車椅子の視線から(エッセイ)
目次 2003年 7月 〜2003年12月
○ 年の瀬に思うこと
○ 福祉祭りに参加して
○ 投票所にスロープがあった!
○ ツクツク論争
○ 理髪の話
○ 胃カメラを飲んで!
○ 家族の幸せ !
○ 年の瀬に思うこと 12月27日(土)
2003年も残すところ数日になった。
今年はわが家にとっても激動の年だったように思う。
3月末で和さんが勇退して自由人になった。
ようやく金さん&和さんが夫婦揃って自由人になったので、夫婦で一緒にいる時間が増えて毎日が楽しい。
といってもそれは金さんの感想である。
和さんには別の感想もあるようだ。
それは、やっと自由人になったのでいろいろやりたいこともあるのに、
そうそう金さんを一人で置いて行くわけにも行かないのでいい加減の所であきらめているらしい。
しかし、時間に追われて暮らしていた生活から解放されたのは大きいようだ。
それに、ここは和さんの生まれ育った土地である。
木々の色や野に咲く花、鳥のさえずり、風の匂いなどから四季を感じられるところで
天気の良い日には畑や庭に出て野菜を作ったり花を育てたりし、
雨の日には屋内で教養を高めるための読書や、映画鑑賞、音楽鑑賞などのんびりと晴耕雨読の生活をする。
そんな、時間を忘れるような毎日を過ごしながら、
やがてやってくる老後の生活に備えて生きがいをも見つけていきたいと思う。
和さんが家にいるようになったので、ヘルパーさんにお願いしていた介護保険の家事援助サービスを打ち切った。
その代わりに今年は訪問リハビリを利用して、金さんの筋力アップなどの心身の機能の維持向上を図ることした。
自主リハビリではどうしても楽な方に流れてしまいがちなので、
目標を持って毎週決まった日時に訪問リハビリでトレーニングをやれるのはありがたい。
少しずつ効果も出てきたように思うので、これからも訪問リハビリでいろいろ指導をして貰いながら、
心身の老化に立ち向かいたいと思う。
懸案になっていた旧宅の取り壊しと屋敷内の整地も先日終わった。
和さんが家にいたからこそやれたのだと思う。
来年はそこに、金さん&和さん夫婦の終の棲家(ついのすみか)となる
平屋の小住宅を建てようと思う。
小さいながら住みやすい、バリアフリーでユニバーサルデザインの家にしようと計画しているが、
知り合いの工務店が親身になって相談に乗ってくれるので、どんな住宅になるのか来年が楽しみである。
いま巷の書店でよく売れている本に『年収300万円で生き抜く・・・』があるという。
金さん&和さんも夫婦とも働いていないのだから、これからは年金で暮らしていかなければならないが
その年金も将来どうなるか不透明である。
幸い家には伝来の土地が少しばかりある。
これからは、家の畑や田んぼで採れる旬の食材を基本にして、さやかであるが、楽しい生活をしたいと思っている。
○ 福祉祭りに参加して 11月8日 (土)
ケアマネージャーの友人から運動公園で町の福祉祭りをやっているという情報をもらった。
こういう情報は町のホームページか広報誌に載っていると見られるのだが、残念ながら載っていなかった。
(見方が下手でどこかに載っていたのかも知れない?)
運動公園のエリアには保健センターや福祉会館がある。
家から二キロ位の比較的近い距離にあるが残念ながら車椅子では行かれない。
そこまで田園の中をあまり広くない歩道の付いていない道路があるだけなので、車椅子では危険だからである。
妻の運転する車で10時頃着くと駐車場が混んでいた。
それでも、駐車場の整理の人に「車椅子なんですけど」と告げると、障害者用のスペースに案内してくれた。
運動公園では保健センターの職員やボランティアの人がテントの中で血圧測定や握力測定
食事の相談などをしていた。
JAの職員だろうか?グランドで地元で採れた野菜の展示即売や花の即売もしている。
グランドの反対側に商工会のコーナーもあった。
けんちん汁を無料でサービスするコーナーで暖かいけんちん汁をいただいた。
保健センターの前では町内にある「ふれ愛の郷」という特別養護老人ホームや居宅サービス事業などを
やっている社会福祉法人のコーナーもあり、福祉用具の展示をしていた。
展示品の中に障害者に使いやすそうな靴があったので履いてみた。
その近くで障害者の作った(?)茶碗などの焼き物などを展示即売していた。
一番奥のコーナーは車椅子の体験コーナーだろうか?
