*0597 金さん(管理人) [関東] [06/12/31<日>-06:10]
感謝!
みなさま、今年一年お世話になりありがとうございました。
来年もよい年になるよう、お互いに頑張りましょう。
*0597-01 カミ@ダンカミ [06/12/31<日>-13:14]
こちらこそ一年間楽しいお付き合いをありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
*0597-02 ベースボール [東北] [06/12/31<日>-22:35]
私のほうこそ大変お世話になりました。
来年も宜しくお願い致します。
*0597-03 スー [06/12/31<日>-23:38]
今年、大変お世話になりました、楽しかったです。
来年も是非、出かけましょう。
我が家も、娘同然のニャンコを事故で亡くし、
二人ともかなり落ち込みました。今は、この子が
亡くなるほんの数日前に我が家にやってきた
やんちゃなゴン太に癒されています。
*0596 金さん [関東] [06/12/27<水>-17:31]
今日が年内の最終日
金さんの訪問リハビリと和さんのピアノ教室が
どちらも今日が年内の最終日でした。
年明けにはじまるまで、金さん&和さんで自主リハビリと
自主練習を毎日続けようと思います。
*0585 金さん [06/12/09<土>-11:11]
障害者の日を知っていますか?
今日12月9日は「障害者の日」でした。
なぜ「でした」と過去形でいうのかというと、平成16年6月に障害者基本法が改正され「障害者の日」が「障害者週間」へと拡大されたことに伴い「障害者の日」は法律から消えてたからです。「日」より「週間」の方が期間が長くてよいようですが、問題は中身ですよね! 多くの障害者は「障害者の日」が「障害者週間」へ変わったことを知りません。健常者も知らない人の方が多いでしょう。国及び地方公共団体がそのことも含めて障害者基本法の趣旨をもっともっとPRして欲しいと思います。
※ 以下の説明は、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)ホームページ
http://www8.cao.go.jp/shougai/kou-kei/shukan/shusi.html#shusi
より引用しました。
○ 経緯
平成16年6月に障害者基本法が改正され、それまで12月9日を「障害者の日」と定めていた規定から、12月3日から12月9日までを「障害者週間」と定める規定へと改められました。
12月9日は、昭和50年(1975年)に「障害者の権利宣言」が国連総会で採択された日であり、国際障害者年を記念して、昭和56年11月28日に国際障害者年推進本部が12月9日を「障害者の日」とすることに決定しました。その後、平成5年11月に心身障害者対策基本法が障害者基本法に改められた際に、12月9日を「障害者の日」とすることが法律にも規定されました。
一方、12月3日は、昭和57年(1982年)に「障害者に関する世界行動計画」が国連総会で採択された日であり、これを記念して平成4年(1992年)の第47回国連総会において、12月3日を「国際障害者デー」とすることが宣言されています。
「国際障害者デー」である12月3日から我が国の「障害者の日」である12月9日までの1週間については、平成7年6月27日に障害者施策推進本部が「障害者週間」とすることを決定しています。
今回の障害者基本法の改正により、「障害者の日」は「障害者週間」へと拡大され、これまで障害者施策推進本部決定で設定されていた「障害者週間」も法律に基づくものとなりました
○(参考)障害者基本法
第7条 国民の間に広く障害者の福祉についての関心と理解を深めるとともに、障害者が社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に積極的に参加する意欲を高めるため、障害者週間を設ける。
2 障害者週間は、12月3日から12月9日までの1週間とする。
3 国及び地方公共団体は、障害者週間の趣旨にふさわしい事業を実施するよう努めなければならない。
*0584 あだち [06/12/02<土>-17:53]
クリスマス
「勝手メール」おゆるしください。
■□■「心を強くするメッセージ」のご案内■□■
「あなたとクリスマス」
「クリスマス」は「神」が「人」を求めた「行為」
のことです。
つまり、あなたに「なぜ、生まれたのか」「なぜ、
生きるのか」 「なぜ、死ぬのか」という「在り様」を
示すために、御子(イエス・キリスト)をこの世にお
下しになったのです。
イエス・キリストとは、「イエス」は「キリスト」なり、
ということです。すなわちイエス(大工の子せがれ)
がキリスト(神の子せがれ)になった、ということです。
そうです、「人」が「神」になった、「A」が「B」に
なったということです。
ヒトが神を求めるのを「宗教」、カミが人を求める
のを「啓示」といいます。「聖書」はその啓示を恵示
におきかえてくれた、「神の言葉」です。
あなたも「A」から「B」になりませんか?
その「B」になることを「救い」といいます。しかし
救いは「癒し」が必要です。そして癒しは「赦し」、
罪のゆるしが絶対条件です。
罪とは「在」ること、ヒトは存在すること自体が罪
です。なぜならカミの言葉を「拒否」する「魂」が肉の
いのちだからです。
しかし、罪は自分で見ることができません。――
自分の「顔」が自分でみれないように。
鏡によって顔をみるように、ひとは「聖書」によって
のみしか、罪を悟ることができません。
罪とは悪いことをすることではありません。「善いこと」
ができないことです。
たくさんの「神々」をお持ちの「あなた」この機会に、
あなたを「新しく」なしてくださるキリストの神をご覧に
なりませんか――
それが「新約聖書」です。
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安達三郎 saburouid@excite.co.jp
*0581-01 金さん [06/12/01<金>-10:46]
スーさん、おはようございます。
「階段を車椅子で上る研究」ご苦労様です。
エレベーターのない所には行くのをためらっている人にとって
励みになる実証研究だと思います。
頑張ってください。
*0581-02 スー [06/12/04<月>-22:51]
今晩は、金さん
世の中広いものですね。同じことを考えている人が
必ずいると考え、再度、ネットで検索してみました。
やはりいました。ひとりで車椅子の人を介助して、
階段を上る人が。正直驚きましたよ。自分でも
やってみて駄目だと判断した後だったからです。
どうもやり方があるらしいです。具体的な
やり方は書いてはありませんでしたが、これから
もう少し、研鑽を積む予定です。