エッセイ(車椅子の視線から)

 ・・・ 2010年 7月〜2010年12月 ・・・




 師走の思い 
○ ゴーヤジュースを飲む
○ 「努力は天才に勝る
○ 不安なとき 







 師走の思い

 金さんが1994年に襲われた二回目の脳出血は視床下部(ししょうかぶ)からの出血だった。視床下部は、間脳に位置し自律神経系の最高中枢とされ、体の自律機能、内臓機能あるいは内分泌機能などの統御中枢として、脳脊髄(のうせきずい)のなかでは生命維持にかかわるきわめて重要な部分であるという。
 いま思うと、あの日視床下部からの脳出血で命が助かったのはまさに奇跡的で幸運と言う他はない。さすがに後遺症で四肢麻痺になり車椅子の生活を余儀なくされた上に言語に構音障害が残り職場復帰も遅れたが、その後何とか職場に復帰して58歳で勇退するまで勤めることができたのも、時代がそれを許してくれたからだと感謝している。 車椅子の生活で言語障害がありながら管理職として残るために、本人は懸命のリハビリテーションもしたが、何よりも妻や娘たちの介護に支えられることが多かった。また、同時に勤め先である東京都の友人や先輩の皆さんの支えも大きかったと感謝している。
 二回目の脳出血から17年目の現在、埼玉県の外れにある田園の多い街で、妻とバリアフリーの家を建てて、犬3匹猫2匹と共にのんびりと暮らしている。
 自分は苦労して独力でホームページを立ち上げたり、最近はブログにも挑戦」している。そして、全国のネットの友人と情報交換するなどパソコンが好きで自分では「インターネットライフ」と自称してこの生活を楽しんでいる。妻もまた、太極拳やピアノの他、野菜や花づくりなどの菜園ライフを主体として田舎の生活をエンジョイしている。
 そのほかに、車椅子の生活をしている自分が引きこもりにならないために、夫婦での国内旅行やお出かけもできるだけするように心がけている。これも、今のところ妻が運転してくれるので助かっているが、あと何年続けられるか?その後はどうするかなど課題も残っている。
 娘二人はすでに嫁いでいるが、息子は同じ敷地内に住んでいるので心強い。願わくは年頃になったのだから、息子の結婚相手が見つかればありがたいのだが・・・、さて、来年はどんな年になっているだろうか? 



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○ ゴーヤジュースを飲む

 2010年の夏は暑い。北海道をはじめ全国各地でで猛暑日が何日も続いている。気象庁によると2010年7月の一カ月間で、気温が35度以上の猛暑日となった日数は、群馬県館林市が12日間で最も多く、埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市が11日間で続いているという。一日の最高気温が35度以上の日を気象庁が猛暑日と呼ぶようにしたのは2007年4月とまだ最近のことだが、今年は8月になっても暑い日が多いので、猛暑日が一体何日になるのだろう。最高気温の国内記録40.9℃が記録された2007年8月の埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市である。猛暑日が多い関東でも内陸にあたる埼玉県熊谷市や群馬県館林市は平均気温が高い。
 このどちらの市も、金さん&和さんが住んでいる埼玉県加須市からそう遠くなく気候も似ているので、わが家でも暑さ対策は欠かせない。2010年に和さんがはじめてテラスにゴーヤを植えてくれた。日頃から金さんの訪問リハビリを担当してくれるリハビリ看護センターの「フロンティア」のメンバーからも、日中だけでなく夜寝てからも水分補給の重要なことを教えられているので、パソコン部屋とベッドの近くに和さんが毎日枕元に置いてくれる。金さんが水分を取ろうと思う時にいつでも自分で補給できる体制ができているんは心強い。今年はテラスのゴーヤも結構実を付けたので和さんがゴーヤとバナナでジュースを作ってくれる。ゴーヤとバナナと砂糖を混ぜ、ミキサーにかけるだけで、独特の苦みがある野菜が飲みやすくなるから不思議である。ゴーヤにはビタミンやカリウムが多く含まれおり、糖尿病や高血圧の方に最適で血糖値を下げる効果があるといわれているので、これからも飲み続けようと思う。
 暑い日がまだまだ続きそうなので、毎日ゴーヤジュースを飲みながら、無理をしないでこの猛暑を乗り切りたいと思う。