子供たちが車椅子に乗って遊んでいる。
子供たちの車椅子の体験も、やらないよりはやった方が良い。
ただ、その場合は教師などキチンと車椅子の指導してくれる人がついている所で体験して欲しい。
車椅子が置いてあるだけのところでは、車椅子体験をしたことにはならないと思うがどうだろう。
町の福祉会館が直ぐ目の前にある。
町の公共の建物の中では福祉会館はかなり古いようだ。
車椅子の生活になってから福祉会館には始めてきたので、
中に入ってトイレを借りることにした。
建物はトイレを見れば福祉にどういう姿勢で建てられたかが
だいたい解る。
福祉会館の入り口は子供たちとお母さんたちでごった返して
いた。
車椅子の人や障害者、高齢者などが利用するスロープを
探すと、スロープに手すりをふさいで自転車が止めてあった。
靴もたくさん脱いで置いてあったので、車椅子が通れるように
片づけてもらった。
折角の「福祉会館」なのだから、障害者の利用も多いだろう。障害者用のスロープに自転車を置いたり、
脱いだ靴を置いてバリアにすると、スロープを利用する車椅子などに迷惑になる
ことも、キチンと教えて欲しいと思った。
デジタルカメラで自転車の置かれたスロープの写真を撮っていると、
小学生ぐらいの女の子が怪訝そうにこちらを見ていた。
福祉会館のトイレのドアは開き戸で車椅子利用者には開けにくい。
新しい建物のトイレのドアに開き戸はなく全部引き戸だから、
ここはバリアフリーという言葉もまだ普及していなくて、建築担当者にも認識されていない頃の建物のようだ。
福祉祭りの感想は、やはり「祭り」の色彩が濃かった。
一緒に「健康まつり」なども開かれていたので、参加者は多い。
少し前に町の運動会があって、妻が参加したが、そのときよりもだいぶ多いと教えてくれた。
しかし、祭りでも祭りには祭りの効用がある。
こういう機会に、高齢者や妊婦、障害のある人が多数参加するようになれば、何が障害になるかが
障害のない人にも自然とわかるようになると思う。そうすれば言葉で教えるよりも身に付いて忘れないと思う。
これからは、自分の「心のリハビリテーション」のために、こういう機会に参加するだけでなく、
障害のない人にも自分たちの姿を説教的に見せるよにしていきたい。
そういう些細なことの積み重ねが、人々の「心のバリアフリー」の改善に役立つような気がする。
○ 投票所にスロープがあった! 8月31日(日)
今日8月31日は埼玉県知事選挙の投票日である。
朝、少し小雨が降っていたが、十一時頃になると薄日もさしていた。
「晴れている間に投票をすまそう」と妻の和さんを誘った。
投票所はいつもの豊野小学校である。
和さんの運転する自動車で十分もかからない。
小学校に着いて驚いた。
投票所の入り口にある三段の石段に
簡易スロープがしてあるではないか。
前回の町議会議員の選挙の時まではスロープがなかった。
そのため、選挙管理委員会の男の職員に協力してもらい
車椅子に乗ったまま持ち上げてもらった。
靴脱ぎ場にも一段用の簡易スロープがしてあった。
春に行われた前回の選挙の後
「◇ 投票所もバリアフリーにして欲しい!」と
このホームページにも載せて、町に訴えていたので、
改善されていて嬉しかった。
投票が済んで帰るときに
選挙管理委員会の職員が二人入り口まで様子を見に来た。
「上りよりも下りの方が危ないのですよね」と言った。
「そうなんですが、これは電動なので下りはエンジンブレーキが効くんですよ。」
と言って、金さんがスロープをゆっくり下りると、
下りきるのを確かめて戻っていった。
投票所の改善をしてくれた選挙管理委員会の職員の皆さんありがとうございました。
○ ツクツク論争 8月25日
この夏わが家で、「ツクツク論争」が持ち上がっている。
それは「ツクツクホーシ」の鳴き方についてである。
論争の元はたわいのない蝉の鳴き声についてなのだが、金さんも和さんも二人とも五十年以上その鳴き声を
耳にしているので、簡単には自説を曲げようとしない。
金さんの説は、ツクツクホーシは「ツクツクホーシ ツクツクホーシ ツクツクホーシ スベリヒョー スベリヒョー」
と鳴くといい、
和さんの説は、「オーシンツクツク オーシンツクツク オーシンツクツク オンニョーシ オンニョーシ ジー」
と鳴くと言ってきかない。
日曜日の早朝、うとうとしていると屋敷林からツクツクホーシの鳴き声が聞こえてきた。
二人は決着をつけるチャンスとばかり聞き耳を立てた。
「ツクツクツクホーシ ツクツクツクホーシ ツクツクツクホーシ スベリヒョー スベリヒョー」と金さんには聞こえる。
すると和さんは「ね!オーシンツクツク オーシンツクツク オーシンツクツク オンニョーシ オンニョーシ ジー
でしょ!」という。
子供の頃、信州で聞いたツクツクホーシの鳴き声と、いま埼玉で聞くツクツクホーシの鳴き声は変わらないと
思うけれど、地方によって方言があるように、蝉も鳴く場所で鳴き方が違うのだろうか?それとも、人によって
蝉の鳴き声も違って聞こえるのだろうか?
