1999年

 

  「未知との遭遇」  10月16日(土曜日)

 

主人が二度目の脳出血に倒れてから、私の世界が広がってきた。

 

仕事も二倍に増えたし新しい交際も増えた。すべてが二倍になったようだ。

もともと家事一切は私の仕事であったが、

分担していた冠婚葬祭や町内会の奉仕作業や

少しばかりの田畑の管理の仕事まで「任される」ようになった。

じっとしている事が嫌いな私はよく「落ち着きのない女だな」と非難されたものだが、

この頃では誰に遠慮することなく動き回れるのでとても嬉しい。

 

主人の外出には運転手兼秘書として必ずお供で付いて行く。

いろいろなところで「家内でございます」と沢山の方たちと出会える。

今までは知らなかった世界が広がり、そこで新しい人達と楽しいお話ができる。

今まで味わったことのない素晴らしい体験ができてとても楽しい。

新しい世界の発見と感動との出会い

私にとって、まるで「未知との遭遇」のようだ。

 

主人には気の毒だが、私は大いに得をした感じがする。

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 冥福を祈る 8月14日(土曜日)

高校時代のクラブの友人から久しぶりに電話をもらった。

卒業してから40年近くなるというのに、

今でも毎年1回、私たちの遙か先輩から在校生までの集まりが続いている。

年により盛大だっだりささやかだったりはするがずっと交流が続いている。

とりわけ私たちの年次は出席率もよく何かとまとまっていた。

 

私は主人が2回目に倒れてからここ5年は欠席している。

電話は悲しい知らせだった。私にとっては

クラブの友人であると同時にクラスメイトの仲良し4人組の1人でもある

友人が亡くなって既に内輪で弔いを済ませたらしいというものだった。

 

彼女は、7年ほど前にご主人と父上を続けて亡くされ、

まだ高校生・中学生のお嬢さんを抱えて頑張っていたのだが、

4年ほどまえには自身がくも膜下出血に倒れ療養を続けていた。

少し歩くのが不自由になってはいたが、最近ではクラブの集まりにも

出席できるまでに回復していたらしい。

 

早速来週末にお線香を上げに行く約束をして電話を切った。

仲良し4人組も2人欠けてしまった。

先を急いで逝ったもう1人の友人とは

卒業後30年の年に金沢、能登方面に旅行した楽しい思い出がある。

いろいろなことが、走馬燈のように思い出された。

おりしも月遅れのお盆、冥福を祈って家の仏壇に焼香した。

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 月がとっても青い・・  7月27日(火曜日)

夕飯を食べ終わって洗濯物を干しながら軒先から見上げると

天空にウサギのシルエットを浮かび上がらせた十三夜の月が輝いていた。

青々とした稲田を渡って吹いてくる風が昼間の暑さを忘れさせてくれる。

今夜はいつになく車の音も聞こえず久しぶりにゆったりした気分になった。

暫くぼーっと星空を見上げていたら、

こんな歌があったっけと思い出されて

♪♪月がとっても青いから・・遠まわりして帰ろ・・♪♪ 口ずさんでみた。

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 うひょ!  7月20日(火曜日

車の免許をとった息子がやっと中古車を手に入れた。

こだわり屋の息子は7年ほど前まで生産していた車種のマニュアル車を探して、

知り合いの車やさんに頼んでいたのだがなかなか見つからず、諦めてその後継車にしてやっと見つけた物だ。

車好きの若者に人気があってステッカーを貼ったりシートやハンドルを取り替えて楽しんでいるらしい。

しかし、息子はそのように改造?する事は好きではないらしく車本来の形に戻してもらった。

少々余分にお金がかかったが私は安心した。

その夜遅く「痛てー」と言う声で目が覚めた。

居間で頭を抱えてうずくまっている息子に「どうしたの!」と声を掛けると

「うひょ!!」と飛び上がったら部屋の鴨居に思い切り頭をぶつけたとの事。

感情を露わにしない息子も自分の車が手に入って余程嬉しかったらしい。

頭にアイスノンをくくりつけて自室に引き上げていく姿に笑いをこらえ切れなかった

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 時のながれ  7月17日(土曜日

昨日、叔母の連れ合いの葬儀があった。

梅雨の晴れ間の蒸し暑い日だった。僧侶の読経の間いろいろな事が思い出されてきた。

その1つ1つに登場してくる人たちの何人かは既に鬼籍に入り、

今、葬儀に参列している人達もすっかり年をとった。

人はこのように読経と線香の煙に送られて土に還っていくんだなあ・・しみじみ思った。

お坊さんの法話の中で

「亡くなった人はあの世で仏になるために日々修行をしないといけない。七七日の間

毎朝お線香をあげて立派な仏様になれる様応援してあげて下さい。」

何処の世界でも一生懸命修行しないといけないらしい。

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◇ まったく・・ 7月 3日 (土曜日)

