車椅子の視線から「随想」 


(2001年 1月 〜 6月)


 目次

 父の日プレゼント 2001.6.17 

 インターネットの虚と実 2001.6.12 

 携帯電話 2001.6. 7 

 人生(犬生?)いろいろ 2001.5.27 

 旧家のかんざし 2001.5.6 

 大地と先人からの贈り物  2001.4.3

 車椅子で和風ホテルに泊まって 2001.4.23 

◇ “あんずの里”へ 2001.4.17 

◇ 不自由な自由人 2001.4. 4 

◇ 自由人に 2001.3.31 

◇ “卒業”します 2001.3.18 

◇ 病院で感心したこと! 2001.2.15

◇「帯状疱疹」 2001.2.12

 愛犬ルーの受難? いや幸運! 2001.1.27

 箱根駅伝 2001.1.2 

◇ [21世紀ネットワーク市民が世界を変える」を見る 2001.1.1 


 父の日プレゼント 2001.6.17(日)

一昨日の雨の金曜日に嬉しい贈り物があった。

夜勤明けで家にいた長男が、大きな包みを持ってきて父の日プレゼントだという。

そういえば、雨の中を

「ちょっと出かけてくる」

と、いって出かけたのは、このためだったらしい。

 

明けてみると篭に濃紺の甚平が入っている。

「ありがとう」

「この間デパートで父の日プレゼントによく売れているといっていたよ」

というと

「そのニュース俺も見たよ、ダイエーに色がこれしか置いてないんだけど どう、気に入った?」

紺とか青はお気に入りのいろだったので、気に入ったというと

安心して自分の部屋にひきあげていった。

 

9時過ぎに勤めから妻が帰ってきたので、その話をすると涙ぐんでいる。

「去年まで親から毎月小遣いをもっていったので、お姉ちゃんたちのプレゼントが届くと、

 きっと来年は俺も!って思っていたんだね」

と妻がいった。

 

学費と小遣いが毎月かからないだけでも良しとしなければならないのに、

できすぎだと思った。

地元の県立高校卒業後、大学を受けないで新宿にあるコンピューター関係の専門学校に行った。

専門学校も今年は特に就職難でいらいらしていたが、今年になってから、

家から車で10分ぐらいの所にある工業団地に自分で職場を見つけた。

 

私が2回目の脳出血で倒れた時に中学生だったので、相談にも乗ってやれなかったし、

一番親に心配をかけない道を自分の意思で進んできた息子だった。

「田舎にいて嫁さんが見つけられるか心配!」

と、妻が今から心配しているが、なんとかなるだろう!

 

昨日の土曜日と今日、東京にいる娘たちからお花とブルーベリーの鉢植えが届く。

「アっ ブルーベリー 私、欲しかったんだ!」

妻がかん高い声でいった。

 

父の日に こうしてプレゼントをもらう、

退職して収入のない立場でも 幸せだとつくづく思った。

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 インターネットの虚と実 2001.6.12(火)

京都市の女子大生殺人事件など事件が多発しており

不特定な相手との交際ができる「出会い系サイト」が社会問題化している。

私の所にも「出会い系サイト」からの勧誘メールが毎日のようにきているが、

即「ゴミ箱」行きである。今日もこんなメールがきた。

 

「ブシツケなメールかもしれないけど、許してね。

 いらないならゴミ箱にポイして下さいね。

 私がどんなヒトかとゆーと、看護婦をしてるんだけど、

 諸般の事情(涙)でこんなサイトの

 運営をお手伝いしてるヒトなんです。一度見に来て頂戴ね。」

 

検索エンジンで試しに「出会い系サイト」を検索してみると、数え切れないほどのサイトがあるのに驚く。

中には真面目なサイトもあるようだが、その多くは勧誘に若い女性の写真を使ったり、

簡単に人妻と遊べるなどの言葉を使って勧誘するなどみえみえのサイトである。

 

いま、なんで「出会い系サイト」に人が集まるのだろう。

特に、最近、学生など若い人に携帯電話のメール機能を使って利用している人が多いという。

学校や職場などでの地道な交流で、時間をかけてじっくり相手を見定める交際は

現代の若い人には時間がかかってまどろっこしいのかも知れない。

しかし、簡単に出会えるサイトには危険も常に潜んでいることを忘れないで欲しい。

京都市の女子大生殺人事件の出会いも、きっかけは「出会い系サイト」だという。

特に、メールだけで、相手のイメージを自分の心の中につくりあげるのは

止めた方がいい。

なぜなら、人は、誰でも良い面と悪い面を持っているが、メールで悪い面を強調する人はいない。

悪い面を見ないうちに相手のイメージをつくって、恋心(?)をいだくのは危険きわまりない。

メールも掲示板(BBS)もインターネットではよく利用されているが、

どちらも、しょせん、虚・実でいえば虚の部分が多いことをしっかりと心にとめておくのが賢明であろう。

 

