。

木々の葉が紅葉になる前にだいぶ落ちている。

掃き集めたままにしておくと木枯らしに舞ってあちこちに飛んでいってしまうので

この時季焼き芋はわがやの定番になっている。

息子もそれを知っているので落ち葉を掃き集めて妻にいったのであろう。

 

午前のお茶請けは思いがけず焼き芋になった。こんがりと焼けた皮を妻が器用にむいてくれる。

「都会では焼き芋はできないだろなあ?」

「そうねえ やきいも〜 やきいも〜 って売りに来るのを買って食べるだけかもね!」

 

田舎のささやかな楽しみを感じ嬉しかった。

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◇ 看護専門学校で「闘病体験」を話す  2000年 10月 18日 水曜日

10月18日看護専門学校の学生に、二度の脳出血から生還した「闘病体験」を話す貴重な機会があった。

メモを取る学生も多く質疑では活発な質問がいくつかあった。

看護婦になるために勉強している学生が、実際の「闘病体験」を聞いて看護の仕方を考えていこうという基礎看護学の方法論についての授業の一環ということだった。

学生は看護実習で患者さんと関わる機会があるが、入院した患者の経験者から、闘病体験、家族の関わり方、退院後インターネットの交流による心のリハビリテーションを

通じて社会復帰して元気に生きている様子を実際に聴くのははじめてなのか2時間熱心に聴いていた。

メモを取る学生も多く質疑では活発な質問がいくつかあった。

言語障害があるため授業ではマイクを使ったが、途中聴きにくいからとボリュームを学生が上げてくれた。

また車椅子の教壇への上げ下ろしも3,4人の学生が進んでやってくれるなど、さすがに看護婦さんを目指す学生はしっかりしていると感心した。

 

学校は文京区のマンションからタクシーで1時間半程の多摩地方だったので、あらかじめ車椅子のまま乗れる福祉タクシ−を予約しておいた。

この日は次女がちょうど勤めが休みで、一緒にいってくれたので助かった。

話の間、次女も教室の後ろで教務の先生と共に話を聞いていた。後で聞くと生死の境目の頃を思い出していたという。

 

自分も二度の脳出血から職場復帰そしてささやかなボランティアの経験を若い看護専門学校の学生に話すことができて本当に良かったと思う。

来週もう一度別のクラスで「闘病体験」を話すことになっているが、こういう経験もまた自分の心のリハビリテーションになるので

こういう機会があれば、ボランティア活動としてできるだけ協力したいと思っている。

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 金さんの山田村&バリアフリー見聞ドライブ旅行 2000年 9月 30日  土曜日


◇ 週末の午後  2000年 9月 2日  土曜日

 

お昼に妻と蕎麦を食べる。

裏の畑から摘んできたという青ジソを蕎麦つゆに入れて

美味しくいただく。

 

その後、薬を飲んでから 昼ぶろに入れて貰う。

いつものように昼寝をして

3時半過ぎに起きる。

 

豆をひいて入れてくれたコーヒーを

妻と二人で飲む。

じつに美味しい!

 

「お父さんは幸せだよ! よその家のお父さんの一生分の面倒を

 もう子供たちや私に見てもらったんじゃない! もういつ死んでもいいね ?」

 

コーヒーを飲みながら、妻が やさしく笑いながらいう。 私も

「そうだなあ こういうのを幸せっていうのかも知れない!」

とつくづく思う。

そして、あまり長生きしないでも良いような気がしてくる。

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◇  ホットな夏の私の冷戦!  2000年 8月 31日 

「寒くありませんか? 室温が低すぎて身体が痛いんですが。」

後遺症のある身体の痛痒感が我慢の限界を超えると、私は職場の仲間に言って温度を少し上げてもらう。 

「今まで何度でしたか?」 と聞くと 

「23度でした」と言う答えが返ってきた。

これでは寒くて痛いわけだ。

 

2度目の脳出血の後、私の身体は夏の冷房に極端に敏感になっている。

室温が26度を切ると途端に普段と違う痛痒感が私を襲ってくる。

四六時中左手の手首から指先まで痛痒感があるのだが、

それと違って我慢ができない痛痒感だ。

 

毎年夏になると私は職場の冷房の温度に苦しめられる。

新宿の都庁舎のように室温が28度設定なら問題ないのだけれど

残念ながら(?)私の勤めている庁舎は、各部屋ごとに室温の調節ができる。

障害のない人にはまことに便利なこの機能も、障害のある私にはたまらなく不便に思うことがある。

だから、夏の間は、席の直ぐ近くに用意してくれたロッカーの中に

いつも、背広、カ‐ディガン、チョッキ、膝掛けを自衛のために用意して使い分けている。

 

だいたい、車椅子生活で歩かない私と違い、

良く動く人には真夏の28度はやや暑いと感じるらしい。

それを、ちょうど良いと感じる私は普通の身体ではないからなのだろう?

 

だが、都庁舎の28度も我慢できない暑さではないと思う。

げんに都庁舎にいる大勢の職員、議員や訪れる都民はその温度で我慢している。

 

冷房は外気との温度差が5度以内にするのが人間の身体にも良いという。

それが外気が35度を超える猛暑に23度、24度というのは

いくらなんでも どうであろうか?