表で「ミャーミャー」子猫の鳴き声がする。しかも、1匹では無いらしい。

案の上息子がまだ目も開かない3匹の子猫を抱えている。

犬の散歩の途中で捨てられているの見つけて持って帰ってきたもので

「あのままだと死んでしまうしカラスの餌食になってしまう」と言う。

どうも見捨てて来ることが出来なかったようだ。

自分の小遣いからミルクとほ乳瓶を買ってきて朝晩与えている。

 

すでに犬2匹、猫2匹がいるので我が家で飼うというのは困難だ。

丁度NHKテレビでアフリカの野生動物の生態の放映があった。

それは弱肉強食の世界で弱いものはそれなりの知恵で生き残り、

不幸にして死してもそれはまた別の新しい命をはぐくんでいく・・というものだ。

しかし、子猫にミルクを与え「育てる」事に懸命になっている息子を目の前にして

そのような残酷なことは言えない。

幼稚園や学校で飼っているウサギやモルモットが殺されるニュースが聞かれるがそのように

無抵抗な命を絶つ残虐な行為は許されるべきではないが、

優しすぎるのも何か問題のような気がする?

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◇ スイミー  6月27日(日曜日)

我が家の子供達の大好きな絵本の1つだった。

小魚たちが広い海のなかで大きな魚に対向するために、いろいろ知恵を出し合った。

それぞれが持ち場持ち場を守り1匹の大きな魚に見えるようにしょうと意見がまとまり、

小魚の1匹が「ボクが目になろう」といった。

そのスイミーという名前の1匹の魚を中心にして団結し成功する小魚たちの物語である。

困難に出会った時、一致団結して事にあたれば解決できるという教えだ。

 

我が家も数々のアクシデントに見舞われたがその都度何とか乗り切れたのは、家族の協力だったと思う。

ある時は父が「核」となり、ある時は母が「目」になって・・・・・。

 

今、車椅子生活の主人を中心にして、家族の生活スケジュールが構成されている。

結婚した長女もすすんで協力してくれる。

お互いに時間を出し合い・気使うという事が自然な流れになっている。

本当に有り難い事だ。

 

主人は「おれの生き方に感じるものが有るからだろう!」といい

私は「母親の苦労を見かねてよ!」と思っているが、真実はどちらだろう?

 

答は子供達に聞くのが一番である。

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◇ スピード  6月26日(土曜日)

パソコンの普及で情報収集の手段としても情報伝達の方法としてもインターネットは優れて早い。

居ながらにして地球規模の情報を手に入れることが出来る。しかも素早く。

一方、情報伝達の方法としてE―メールも一般化されつつある。

電話のように相手を拘束することなく、送り手としての自分自身も相手の都合を気にせずに送信出来る。

先日も外国にE―メールを出したら、時間差なく返信メールが来て感嘆した。

障害者である主人がパソコンを手放せないでいる訳がよくわかる。

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◇ 青梅の匂い  5月30日(日曜日) 

久しぶりに長女夫婦が訪ねてきた。

お姑さんが毎年梅酒を作っているそうで今年は我が家の梅で作ろうと言うことになって

お姑さんと一緒に来たものである。

梅もぎもいつもは私1人で行っていた作業で

去年はおばあちゃんの入院さわぎでとうとう1粒も採らずじまいだった。

何でも作業となると大勢の方が楽しいし効率も良い。

虫よけのスプレーをして早速取り掛かる。私はどういう訳か蚊に刺され易く

今日も1人だけあちこち喰われ「蚊もお人好しな人がわかるのかしら」と悔しがった。

 