この原稿を書いていたら、「金さん」の掲示板にT.F. さんの投稿があり

T.F. さんのメンバーズルームの友人同士が結婚するという。

嬉しい知らせだが、虚・実の中から、実を見つけるのは、T.F. さんの掲示板(BBS)のように

ごく一部の掲示板(BBS)でのみあることなので

喜んでばかりもいられないと思った。

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 携帯電話 2001.6. 7(木)

除湿をかけて気持ちよく昼寝をしていたら、携帯電話の着メロで起こされた。

出たいけれど、携帯電話はあいにく机の上にある。

いつもはベッドサイドに置いて昼寝するのだが、今日に限って机の上に置いたまま

眠ってしまったらしい。

四肢機能障害のため、一人で車椅子に乗り移るのも時間がかかるから

ベッドの柵に掴まって車椅子に乗り移ろうとしているうちに、電話は切れた。

だが心配はない。

携帯電話にかけてくるのは妻、長女、次女、長男の4人のうちの誰かである。

息子は勤務時間中はかけてこないし、妻と長女は用事があればメールである。

この時間に電話をかけるのは次女ぐらいしかいない。

目星をつけて 次女の携帯電話にかけてみると

「あっごめん お昼寝 ? 起こしちゃった ?」

と、次女の声。

聞いてみると急ぎの用事ではないようだ。

久しぶりにおとうさんの声を聞いて見たかったのであろう(?)

 

話の中で夕べ夜勤だったと言ったので明日はお休みである。

「それじゃあ 明日おとうさんが都立大塚病院の外来に行くので 久しぶりにおかあさんと

 三人でお昼を 食べようか?」

と誘うと

「うん 行く行く」

と話が決まった。

 

家族はありがたい。一緒に暮らしていなくてもどこかでつながっている。

私の携帯電話はメールの送受信機能はついていないけれど、

生の声を聞けるので障害者の自分には必需品である。

 

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 人生(犬生?)いろいろ 2001.5.27(日)

ルーの両前足の骨折治療が昨日でようやく終わりました。

新年早々ルーも両前足の骨折という思わぬ災難に遭いましたが、

幸い三本足で歩けるまでに回復しました。

残念なことに右足は元通りには治りませんでしたが、散歩のときに

5,6歩に一回ぐらいは地面に着くようにしてかばって歩いているそうですから、

もう少し良くなるかも知れません(?)

例え元通りにはならなくても、三本足で元気に散歩ができるようになって

先ずは良かったと安堵しています。

一時はまったく出なかった声も最近はだいぶ出るようになってきました。

ご心配をいただいた皆さんに心からお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

犬も人間も一生の間にはいろいろなことがあるでしょう。

ルーも金さんも、現実は現実として受け入れながら

これからも元気に生きていきます。

がんばりますよ! ワン!

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 旧家のかんざし 2001.5.6(日)

 旧家を取り壊さないで そのままにしておいたら

 いつの間にか 屋根に藤が咲いていた。

 元々の藤は旧家の庭にあったのだが それはとうに枯れている。

 知らない間に藤は屋根にはい上がり 花を咲かせたらしい。

 妻が「かんざし みたい!」と教えてくれた。

 車椅子では見に行けないからと デジタルカメラで撮ってきてくれた。

 もう 何年も足を踏み入れない間に

 家も随分変わっている。

 まだ子供だと思っていた息子が成人して

 勤めているのだから 無理もない。

 世代交代は気がつかない間にも進んでいるようだ。

 

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 大地と先人からの贈り物 2001.4.3 (月)

