リハビリテーション
・・・私の場合・・・
 目 次
   
  1 高血圧性脳症のとき   
  2 一回目の脳出血のとき  
  3 二回目の脳出血のとき  
  4 脳梗塞(ラクナ梗塞)のとき  



1 高血圧性脳症の時

 31歳で高血圧性脳症のときは、後遺症としてこれというものが無かったし、私に脳卒中(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血など)についての知識が不足していたのと、自分の健康への過信があったので、これというリハビリテーション(以後「リハビリ」と言う)はやっていない。



2 一回目の脳出血の時

 1985年(43歳)の一回目の脳出血のときは、救急車で運ばれた東京都養育院附属病院(現:東京都老人医療センター)脳外科での急性期医療と並行してリハビリテーション科で、理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、心理療法によるリハビリ治療を受けた。
 病院のリハビリ指導で歩行は一本杖で平らなところも階段も歩けるまでに回復した。左手の回復は遅れていたが四ヶ月半の入院で退院し自宅に帰った。
 
退院後も左手のマヒが残っていたが、自分の強い希望をきいてもらい、発症後6ヶ月で復職した(一本杖を使い遠距離通勤(片道60キロ弱))。 しかし、管理職として前のポストには戻れなかった。
 なお、左半身(左手、左足)のマヒが残っていたが、ほぼ一年後には杖を使わないで歩けるようになっていた。右脳の出血だったので言語障害の後遺症がなかったのは幸いだった。



3 二回目の脳出血の時

 1994年(52歳)の二回目の脳出血のときは、救急車で自宅に近い救急病院に入院した。この病院には、ICU(集中治療室)が無く、脳外科の専門医が常勤でいる状態ではなかったので、三日後に私のかかりつけの東京都立大久保病院(現 東京都保健医療公社大久保病院)に転院となったのは幸運だった。
 東京都立大久保病院では、リハビリテーション科で理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)による専門の指導を受けた。しかし、二回目の脳出血は視床下部からの出血で、意識不明の数日間もあるなど重篤だった。そのため意識回復後の治療とリハビリでどこまで回復するか?誰もわからなかった。
 しかし、入院中に病院から姪の結婚式に出席したり、家への車椅子での外泊などができるようになるなど回復がめざましく、都立大久保病院を退院するときは車椅子だった。
 
その後、復職に向けて東京都リハビリテーション病院を紹介されて入院した。この病院での専門リハビリテーションは、理学療法、作業療法が毎日、言語療法が週二回、それに毎週一回「心理」の先生の面接・カウンセリングがあった。
 理学療法の訓練のメニューは、一人一人違い、私の場合、理学療法士(PT)の先生の指導で、先生に教わった訓練を連日自分一人でやる時間の方が多かったように思う。
作業療法士の訓練は 外来の人の訓練も一緒にやっていたので、人が多くごった返すこともあった。
 担当の作業療法士の先生はなかなかの理論家で、勉強も良くしているようだった。それに訓練の効果などを一つ一つわかりやすく説明してくれた。
 @ ストレッチ体操・・紙に印刷されたイラストに沿って、毎日椅子に座ってやる体操があった。
 A マット上での訓練・・マットの上で、先生が身体をもんだり動かしてくれた。
 B 椅子に座り机の上でやる訓練
   ・ 雑巾掛け:雑巾のように縫ってある乾いた布(タオル?)の上に両手を添えて、前方に動かす手の運動。
           この訓練を患者たちは雑巾掛けと呼んでいた。
   ・ 新聞丸め、新聞ちぎり:新聞を丸める訓練。
      新聞を片手で押さえ、もう片方の手で端から三〜五CMくらいずつ破いていく訓練。
   ・ 新聞への線引き:新聞へ定規を当てて直線を引く訓練。左手で定規を押さえるのだが、動いてしまって困った。
 これらは都立大久保病院でやった訓練と同じだった。
   ・ 書写:字を書く練習もした。大きいマスのある小学校低学年生用のノートを使い、マスのなかに字を書く練習をした。
         マスが小さいと字が書けなかった。
 また、この病院の特徴として、病棟で毎日、看護婦指導の訓練があった。
 
そのほかに、決められた訓練だけやるのではもったいないと、毎日病棟の廊下で夜、患者何人かで自主リハビリ訓練をやった。

 三ヶ月のところ、四ヶ月半病院にいて退院した。東京都リハビリテーション病院に入院している間、土曜日と日曜日それと年末と年始はリハビリ訓練が休みで、毎週末に外泊して家にかえっていたので、アッという間に過ぎてしまったような気がする。
 東京都リハビリテーション病院への入院は、私にとってその後の人生を変えるような重要な意味があった。
 一つはここでのリハビリテーションの結果によって、「車椅子生活になることもやむなし」と決断したことである。
 二つ目は、車椅子生活になってからの生き方の柱として、パソコンに目を向けるきっかけとなるWindows 95の発売のテレビニュースを病院のテレビで見ることができたことである。
 入院中に、理学療法士の先生にWindows 95がインストールされたパソコンの画面を見せてもらったことも幸運だった。
 リハビリのため入院中に、日本でウィンドウズ95パソコンが発売されるという幸運も私に味方をしてくれた。
ウィンドウズパソコンとインターネットの普及が私に、「車椅子の生活でもできるコミュニケーションの方法」について、かすかな希望の光に見えたからである。



4 脳梗塞(ラクナ梗塞)の時

 
2012年(70歳)のとき自宅で発症した脳梗塞のときは、11月に寒い日が続いたため本人も家族も
 ・ 食事のとき右手でも茶碗が重く感じる
 ・ 自主リハビリで歩行器での歩行が厳しくなる。
 ・ 入浴じに手すりにつかまっての歩幅が狭くなる。
 ・ ろれつが少し回らなくなる。
などが脳梗塞によるものとはきがつかなかった。
金さんのかかりつけの済生会栗橋病院の脳外科を受診しCT検査で脳梗塞見つかるもMRIの検査を勧められ翌日MRI検査を受ける。脳外科で医師からMRI検査の説明を受け脳梗塞(ラクナ梗塞)のため即日入院となる。
 
 
入院して医師の回診時にリハビリの開始を言われる。実際にリハビリが開始したのは入院6日目で、それから4日間理学療法士(PT)。作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)による退院後自宅での日常生活に慣れる訓練を中心にリハビリ指導を受けた。


 済生会栗橋病院を10日間の入院で退院した。
 退院後はバリアフリーの自宅で週2日介護保険のリハビリ看護のサービスを受けて、それを基本にして、妻の協力を得ながら自主リハビリをやっている。そして今年もいろいろなところへ車椅子で出かけようと思う。