消毒や枝切りなどの手入れが行き届かず収穫は今一だった。

長女の夫が来年に期待してこれからは皆で草むしりや消毒などやっていこうと申し出てくれた。

私はそう言った事を期待していたわけではないので嬉しくなった。

長女も嫁いで外から実家を見たとき、人手不足で草が延び放題の

庭や手入れの届かぬ家の回りの様子に密かに心を痛めていたようだ。

採ったばかりの青梅の爽やかな匂いと同じく心の中を爽やかな風が吹き抜けた。

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◇ 蚊取り線香  5月22日(土曜日) 

地球の温暖化が言われているが、まだ5月の半ばだというのに25度を越える夏日があり、

竹藪や屋敷林から夕方になると藪蚊や虫たちが灯りを求めて集まってくる。

今夜は早速、香取線香を焚いた。懐かしい匂いが立ちこめる。

煙の出ない電気で薫蒸するものもでているが私はやっぱり煙りの見える香取線香の方が好きだ。

今は蚊遣りも「ブタ」だけでなくいろいろな形のものがあっておもしろい。

去年からかわいい猫の形のものを使っている。

香取線香に限らず生活用品も便利なものが出て衛生面の向上に大いに役立っているが、

安全面や地球への優しさとなるとどうなのかなと思う。

除菌・除菌で有用な微生物まで死滅させてしまう話。

人間の出す生ゴミを餌に増え続けるカラスの話。

カラスに雛をねらわれる小鳥たちの話。

毛虫を食べる小鳥が減っている話。

先人達の知恵を学んで地球上の生物が共存して行く事が大事だと思う。

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◇ そして誰もいなくなった・・気分  5月17日(月曜日)

主人が昨日の夕方マンションに帰り、今日から息子が学校の合宿に3泊4日で出かけた。

いつものように9時過ぎに帰宅すると

家の中は真っ暗で、玄関先の2匹の犬も小屋から出てこない。

暗闇の中でハムスターのチューちゃんだけが「カラカラカラ」と運動している。

玄関の鍵を開けながら急にわびしくなった。

朝出勤した時と寸分変わらぬ様子の室内で、あり合わせの夕飯を済ませた後、

自分の好きなように使える時間が有るというのに何をしようか思い浮かばない。

テレビのチャンネルをガチャガチャ切り替えてみたがつまらない。

今まで3世代6人家族で、子供達が小さかった頃は

笑うもの、泣くもの、怒るものと賑やかで早く静かな暮らしがしたいと思っていた。

ところが、こうなると「ちょっと!!誰かいないの?」

シ〜ンと静まり返った闇に向かって叫びたくなる。

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◇ ちょっと!・・迷惑なんですけど・・5月10日(月曜日)

連休明けの今日は休みボケの為か殊のほか疲れた。

帰りの電車はラッキーなことに座ることが出来た。丁度1時間眠って帰れると思った。

10分ほど気持ちよくうとうとしただろうか肩に掛かる重さで目が覚めた。

隣りを見ると新入社員とおぼしき男性が

飲みかけのペットボトルを落としたのも気づかず寝こけている。

時々ハッと目を覚まし「ぐびぐび」とミネラルウオ―ターを飲んでは又寝てしまう。

私は前後左右にゆれるその人が気になって眠るどころではなく、

すっかり目が覚めてしまった。

とびきりのご馳走を前にして夢からさまされたような気分だ。

きっと私の様子を見ていた人がいたら、

眠り損ねたおばさんの間抜けなうかぬ顔が笑えたに違いない。

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二人の母  5月8日(土曜日)

長女の嫁ぎ先の両親の家は我が家の隣町で車で10分足らずの所にある。

遅めの昼食を食べてのんびりお茶を飲んでいると

「ピンポーン」 お姑さんが見えた。

「まあまあ、散らかってますがどうぞどうぞ」

 慌ててテーブルのうえの皿や茶碗を片づけた。

「なにもする事がないのでちょっと来てみました。

○○さんから、今朝カーネーションが届きましたよ。

電話でゴールデンウィークも息子が出勤なので帰れないって」とお姑さん

「あら、こっちには何もないですよ電話もないですし」

と言いながら私はほっとしていた。

私宛にカーネーションが届かないのは少し寂しいけど

嫁ぎ先の両親を大事にしている様子が解ったからだ。

昨年も「お誕生日に○○さんからカサブランカの球根を贈られた」と

花好きなお姑さんは喜んでいた。

それから1時間ほどおしゃべりして帰っていかれた。

しばらくして「ピンポーン」カネーションを抱えた宅配やさんが立っていた。

夕方、東京の長女に電話をした。

お姑さんが見えておしゃべりしたことを簡単に話すと

「そんな訳ないでしょ、だめよひがんじゃ。

ちゃんとお姑さんにも言っておいてよ。お母さんにも届いたって」

「ハイ ハイすいませんでした。どうもありがとうね」

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ゴールデンウイーク  5月5日(水曜日)