土曜日に妻が精進料理を作ってくれた。

筍の煮物、蕗の煮物、柿の葉の天ぷら、筍の天ぷらどれも家の敷地内で採れたものばかりである。

筍はそろそろ終わりだが蕗と柿の葉はこれからである。

柿の葉の天ぷらは今が一番美味しい。

ちょっと見慣れないものが一品並んでいるので妻にたずねると蕗の葉だという。

蕗は好きで毎年食べていたが葉は初めてなので新しい料理を覚えたか?と内心

思ったが外れだった。

新聞の集金のおばさんが持ってきてくれたという。

今日の筍の煮物もそうだという。

家にあるのに持ってきてくれたのは、朝方おばさんが新聞の集金に来たときに筍の話題になって

「おたくは筍が採れていいわねえ、あそこの大きい筍は食べないんですか?」

「もう大きくなりすぎて食べないのよ」 といったら

「もったいないわねえ〜まだ柔らかいのに」

「じゃあ持っていって食べる?」

ということになって筍を掘りにいったら近くに蕗もでていて

「蕗も美味しいのよね」

「蕗はまだ少し早いと思うけど」

「うちは茎だけじゃなくて葉も食べるのよ、葉も美味しいのよね〜」

妻も蕗の葉は食べたことがないので驚いていると

お昼に持っていった筍の煮物と一緒に友達にもらった蕗の葉の煮物を作って持ってきてくれたのだという。

なるほど柔らかく美味しい筍とちょっとクセのある蕗の葉の煮物だが

こちらも美味しい。

 

今年は筍がたくさん採れて家でも美味しく食べれたし、親せきや知人にお裾分けができた。

大地と先人の恵みに感謝したい。

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車椅子で和風ホテルに泊まって 2001.4.23 (月)

 4月14日(土)更埴市森の“あんずの里”を見て夜は和風ホテルに泊まって同級会にでた。

同級会の会場は国道18号線から千曲川を渡った所にある上山田温泉の上山田ホテルであった。

温泉街に入ると屋上のホテルの看板が見えてきたのですぐにわかった。

 同級会は6時から、中学時代の同級生92人のうち31人と担任の先生一人それにN君と私の妻が出席して始まった。

 前回出席してから十数年になる私は、顔を見ただけでは誰なのか検討もつかない人が大勢いた。

 更に驚いたのは幹事の報告で同級生8人が既に亡くなっていると聞いたときである。そのうち4人は知っていたが後の4人に

ついては初耳である。それを聞いてもう少しで自分もその仲間入りをしていたかも知れないと内心思った。

 31人が順次それぞれ近況をしゃべったが顔と名前が記憶と一致しないので困った。

 特に女性は出席した15人中顔と名前が一致したのはわずか5人であった。

いくら歳月は顔を変えるとはいえ、自分の歳を感じさびしいような悲しいような複雑な気持ちになった。

 楽しい時間はアッと言う間に過ぎ、そろそろお開きである。

 おかしかったのは、宴会のシメを幹事のT君から私が頼まれた時である。

夜になると疲労で言葉が発音し難くなる言語障害のため辞退するとT君はすかさず

「じゃあ奥さん代わりにやってくれ」と妻にいった。妻が遠慮しているので促すと

「またあいましょう!主人が出られないときは私が出ます。」 と代わりに挨拶をして喝采を浴びた。

同級生ではなくても、出席者がみな同じ年代なので何の違和感もなかったのでおかしかった。

 宴会の後で何人かは幹事の部屋に集まり遅くまでにぎやかにやっていたようだが、部屋に引き上げて早々に寝てしまった。

 車椅子生活になったことがさいわいして、思いがけず夫婦で同級会に参加できたので良い思い出になった。

  
       (翌朝ホテルの前で恩師・同級生たちと)

 

◎上山田ホテルで気が付いたことを参考にあげておくと・・・

○ 感心したこと。(嬉しかったこと)

・ バリアフリーの設備になっていない所を従業員のサービスで補っていた。

・ 宴会場は座敷だったが、廊下との段差が低いので車椅子でも楽に入れた。

・ 車椅子のまま食べられるように料理のお膳を乗せる台を用意してくれていた。

・ 客室に簡易式のベッドを用意してくれ、車椅子のまま部屋に上がれた。

・ 朝、部屋に地元の信濃毎日新聞を入れてくれた。

 

● 困ったこと。

・ 車寄せからホテルの入口まで20bほどあり行くのに10aほどの段差があったが

 段差にはスロープが設置されていなかった。また雨よけがないので雨天の日は困るだろうなと思った。

 (利用した日は運良く好天だった。)

・ 客室とフロント・宴会場への渡り廊下に一部急な坂があった。自走式の車椅子や高齢者にはきつい。

 (別棟を後でつないだのかも知れない?)

