2011年




◇ 老猫シロの死  12月 6日 (火)

わが家の長老猫だったシロが死んだ。 
シロは20年以上もわが家で家族の一員として過ごしてきた。
悲しい出来事であるがこれも命あるものの宿命なのだから受け入れるしかない。

シロは、息子が小学生の頃学校の帰り道にゴミ捨て場で「みゃ〜・みゃ〜」啼いていた
ところを連れて帰ってきたものだ。
その頃、息子が母親がわりにミルクを飲ませたり、寒くないようにと寝床を整えたりと
かいがいしく世話をやいていたのを思い出す。

動物好きのわが家では、常に犬と猫を数匹飼っていた。 
動物たちは、それぞれに性格が異なり、人なつこいものとそうでないものがいた。
シロは雌猫でおとなしい性格だった。
いつも誰の処へでも寄って来るので皆から可愛がられていた。
シロの若い頃数匹産まれた子猫たちは、シロよりみんな先に死んでしまっていた。
もう20歳を過ぎているのだから、人間の年齢に置き換えると100歳を超えている。
相当の老齢期なのに食欲は旺盛で、私の姿を見ると時間に関係なくすり寄ってきて
餌をねだっていた。

死ぬ数日前のことである。
それまでは我が家の敷地から外に出たことが無かったのに
どういう訳なのか二回も裏の道を越えて用水路に落ちていた。
水の少ない時期なのでよかったが見つけてシャワーをかけたりドライヤーで乾かしたり
大変だった。
よく動物は死期を悟ると姿を消すと聞いたことがあるが、
もしかすると、どこか家人の眼につかない所へ旅に出ようとしていたのであろうか? 
そんなことがあって数日後から急激に衰弱して目は閉じて耳も聞こえないようだった。
それでも 「シロ!・シロ!」 と頭をなでてやると 
「うお〜ん・うお〜ん」返事をするように低いうなり声をあげ 
そして静かに息をひきとった。


 〔目次に戻る



◇ 久しぶりの歓談二態 7月 1日(金)

暑い夏を予測させるように6月24日熊谷市で6月としては史上最高となる39・8度を観測したとニュースが報じている。 
毎年春に主人の職場の同年配の友人が家に集まってワイワイ旧交を温めているが、今年は少し遅れて訪ねてくれた。 
幸い、その日(6月25日土曜日)は霧雨模様の涼しい日で助かった。 
みな、何年か前に勤めをリタイアしているので、それなりに容姿は高齢者らしくなっている。
しかし、お酒が入ると若い時そのままにお互いの持論をぶつけ合って延々と議論が続くようだ。 
気心の知れたメンバーなので遠慮する事もない。
夕方、「また来ますよ!」と帰って行ったが、この集まりがいつまでも続くといいなあ! と思った。
           
次の日26日の日曜日は、主人の兄・姉・妹が連れ合いと共に集まった。 
いつもは春の暖かくなった頃に集まっているのだが、今年は東日本大震災が有ったので今頃になってしまった。 
それでもお互いの息災を喜び合ったり、近況を確かめたり 例によって故郷の幼い頃の思い出話などに華が咲いて
楽しい一日となった。 
そして、先日主人と探しておいた古い写真、
祖母 両親、兄姉、幼い頃の主人、の家族6人が写っている60年以上も前のたった一枚きりの写真である。
焼き増ししてあったのを、みなで見て懐かしがった。 
文字通りセピアいろの写真である。 
一番下の妹は「私は写っていないんだ〜」と寂しそうだったが、まだ生まれていないので仕方がない。
スキャナで焼き増ししたのをそれぞれが持ち帰った。

「お互いに身体には気を付けようね」と労りあって別れた。

 〔目次に戻る



 頑張ろう!みんなで!! 4月3日(日)