あっという間に過ぎてしまった。

テレビや新聞は行楽地の混雑を報じているが人混みに出かけるのは億劫だ。

憲法記念日に憲法のなんたるかを考えることもなく、こどもの日に子供達の声もなく、

スーパーマーケットで買った柏餅をほおばって

・・なんともつまらない。

 

子供達が小さかった頃は家族で必ず出かけたものだ。

子供達は勿論だがおばあちゃんが一番はしゃいでいたかも知れない。

バーベキュウのセットを持ったりおにぎり弁当を持って。

遊び疲れて帰りの車の中はみ〜んな「グー・スー」

・・懐かしがってばかりじゃいけない。年を取った証拠!!

 

ゴールデンウイークの最終日に次女がカーネーションをもって帰ってきた。

「ちょと早いけど、母の日は休めないからね。なにしてたの?」

「草取り三昧。お母さん思ったんだけどリタイヤしたら

ゴールデンウイークには海外旅行しようと思うんだ。」

「リタイヤしたら、なにもゴールデンウイークじゃなくてもいいんじゃないの?」

「あツ そうか」

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年をとる訳だ! 4月18日(日曜日)

主人の甥から3人目の子供が生まれたという電話をもらった。
我が家と同じで「末つ子長男」
おしゃまなお姉ちゃん達の「世話焼き」が目に浮かぶようだ。

もう30年も前になるが、長野の舅・姑のお盆参りに行った帰りの列車は
超満員で身動きもとれないほど混雑していた。
小さかった甥は飽きてしまって、30分ごとに「おしっこ」と言う。
何度かトイレに連れていっていた辛抱強い兄嫁も、とうとう
「そこにしちゃいなさい!!」と叱っていた。

その甥が3人の子持ちになって立派なお父さんになってしまった。

我々も気持ちの上では若いつもりでも年をとる訳だ。
その夜夢を見た。髪がフサフサして颯爽と歩いている主人と
なぜか現在の私が電車を乗り間違えて知らない街に下り立った。
迷路のようなショッピング街を歩いているうちに、
私がはぐれてしまってうろうろしていると
「・・・・さん・・・・さん」と呼出のアナウンスが聞こえてくる。
そこで「ハッ」と目が醒めた。
夢は願望を表すとも言われるから
「年をとったものだ!」と認めたくないのかもしれない。

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輝いていた頃  4月15日(木曜日)

インターネットを通じていろいろな人と知り会うことが出来る。時には、
過去の一時期を共有した人と巡りあったりすることもある。
先日、主人は、主人のホームページを見た人からのメールで、
「懐かしいなあ」との思いを抱いたようである。
高校の後輩からのメールで、「あの時の先輩ですか?」とあり、
名物先生達の話題で盛り上がっていた。
生徒会長や弁論部での活動で目立っていたらしい。
私達の年齢になるとその頃が一番輝いていたと思えるのではないだろうか。

その後の人生での努力と運で成功し、社会的には輝くことは沢山あるが、
「希望・夢・未来」という輝きにはかなわない気がする。
ドラマの題名のようであるが誰にでもあった輝いていた頃!