和さんが金さん説の最後の「スベリヒョー スベリヒョーと言うのはどういう意味だかわからない」と固執するので、
「スベリヒョーというのはね、雑草の一種で日当たりの良い畑などに良く生えている草のことだよ! 太平洋戦争
の後で食料が不足していた時代には食用にした人もいたらしいよ」と教えてあげた。
教えてあげた後で、金さんも何故「スベリヒョー スベリヒョー」と鳴くのか深く考えたことがなかったので、植物図鑑
で「スベリヒョー」のことを調べてみることにした。
書棚から、「北隆館 改訂増補牧野新植物図鑑」を出して調べてみると、「スベリヒュ(イハイズル)」のところに、
「田や畑、路ばた、庭園などひなたのところならどこにでもはえている1年生の草本。・・・。」と載っている。
「スベリヒョー」と言うのは「スベリヒュ」のことに違いないと思った。
信州の故郷の田舎では、雑草のスベリヒョーが畑にたくさん生えていた。草の名前が一般的だったので、きっと
故郷ではツクツクホーシの鳴き声も、そういう風に聞こえたのだろうと金さんは思った。
植物図鑑のページを和さんに見せると、「その草ならこの辺にもある」という。
あるけれど草の名前までは知らなかった」と言った。ツクツクホーシの鳴き声を聞いて素朴に和さんの説が
生まれたらしい。
金さんは子供の頃草の名前を知っていたので、「ツクツクツクホーシ ツクツクツクホーシ ツクツクツクホーシ
スベリヒョー スベリヒョー」になったのだと思う。 ただ、金さんもはじめから、そう聞こえていたのか? それとも、
親や年上の兄弟などに教えてもらってそうなったのかまでは、覚えていない。
昭和のはじめ、斉藤茂吉と小宮豊隆との間で争われた論争は、数年間も続いたという。
それは、松尾芭蕉の「閑(しづ)かさや 岩にしみ入る 蝉の声」の句に読まれた蝉の種類についての論争で、
書物や雑誌に論文の形で堂々と争ったというから驚く。
わが家の蝉時雨(せみしぐれ)の「ツクツク論争」は、この夏まだ終わっていない。
※ スベリヒュ(イハイズル):田や畑、路ばた、庭園などひなたのところならどこにでもはえている1年生の草本。全体が
肉質で無毛である。根は白色、茎は根元から枝分かれして地面をはい、または斜めに立ち上がり、さかんに枝を出し、
多くの葉をつける。茎の長さは15〜30pぐらい、なめらかな円柱形、紫赤色をおびている。葉も紫赤色をおびていて、
大体対生し、長楕円状くさび形か、へら状くさび形で、長さ1.5〜2.5pぐらい、全辺で葉質は厚く、基部はせばまり、
柄は短くて、ほとんど無柄である。夏、枝の先に集まっている葉の中心に数個の柄のない小さな黄色の花を付け、日光
を受けて開く。・・中略・・。〔日本名〕滑りヒュの意味で、食用として食べるときに粘滑であるからだといわれ、また葉がな
めらかであるからだともいわれる。・・後略・・
(北隆館 改訂増補牧野新植物図鑑より引用)
○ 理髪の話 7月16日(水)
金さんは月に一度くらい髪を切り顔をカミソリで剃ってもらう。
やってくれるのは妻の和さんである。
髪を切り、顔を剃ってもらった後で、シャワーを浴びるか風呂に入るので、
鏡や道具を運ぶ手間の要らない風呂場が金さんの“ヘヤーサロン”である。
初めのうちは、髭を剃るときに失敗して血が出ることもあった。
何年もやっている間に和さんの腕も上がり、最近は失敗がない。
風呂場の“ヘヤーサロン”で髪を洗ってもらうときに、ついでに背中などを洗ってもらう。
裸の金さんは和さんに全幅の信頼を置いている。
風呂場の“ヘヤーサロン”、熟年夫婦の夫婦円満の秘訣かも知れない!
いま、床屋さんの料金はいくらするだろう!
