2003年

◇ 時移り・・今 12月24日(水)

今日はクリスマスイブ、都会ではイルミネーションに飾られた街角の様子が伝えられ若いカップルが
楽しそうに行き交っている。
クリスマスカードが長女からは郵便で次女からはメールで届いた。
我が家はクリスチャンでもないし、この年になると「ああクリスマスなのね」と言ったところであるが、
子供たちが折に触れ気にかけてくれるので有難い。
子供たちが小さかった頃は、クリスマスイブになるとツリーや大きなデコレーションケーキを飾り、
プレゼントを交換して賑やかだった。
そして、 誰がケーキに飾られているチョコレートを食べるのかでもめたりした。
仮装の鼻めがねやちょびひげの似合い具合を競ったり、みんなで歌をうたったり
ささやかなパーティを楽しんだものだ。

もう40年も前になるだろうか?
まだ父が元気な頃、ある年のクリスマスイブに私は今の主人とデートをして10時過ぎに帰った。
食卓にはそのころ流行ったアイスクリームのデコレーションケーキがぽつんと置かれていた。
父はすでに就寝していたが、私と一緒に食べようと買ってきたものだ。
今、ふとその事を思い出すとあのときの父の気持ちが痛いほど伝わってくる。

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◇ 年々歳々  12月1日(月)



今年もシャコ葉サボテンが咲き出した。
生命力の強い植物で挿し葉で簡単に増やせるし、
なんと言っても手がかからないので有りがたい。
ピンクや赤やオレンジと花の色もたくさん有って楽しい。
昨日無事母の一周忌を済ませほっとした。
前日から降り続いた雨もお墓参りする頃には上がり
参列者の間からは
「おばあちゃんの功徳で止んだんだよ」
という声が聞こえた。

葬儀の日も土砂降りの酷い天気だったから
母が何か思い残すことが有ったのだろうかとずっと気になっていたのだが、
薄日の差し始めた墓前で自分の気持ちの和らぐのを感じた。

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◇ 穏やかな日差し   11月11日(火)

子供たち3人から胡蝶蘭の鉢植えが届いた。

「結婚記念日おめでとう!いつまでも仲良く元気でいてください。」と

メッセージカードが添えられていた。

そう言えば結婚35周年の記念の年だ。

嬉しい事も、苦しい事も、悲しいことも、

数え切れない程の事々があったが

若かったし子供たちが居たから頑張って来られたのだと思っている。

日差しの柔らかい縁側で美しい花を見ながら

今の幸せをかみしめている。




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私も生産者  6月6日(金)

わが町に「ふるさと創生センター(道の駅)」と言うのがある。
駐車場、休憩所、レストラン、トイレ、公衆電話などが気軽に使えるので、結構利用する人が多い。
ここでは、コシヒカリなど地元産の生産物や加工品も販売している。
「道の駅」は、全国的に設置されているが、立ち寄る人たちに便利なだけでなく、地域の活性化にも役だっているようだ。

わが町の創生センターの品揃えは豊富であるが、足りないところは市場から仕入れているようだ。
「ふるさと創生センター」としては地元で採れたものをなるべく並べたいらしい。
私もひょんな事から「青うめ」を出品することにした。
生産者登録をして、ロゴシールを貼って恐る恐る持ち込んだ。
結果は見事完売。早速来年の収穫に備えて図書館で「果樹の手入れ」の本を借りてきた。


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シルバー農園    5月10日(土)

農業1年生の私は、張り切って春まき野菜の種や苗をいろいろ買ってきた。
かぶ、大根、小松菜、ほうれん草・・・
同じ頃に作業を始めた近所の畑と較べるとまばらにしか芽が出ていない。
きゅうりやナス苗の生長も劣っているのが一目瞭然だ。
近所の人の話では土が悪いそうだ。
農作物はまず土ずくリが基本のようだ。

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楽しい新生活!   4月10日(木)

いろいろ考えるところがあって、この3月末40年に及ぶ公務員を退職した。
仕事と子育てと主人の介護等で今まで時間の余裕が全くなかったが
これからは少し自分のための時間も持てそうだ。
老後は心豊かに楽しく暮らしたいと思っている。
そのためには先ず健康であること。そして地域の中で沢山の友人知人を持つことが大事だと思う。
今からそのための準備も必要だ。
手始めにみんなが気楽に立ち寄れるバリアフリーのシルバー住宅を計画している。
荒れ放題になっている母が住んでいた母家の解体から始めよう。