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本人の努力もさることながら・・・4月 7日 (水曜日)

今朝、地下鉄を待っている茗荷谷の駅のホームから崖のうえの満開の桜が見えた。

風もないのに一ひら二ひら花びらが舞っていて日本の春を代表するような風情である。

主人が復職して職場に近いこの駅から10分程のマンションに住むようになって

三度目の春を迎えるが、

この様に穏やかな気持ちで辺りの景色を眺めるのは始めてのことだ。

職場の方々の理解と子供たちの協力に支えられ

「綱渡り」のような生活だがもうすぐ三年になる。

いろいろ頭の中で考えてみると、無理と思われたような大変な事も

実際にやってみると何とかなるものだと思えるようになって来た。

復職が決まり、勤務先がわかってから、

「その近くにマンションを見つけて契約し、家具・什器を調達し、

引っ越す作業を1週間で済ませる」とか

「マンションのお風呂の改修を二日で終わらせる」とか

「毎週末、主人を埼玉の自宅に連れて帰り

またマンションに連れて戻る生活が本当に続けられるか」とか・・・

今考えるとずいぶん無茶なことを「まず走りながら」実行して来た。

この頃「綱渡り」のような生活にもなれ、少しゆとりが出てきたのかも知れない。

田舎のおばさんからの年賀状に「良くぞここまで回復して・・・本人の努力もさる事ながら

家族の苦労はいかばかりか・・・」とあった。本当だよ!!

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念願 1999年 3月 13日 (土曜日)

もうすぐお彼岸が来る。

前々から気になっていたお墓の改修が私の父の33回忌にあたる今年無事終わった。

先祖代々眠るその「内墓」は屋敷内の一角にあり、昔は土葬だったため

共同墓地にくらべると面積も広く仕守が大変だった。

ここには代々の跡取りが入り、幼くして亡くなった子供達やその他の人たちは

共同墓地のお墓に入ると言うことになっているそうだがこれからはどうなるのだろうか?

数百年の風雪に耐えた墓石たちは

綺麗に苔を落とされ新しい台座の上で春の日射しを受けている。

「これで、お彼岸が来る!お盆が来る!

と慌てて草むしりする事もなくなってよかったわ!!」と私

「人間、近くなるとお墓の事が気になるらしいよ」と夫

「いいじゃないの生き続ける人はいないんだから、

それより思わず入ってみたくなるような立派な出来映えだわよ」

お彼岸の御中日にお坊さんにお経をお願いしてある。久しぶりに家族揃って墓参りができる。

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卒業 1999年 3月  6日 (土曜日)

親の責任から解き放たれる日がとうとうやってきた。

今日は長男の高校の卒業式。卒業式にも何回か出席しているが、粛粛とシンプルな良い式だった。

あるクラスでは、クラス代表の号令のもと「先生! ありがとう!!」

初めて卒業生を受け持った様な若い袴姿の女性担任を泣かせたりしていた。

「若いって良いなあ。いっぱいの夢・可能性があるもの」

これからは息子が自分の人生をどう設計するのか。見守って行こう。

同じ親から生まれ同じ様に育てても、子供達はそれぞれの性格があり長所・短所も様々である。

長女はこの学区ではトップの進学校に進み去年そこの同級生と結婚することに成ったが、

同世代の女の子達が興味を持つような世事には疎く、

読書が好きで本さえあれば幸せと今も図書館通いが続いている。

二女は結構強情で自分の意志を貫く処があり、

高校受験も当時は少なかった外国語コースを選び、短大からアメリカ留学を決行した。

長男は推薦で通学に便利な地元の県立高校に進み、

初から専門学校行を決めてゆとりの高校生活で皆勤賞を物にした。

親の希望からすると歯がゆさや不満もあるが、されど我が子…である。

三人三様であるが健康が一番!!

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母さんのうた  1999年 2月7日(日曜日)

「かあさんが♪夜なべをして手袋編んでくれた・・♪」

誰でも知っているあの歌が、

主人の故郷の信州新町をイメージして作られていたと日曜日の朝偶然テレビを見て知った。

長野市から犀川沿いに松本方面に40分ほど入った山里である。

作家有島武郎の弟で画家の有島生馬はこの地をこよなく愛し、よく訪れたそうだ。

その生馬が名付けたという琅鶴湖(ろうかくこ)や

犀川のゆったりとした流れが映し出されていて懐かしくなった。

作詞した窪田 聡さんは、そこに1年間疎開していたそうであるが、

その後、歌声運動に携わり勘当されたと言うことだった。しかし、

どんな時でもお母さんが暖かく見守ってくれて、それがこの歌につながったという。

窪田さんは、「子育てを1つの事業と考えたとき、

産み、育て、躾ける、きちっとこの事業を成し遂げたのは、

この母達の時代までだったのではないか」と言っていた。

価値感も経済的豊かさも当時とは比べようもないが、確かに手袋1つを取ってみても、

我が子に夜なべして編んでやる母親がいま何人いるだろうか。

だいたい「夜なべ」という言葉自体死語に近い。

せめて精神だけは「木枯らし吹いちゃ冷たかろうと♪とせっせと編んだだよ♪・・」

の気持ちを持って接したい。

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思う  1999年 1月31日(日曜日)