 

人間の身体は不思議にできている。

贅沢に慣れてくると身体までが贅沢になって、社会にはいろんな人間がいて

中には障害のある人や妊婦などもいて自分と同じに感じる人ばかりではないことも

忘れてしまうらしい。

 

これも不思議に思うのだが、「バリアフリーの施設」と言われているにもかかわらず、

この職場の、室温を調節する器具は車椅子の人にはとうてい届かない高さに付いている!

 

私が平日借りているマンションも、埼玉の家も夏でも普通は冷房を使わない。

除湿にして26度にしている。

それでも連続して入れていると寒すぎるので時々電源を切っている。

 

さて、あなたの会社の事務室は夏の冷房を何度にしていますか?

 

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◇ 40年ぶりの母校  2000年 8月 20日  日曜日

 

高校卒業後はじめて母校に寄ってきました。

郷里に墓参りの帰りの宿を「ハートピア長野」にしたからです。

車椅子でなければ泊まる親せきは郷里にあるのですが、「洋室でベッドがある

バリアフリーの宿で前に泊まったことがないところ」という

難しい条件で長野市内の宿をインターネットで探した妻が長野高校の近くの

「ハートピア長野」を見つけてくれたのです。

「ハートピア長野」はバリアフリーの宿ではありませんでしたが、

老人ホーム風の長期入居室が併設されている綺麗で静かな所でした。

妻と
息子と

       

 

翌日の日曜日、長野高校が直ぐ近くだったので行ってみました。

40年ぶりの母校はすっかりかわっていました。

校舎が新築されモダンな洋風になっていました。

嬉しかったのは、旧校舎の正門がある校舎がそのまま残っていたことです。

ただ、その建物の看板は「長野高校」ではなく「長野高等学校同窓会」でした。

 

新校舎から旧校舎を見る

 旧校舎

旧校舎前で

新校舎

新校舎入口で

 

写真を撮りながら妻が「まるで浦島太郎だね!」と言ったので

私も笑ってしまいました。

 

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◇ 真夏の夜の悪夢! 「救急車」  2000年 8月 9日  水曜日

 

夜九時半ごろ夏ばてと疲れでベッドに横になっていると

「おとうさん どうしよう!」

「Mちゃんが風呂で水道の蛇口に目の上をぶつけて出血が止まらないんだって!」

 

次女から長女に電話らしい。

突然のことにことに驚いた長女が受話器を持ってうろたえている。

電話を代わり言語障害があるのでたどたどしい日本語で

「夜は自分で病院に行っても宿直の医師が専門外だと断られることもあるよ!」

「とにかく落ち着いて救急車を呼んだ方がいいよ」

 

と次女に言うと

「ありがとう じゃ救急車を呼んでみる」

 

十数分後、私の住んでいるマンションの通りを救急車がサイレンを鳴らして通った。

「もしかしたらあれかな?」

そう思いながら

「大したことがなければいいが」と内心不安が襲ってくる。

脳血管障害で3回救急車で運ばれた経験を持っている私も、子供のこととなるとまた別である。

だが駆けつけようにも車椅子生活ではそれもできない。

成り行きをただ待つだけである。

 

しかし、夏ばてでこの日は相当疲れていたらしい。

横になってうとうとしているうちに不覚にも眠ってしまった。

 

何時ごろだろうか? 電話の音である。

長女が何か話している次女かららしい。

「おとうさん Mちゃんから いま東大病院だって」

「だいぶ腫れているけど眼球には異常なしで出血も止まったって!」

 

次女にかわると もう案外落ち着いている。

「眼科の先生が視神経に影響がないかていねいに検査してくれたよ。大丈夫だって。」

「これからタクシーでマンションに帰るよ〜!」

救急車で病院に運ばれても 手当が済んで帰るときの面倒までみてくれない。

次女が

「明日は休みなので 腫れが引くように ゆっくり寝ているよ」

というので、

「うん お母さんももう家に帰っていると思うので電話で報告しておいた方がいいよ」

と言って一安心してまたベッドに横になった。

 

「真夏の夜の悪夢」は終わった!

 

※ 後日談

次女の話によると、この日夜勤明けで疲れていたのでシャワーを済ませて寝ようと思ったらしい。

ところが、マンションの浴室が狭いのと疲労が重なったのが不運だった。

洗髪を済ませ急に立ち上がったときに蛇口に目の上を嫌と言うほどぶつけて出血したのが真相のようだ。

 

長女が「Mちゃんは 子供の頃から水難の相があるんだよ!気を付けなくちゃね」

といった。

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◇ 車椅子用のレインウェアー  2000年 7月 4日 火曜日 

 

車椅子通勤用のレインウェアーです。同じ職場に働いていたMさんが転勤の

時に「お世話になりました。」とプレゼントしてくれました。

それまでの4年間雨の日の車椅子通勤には普通の合羽を使ってきましたが

大雨の時などには車椅子に敷いてある座布団が濡れたり、雨水でズボンも

下着もずぶぬれになったりしたことがあるのでこのレインウェアーは助かります。

Mさんありがとうございました。

車椅子に座ったままで着られるし、軽いので使わないときの持ち運びも楽です。池袋の

三越で売っていたそうです。

ちょっと派手で目立つので、歩道を走る自転車や歩行者にもよく見えて事故予防にも

なっているんですよ。

「はずかしくないか?」ですって、「はじめはちょっとはずかしい気もありました。でも、直ぐ慣れましたね。」

 

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