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○ 「努力は天才に勝る」

 これは私が子供の頃に仲の良い姉から贈られた言葉です。当時私の住んでいた長野県北部の農村では貧しい家が多く高校に進学できない人も大勢いました。特に女性は中学を卒業すると岐阜県や愛知県にある紡績工場に集団就職する者が多かった時代です。姉もその一人で、中学を卒業すると同級生と一緒に岐阜県にある紡績工場に就職しました。
姉は年に一度くらい帰省していましたが、ある年、姉の帰省と私の林間学校が運悪く重なってしまい、林間学校に行っている間に帰省していた姉が紡績工場に帰ってしまったことがありました。積もる話しをしようと勇んで林間学校から戻った私は帰ったと聞いて泣きたいような悲しい思いをしたことを未だに忘れません。その時に、姉が新聞折り込みの広告の裏に赤のマジックペンで書き残してくれたのが、「努力は天才に勝る」と言う言葉でした。
 家が貧しいので姉と同じく昼間の高校に行くことをあきらめていた私は、この時「働きながら高校、大学を卒業しよう!」と決意しました。
 中学を卒業した私は長野市内の店に住み込みで就職して、昼間働いて夜高校に通い長野高校の定時制を卒業しました。卒業後は東京に出て厚生省に勤めながら夜法政大学に通い四年後卒業しました。大学卒業後は、かねて目標だった地方自治行政に挑戦することとし東京都の大学卒の採用試験を受けて合格、東京都での生活が始まりました。しかし、ここも平坦な道ではありませんでした。東京都では難関と言われる若手の管理職A試験に合格して管理職になりましたが、働き盛りの四十三歳と五十二歳の時に二度も脳出血で倒れたのです。特に二度目は脳幹の視床下部と呼ばれる呼吸運動など生命を維持する総合中枢機能をあずかる場所からの出血でした。東京都立大久保病院のICU(集中治療室)に入院しているときに、妻が脳外科の医師から「助かったのは奇跡的で出血場所がもう針の先ほどそれていたら即死だったので本当に運が良かったこと、それでも、この先寝たきりになる可能性もあること、そして、出血場所が手術のできない場所なので、この病院で出来る最大限の医療をして後は本人の生命力に期待すること」などの説明を受け、目の前が真っ暗になったそうです。
 しかし、幸いにも病院での最新の医療とリハビリテーション、そして、私自身の復職への意欲が衰えていなかったことから、次にリハビリのために入院した東京都リハビリテーション病院で、「車椅子の生活で何が出来るか?」を懸命に模索しました。ここでも幸運の女神が私に味方してくれました。
 ここの病院で、ちょうど日本で発売されたウィンドウズ95パソコンと出会えたのです。退院後ウインドウズパソコンに挑戦した結果何とかパソコンが使えるようになり、車椅子で復職もできました。
 四肢マヒという重い後遺症のため車椅子の生活にこそなりましたが、復職して五十八歳まで勤めることができました。これは家族の支えと友人の応援があったからと感謝しています。そして、いつも私を支えてくれた言葉「努力は天才に勝る」を噛みしめています。 退職後の今は埼玉県北東部の町に建てたバリアフリーの家で妻とのんびり暮らしています。
 パソコンで『車椅子の視線から』というホームページも立ち上げました。これは、ホームページを見てくれた人たちとのコミュニケーションに役立つだけでなく、私自身の生きがいの発見にも役だっています。同時にホームページを訪れる皆さんが、生きる勇気を見つけるきっかけになればこんな嬉しいことはありません。
 姉のことですが、岐阜県の紡績工場を退職後故郷の長野県に帰りましたが、その後、東京に出てしばらく働いてから結婚し現在は夫の故郷である埼玉県秩父市に住んでいます。姉は生来の頑張り屋で、岐阜の紡績工場に勤めながら、会社の中にできた高校の分校を卒業しました。秩父で暮らすようになってからも、秩父から池袋まで通って着物の着付けを教えられる資格を取りました。現在も秩父市内に開いた着付け教室で、元気に若い人たちを教えています。「努力は天才に勝る」姉にピッタリの言葉だと思います。

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○ 不安なとき


あれほど晴れていた空が、夕方にはにわかに曇ってきて遠くの山の方で雷が鳴り出した。
やがて、三匹の犬を順番に散歩に連れて行った和さんが戻って来て、「ジョンがテーブルの下に潜って散歩に連れて行くのが大変だったのよ!」と、教えてくれた。
雷が大嫌いなジョンは倉庫の中に置いてある古いテーブルの下に潜って小さくなっていたと言う。
妻の和さんがそれをなだめて散歩に連れて行くのが大変だったようだ。
雷が嫌いなのはこの頃の金さんも同じだ。
昔はそれほど嫌いという訳でもなかったが、16年前に二回目の脳出血で倒れ、後遺症で車椅子の生活になってから地震と雷が嫌いになった。
これには理由がある。嫌いになると同時に怖いのだ。車椅子の生活をしていると何かあったときに一人で避難するのが難しいからだ。
昨日(7月24日(土))も、夕方から雷雨になったのに金さんが一人で留守番する破目になった。
和さんが夜7時半から地区の愛育班の月例役員会があるので出かけており、
息子はまだ勤め先から帰ってこない。
仕方がないので、金さんは介護ベッドの上で、のんびりしていた。
NHKテレビで『ワンダー×ワンダー スペシャル「ほぼ完全公開!東京スカイツリー」』をやっていたた。
外は相変わらず雷雨が続いている。夜8時頃もの凄い雷鳴とともに停電して真っ暗になった。もちろんテレビも消えたしまった。
停電では車椅子の生活をしている金さんにはどうすることもできない。
不安がたかまったが和さんが出かける時に置いてくれた枕元の懐中電灯を付けて見た。
時々窓から鋭い雷鳴が見え少し遅れて雷の落ちる音がする。それでも懐中電灯が点いたので気持ちが少し落ち着いてきた。
夜9時少し前になると息子が帰ってきた。「こっちの家は停電してるんだ!」と言って、落ちているブレイカーを上げてくれた。
息子が使っている家屋の方は停電ではないらしい。夕食を食べると息子は自分の家屋に戻っていった。
電気は点いたけれど、また、金さん一人になったが、不思議なことにそれまでの不安感は無くなった。
それでも、「和さんが早く帰らないかなあ!」と思った。

※ 画像は雨量・雷観測情報(東京電力)よりお借りしました。

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