好きな時間に、和さんにやってもらいながらそんなことを考えた。
○ 胃カメラを飲んで! 7月8日(火)
昨日(7月7日)済生会栗橋病院で胃カメラを飲んできた。
十数年前に一度ガン検診センターで飲んだことがある。
ただ、二度目の脳出血の後遺症で車椅子生活になっているのと
嚥下障害でカプセルの薬が飲めなくてなり、かみ砕いて飲んでいたので
果たして胃カメラが飲めるのかどうか? 不安だった。
だが、“あんずるより産むが易し”という、ことわざの通りだった。
まず最初に年配の看護婦さんが
「薬を飲むのに楽ですから、車椅子からソファーに移りましょう」という。
看護婦さんの手を借りて車椅子からソファーに移った。
ソファーで後ろに寄りかかると
「緑内障や心臓病、前立腺肥大症はありませんか」など
幾つかの質問をした。つづいて、
「この薬をのんで下さい。」と
小さいキャップにはいったシロップのようなものを渡された。
胃の中をきれいにする薬なので飲み込むのだという。
何も飲まず食わずだったので、これが「美味しい」と感じた。
飲み終わると「上を向いてください」という。
今度は喉の麻酔をする為に、ゼリー状の麻酔薬を注射器で口の中に流し込んでくれた。
「飲まないで、できるだけ喉の奥に入れて5分ほど我慢してくださいね。」と言う。
タイマーをセットして、看護婦さんは次の人に同じようなことを質問していた。
喉の奥がしびれて麻酔がだんだん効いてくる。
そのうちにタイマーが鳴り「1番さん用意ができました。」という声に促されて
看護婦さんが再び車椅子に移してベッドのある検査室に入れてくれた。
もう一度スプレー式の麻酔を喉の奥にしてくれた。
「ベッドに移り左向きになってください。」と言って、看護婦さんが
手伝ってくれた。
左向きの体勢は普段家のベッドでテレビを見るのと似ていた。
しばらくすると男性の若手の医師がやってきて、
口に胃カメラを通す筒状のものを加えさせて言った。
「胃カメラはやったことがありますか?」
うなずくと
「肩の力を抜いて楽にしていてください。」
という。
胃カメラを無理に飲み込もうとする必要はまったくなかった。
口にくわえた胃カメラを通す筒状のところから、
医師がスムーズに入れてくれたので、何か拍子抜けの感じでした。
喉の奥に入れたゼリー状の麻酔と緊張を解く肩の筋肉注射、
それと直前に喉の奥へのスプレー式の噴霧の麻酔がよく効いたようだ。
医師が
「はい胃の下のが方が押されますよ。」
「今度は張る感じですよ」
などと次々に言う。
痛みも、苦しみもぜんぜん無い。
医師の指示通りにしているだけで7,8分で終わった。
「軽い胃炎があるだけで、組織も取らないし心配ありません」
と医師が言って、不安だった検査があっけなく終わった。
「口の中にたまったつばをここに吐いてください。」
と、看護婦さんに言われたがあまりつばもたまっていない。
口元を拭いて、思っていたよりもスムーズに終わった。
心配していた和さんが一番ホッとしたようだ。
「今度は私も胃カメラをやろうかしら」と言った。
一時間過ぎてから水を飲んでみて、スムーズに飲み込めたら食事ができるというので、
家に帰り少し休んで水を飲むとスムーズに飲める。
看護婦さんが常食でいいというのを、和さんが
「念のため一度はお粥にしましょう!」と
お粥を作ってくれた。
これがまた美味しかった。
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和さんが勤めを辞めて家にいるようになって三月経った。
今までヘルパーさんを頼んでいたが、
和さんが作ってくれるので夫婦一緒に食事ができる。
和さんもそれが楽しいようである。
喜んでいるのは金さんと和さんだけではない。
家族みんなが喜んでいる。
日勤と夜勤が交代にある変則勤務の息子も、何時に帰ってきても、また、
何時に出かけるときも、お母さんがいるので心が落ち着くらしい。
今まで和さんの帰りが遅いときにはよくコンビニ弁当を買ってきていたが
この頃は買ってこない。
目覚まし時計のベルも最近はお休みしている。
起きるのが遅いと、和さんが「遅くなるよ!」と
起こしてくれるので、すっかり安心しているようだ。
それに3匹のワンちゃんが最近やけにおとなしい。
番犬ぶりが板に付いていた牙の鋭いアインも吠えるのが少なくなった。
以前は、新聞屋さん、郵便屋さん、ご近所のおじいさんやおばあさんが来ると
すごい剣幕で吠えたてていたので、回覧板をもって来ても逃げるように帰っていた。
きっと、和さんと息子が勤めに行った後は「俺たちが留守番しているんだ!」と
犬なりに心構えをしていたに違いない。
毎日、和さんが犬の散歩をしてやるのも心を休める一因のようだ。
以前は散歩も週末だけだった。
大雨でも降るとそれすら休むこともあったので、和さんが家にいて毎日散歩に
付き合ってくれるので、ワンちゃんまで嬉しいらしい。
一家の支柱であるお母さんが家にいることは、
家族にとっていろいろな意味で重要であると再認識している。