立春間近な日曜日の午後、ガラス越に入る陽の光は結構強い。

冬枯れの庭のもみじの枝に「うぐいす」だろうか?黄緑がかった小鳥が

尾をピンと立ててとまっている。

日だまりの黒松の根本には水仙の芽が顔を出し始めた。

私は、この季節が好きだ。生きとし生きるものの躍動を感じる。

子犬の「アイン」が芝生の上をよちよち歩き回っている。

「アイン!アイン!」一瞬尻餅をつくような格好をし、

私を見定めてからネコジャラシのような尻尾を振りながらかけてきた。

むくむくしたその子犬は膝の上で何の警戒もなく抱かれている。

乳臭いような、風呂上がりの匂いにも似た無垢な匂いだ。

これは人間の赤ちゃんと同じだと思った。

昼下がりのひととき穏やかに時が過ぎてゆく。

人生の下りにかかった今、これからをどう過ごすべきなのか考えていかなければならない。

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「・・許されており父の時代は」 1999年 1月28日 (木曜日)

俵 万智さんの歌集の中に「・・許されており父の時代は」と言うのがある。

元気な頃の夫は、残業、飲み会、ゴルフと家庭内の事は私に任せ切りで、

たまに暇が出来ても将棋道場などに出かけたりの状態だった。

そのような夫の諸業をチクリと皮肉ったり、自分自身を納得させるためには、ぴったりの歌のようだ。

末っ子の長男は、いわゆる勉強は好きではないが自分の興味のある事にはえらく熱心で、

本を読んだりインターネットから情報を仕入れたりしているようだ。

また、凝り性で気に入らなければ何度でもやり直したりする。

通学用の自転車もピカピカでなければ気が済まず、

3年間履き続けたリーガルの短靴もせっせと埃を払い続けている。

この頃は友達から貰った子犬の世話に余念がない。

寒いこの時期ミルクを暖めたり夜になると湯たんぽを入れたり労を惜しまない。

私は、このところ仕事が忙しく帰宅が夜中になることが多かった。

そんなとき見るに見かねたのか、必要に迫られたのか洗濯をしてくれて、

私のブラウスも形を整えられてハンガーに掛けられ寒々しい月あかりを受けて軒先で揺れていた。

「許されない父の時代」を生きなければならない息子達は自然とこうなるのだろうか?

私は女性として性差による観念が取り払われていくことは良いことだと思う反面、

母親としては可哀想な気がして複雑な心境になった。

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新年会 1999年 1月 2日 (土曜日)

恒例の新年会が今年も我が家で開かれた。

兄弟持ち回りでかれこれ25年も続いているものだが、

主人が病気してからは、我が家が常宿になった。

小さかった甥や姪達も結婚してそれぞれ父となり母となっている。

そして兄や兄嫁はその孫達に「ジジ!」「ババ!」と呼ばれ好々爺している。

月日の流れをあらためて実感する。

新年会の話題は懐古的で、いつも決まって登場する「定番」もある。

子供の頃生卵を2人で分けて食べた話・・・なぜか勝った方が喜んで白身を食べ、

負けた方が悔しがって黄身を食べる??

舅の愛用していた将棋盤を燃やしてしまった姑の話・・・

猫の手も借りたい農繁期に悠長に将棋を指している舅に

働き者で世話好きの姑も堪忍袋の緒が切れたらしい。

兄弟達の昔話に物静かだった舅や少し腰の曲がった姑の姿、

いたずらっぽく白い歯を見せて野山を駆け回る子供の頃の兄弟達の姿が目に浮かんでくる。

そして、去年は何処そこの家がお墓参りに行ったけど、

今年の夏は何処の家が墓参りに行けるか等の話になる。

今年は、主人の体力もついてきたし体調が良ければ久方ぶりに行ってみようかと言うことになった。

それにしても、車椅子で利用できる宿泊施設を探さなければならない。

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