5月からは地域の友人に誘われて太極拳と茶の湯を習うことにしている。
3匹の愛犬は、毎日の散歩を楽しみにしていて時間がくると催促するし
1日がアッと言う間に過ぎていく。



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◇ 友人の別荘訪問  2月23日(日)

友人の別荘訪問  2月23日(日)

先日、友人のTさんの別荘を訪ねた。

前々から訪問する予定だったが、やっと念願かなって実現した。

東京駅から高速バスで1時間半。遠足気分でおしゃべりしている間に着いた。

バスターミナルで待つこと10分余り、千葉から来るもう1人の友人が愛車で私達を

拾ってくれた。

「以外と近いのね。高速だと30分ちょっとで来ちゃうのよ」と言った。

途中スーパーマーケットに寄って鍋の材料を調達し、サッカー場やゴルフ場を横目に

期待にわくわくしながら別荘に向かう。 

 スーパーマーケットでは千葉の友人が

 「わー安い!」と自宅用に野菜類を

 買い求め、
主婦の一面をのぞかせた。

 その別荘は、松の雑木林を抜けると

 あった。

 広い敷地は垣根に囲まれ庭には芝生が

 根付いている。

 既に何軒か建っており、建築中の家も
 あった。

 シンプルな間取りの屋内は燦々と光りが入り

 健康的で解放感に溢れていた。

 

 

今日の献立はあんこう鍋。

早速Tさんが出刃包丁を・・

 

鍋のあとは腹ごなしに外に出て小さな

春を探した。

植物好きのTさんは、庭にいろいろな

草花を植えて楽しんでいる。

「あれが記念樹のモミジでしょ。これ

は白梅、それは椿・・」

等々。水仙やクロッカスの球根類が芽

を出し始め、

隅の方ではふきのとうが丸い頭をのぞかせて春本番を待ちかねていた。

普段は東京の下町でマンション生活をしているTさん夫妻であるが、週末や連休にはここに

来て
庭いじりをしたり釣りをしたり、時にはボーっと過ごすとのこと。

幸せを絵に描いたような羨ましい生活であるが、6畳一間から始まったTさん達を知っている

だけに、このような
別荘ライフも、40年近くがむしゃらに働いた対価として,決して贅沢で

はないような気がしてきた。

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◇ 一段落  1月18日(土)

母の四十九日の法要を無事済ませ祭壇を片づけてしまうと何かとガサガサしていた家(うち)が急に静まりかえって

今まで張っていた気が抜けてしまった。

母の妹である叔母から電話が来て

「おばあちゃんも大勢の人に送ってもらって喜んでいると思うよ。それにしても大変だったね。貴女もよく面倒見たよ。

 おばあちゃん感謝しているよ。私達姉弟も二人になってしまったって寂しいよ。」

とりとめなく思い出話をして電話を切ったが叔母の落胆ぶりが痛々しい。

親を見送り、順番から行けば今度は私達の番。心してこれから生活していきたい。

急に、嫁いだ娘達に手紙を書きたくなった。

 

前 略

今年は寒さが厳しいようですが、おばあちゃんの49日はとても暖かく良かったですね。
お葬式からの一連の行事が終わり49日で喪が明けました。

おばあちゃんの位牌を仏壇に納めてやっとご先祖さまの仲間入りを済ませました。
おばあちゃん、そそっかしいから天国でおじいちゃんに巡り会えたでしょうか? ちょっと心配です。

あなた達がいろいろやってくれたのでとても心強くまた誇りにも感じました。
○○君も○○君も忙しいのに本当にご苦労さまでした。素晴らしい息子が2人増えて自慢です。
弟の○もこれから人生勉強してお父さんの替わりになってくれることを期待しています。
お姉ちゃんたちのサポートよろしくお願いします。

お父さん、お母さんはなるべく子供達に頼らずに生活出来れば良いと思っていますが
それには健康が第一ですから無理をしないようにします。しかし、先の事はわかりません。
面倒をかけることも有るかも知れません。その時はよろしくお願いします。
あなた達は人生これからです。いろいろな事がありますよ。
でも夫婦、姉弟お互いに仲良く助け合って行けば必ず解決できます。

暖かくなったらまた遊びに来てください。お母さんも春が待ち遠しいです。
皆、身体に気をつけて頑張って下さい。

かしこ

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