地震と津波で壊滅的な被害を受けた沿岸部の人たちや原発事故の被害から避難を余儀なくされた人たちが大勢いる。 
私の住む加須市にも、福島県の原発の避難地域の町から1200人余りの人たちが町役場ごと避難してきた。
不自由な生活を強いられると思うが頑張って欲しい。
それにしても、福島第一原発の事故はまだ収束のメドが立たないという。
クリーンなエネルギーと言うことで日本中に数十基の発電所が稼働していると言うことだが恐ろしい物だと改めて思った。
人類の英知で作り出された物で恩恵も沢山与えてくれるが、ひとたび暴走するとそれを作った人類の言うことを聞かないという 
ひたすら水をかけて沸騰を鎮めるしかないとは・・・・自然の暴挙は堅固な耐震構造も津波対策も簡単にぶち壊し
五重の安全の壁の神話が崩れた。 
しかし 被災した人たちは子供達を育て老親の介護をし生きていかなければならない 
一日も早くこの災害が収まり安心して住める町に復興して欲しいと願う。

 〔目次に戻る




◇ 計画停電 の開始 3月17日(木)

3月14日からサービスエリアを5つのグループに分け東京電力の計画停電が始まった。
家でも3月16日17:00頃から21:30分頃までロウソクの灯りで不安な夜を過ごした。
時々緊急地震速報の「ビー・ビー・ビー」と携帯メールの音が響く。 
これがなると、車椅子の主人は殊のほか神経質に身構える。
窓からは何事も無かったように青白く静かに月明かりが差し込む。
電気・ガス・水道と日頃何気なく当たり前のように使っていたモノが
当たり前で無くなった時その大切さを思い知る 
このことは直接・間接に日本中で体験し考えさせられた事だと思う 
未曾有の大災害には
日本中が一丸となって何としても復興させるんだというパワーと応援が必要だ

 〔目次に戻る




◇東北関東大震災  3月14日(月)

津波の押し寄せる様子をLive映像で見てショックを受けた。
SF映画を見ているようで とても現実のものと思えない。 
被災された人々はどんなに怖かったでしょう 恐ろしかったでしょう
一瞬にして堅牢な防波堤も 家や畑や人の命までも飲み込んでしまう魔物 
自然のエネルギーの強大さを思い知らされた
火山の噴火 地震 津波 
自然の暴力に 人間は何と非力で小さい存在か!

 〔目次に戻る




◇ 巨大地震 3月11日(金)

その日は昼食を済ませてから加須市のホームセンターへ犬の餌を買いに行った。
主人は特別買う物は無いけれどホームセンターの中を車椅子で気ままに見て回るのが好きだ。 
その日に限って懐中電灯が目に留まったようであれこれ見比べている
「懐中電灯なら家にあるわよ」と私
「幾つあっても良いんだよ」と主人 
災害用にと小振りの物を1つ買った。これが後で役に立つとは思いもしなかった。 
いつもなら併設されているカフェでウインナコーヒーを飲んで帰るのだが、
この日は家に帰ってコーヒーにしようと帰路についた。
帰る途中 加須ICの近くに来たとき、握っている車のハンドルが勝手に動くので思わず強く握りしめた。 
一瞬パンクかな?と思ったが、次の瞬間電信柱や電線が大きく揺れるのが見えたので地震だと分かった。
「結構大きい地震だわ」と私
主人は悠然と外を見ている。
国道は混んでいたのでスピードを落とし慎重に運転した。 とにかく家に帰らなければ・・・・・。
県道に曲がると混み具合が激減したのでホッとした。
田んぼの向こうに見える家の屋根瓦がずれ落ちているのが見えた。
県道から左折して、狭い公道から我が家に入ろうとしたら、道路に亀裂が走っている。
家の玄関前のアスファルトは両側からの圧力で盛り上がっていた。
車庫のコンクリートや庭のあちこちにひび割れが出来て水が浸みだしている。
家に着いてもまだかなり揺れている。
両隣りの家は屋根の瓦が崩れ落ち 前の方の家々の瓦も崩れている。 
一見したところ我が家の屋根は大丈夫そうだ。
急いで家の中に入って様子を見た。
棚からフォトスタンドや本が何冊か落ちていたが実害は無さそうである。
テレビのスイッチを入れると、東北の太平洋沿岸で大きな地震があったと報じている。
津波と余震に注意するよう繰り返し報じている。
その後、岩手県沖と茨城県沖と続けて大きな余震があった。
この日は一晩中余震があり、不安な夜を過ごした。

 〔目次に戻る