・ エレベーターが狭いので車椅子が乗ると後2、3人しか乗れない。車椅子も中で回転ができないので

 行き先ボタンが押せないし単独では利用できない。

 (マンションでもそうだったが今後の建物のエレベーターは改善が望まれる)

・ 客室の入口が狭い。ドアが押し開き式なので、車椅子を置くとドアが閉まらない。

・ 入口から畳の部屋へ上がるのに段差がある。

    

 (和風のホテルでは無理もないが、

  今後高齢者の利用も考えると

  段差のない部屋もあるといいと思う。)

 

 

 

 

・ ホテルに洋間の部屋がない。(和風のホテルでは無理もないが、今後高齢者の利用も考えると

  1,2室洋間の部屋もあるといいと思う。)

・ 次の間に行くのに段差がある。(約10a)

・ トイレが狭く入るのに段差があるので、車椅子では入れないため四点杖を使ったが

  掴まるところがなくて腰掛けるのにも苦労した。

        

 

 (健常者は気が付かないが障害のある人や高齢者は

  手すりが無いと実に不便である。)

 

 

 

 

 

 

・ 客室に付いている風呂は深くて手すりも付いていないので残念なことに利用できなかった。

・ 大風呂、家族風呂もバリアフリーの設備ではないので残念ながら利用できなかった。

 (温泉に泊まって温泉に入れないほど悲しいことはない! これからは障害のある人や高齢者も入れる

  温泉を併置して欲しい! )

 

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 “あんずの里”へ 2001.4.17 (火)

 

“あんずの里”は長野県更埴市森にある。

 森の「あんずの花」は高校時代に一度だけ見にいった。

 その頃も、森の「あんずの花」は知られていて、花の咲く山村の

 絵を描いている人があちこちにいたのを記憶している。

 高校卒業後東京に出てきてから森の「あんずの花」のことは

 すっかり忘れていたが、いつの頃からか、

 あの森村の「あんずの花」が、更埴市の“あんずの里”として

 よみがえり町おこしにすっかり定着して、花の季節にテレビや

 雑誌で報道されるのを見てもう一度 森の「あんずの花」を

 

 見たいと思うようになった。

 その淡い思いも二度の脳出血で車椅子生活になり、また忘れていたが、春先に長野県に住んでいる中学時代の同級生から

 葉書がきて思い出した。上山田温泉で同級会をやるから出席しないか?という案内である。

 上山田温泉なら更埴市から近い。同級会は4月中旬の14日土曜日だという。 それならあんずの花も満開かも知れない。

 問題は会場のホテルがバリアフリーになっているかどうかだと思い、同級会の幹事であるN君に電話してみた。

 ホテルがバリアフリーになっているかどうか?と妻も一緒に同級会に出て会場のホテルに泊まっても構わないか?の二点である。

 N君も車椅子生活の私が乗り気なのを喜んでくれて、もう一人の幹事S君に訊いてくれるという。

 折り返しN君、S君の二人から相次いで電話があり、もう一人のN君が法事の帰りに同級会に出るので奥さん同伴だから、

 金ちゃんも二人でぜひでてくれという。ただ、会場のホテルは和風でバリアフリーではないので和室に一人分のベットを入れて

 二人で泊まれるようにしてもらうがそれでもいいか?と逆に訊かれた。

 バリアフリーでない和風のホテルに車椅子で泊まって宴会にでるのも面白いし、この機会に上山田温泉のバリアフリー化を

 見聞してくるのも悪くないと思い出席させてもらうことにした。

 妻も一緒にあんずの花を見て私の同級会にも出られると乗り気であった。

 こうして、私の心の片隅に眠っていた「もう一度森のあんずの花を見たい!」という願望が実現することになった。

 

 4月14日(土)は晴れて絶好のお花見日よりである。

 夜の同級会の前に“あんずの里”で花見をしようと思い、埼玉の家を妻の運転で九時半頃出発し長野に向かった。

 上信越自動車道を群馬から長野に長いトンネルを抜けるとまだ雪が残る浅間山が見えてきた。

 のどかな信濃路を気持ちよく走り、更埴ICの料金所を出るときに「あんずの里マップ」をもらう。

 あんずの花のような淡いピンクと薄緑色を配置した背景の紙に「日本一のあんずの里マップ」とわかりやすい地図が載っている。

 

 ICを出て10分ほどで“あんずの里”に着いた。

 花見の人がたくさん歩いている。

 

 車椅子で廻るのは大変だから行けるところまで車で行こう

 という作戦が正解だった。

 “あんずの里”の端までくるとあれほど混んでいたのが

 嘘のように人も車もまばらになった。

 

 

    ーあんずの里入口付近ー

 

 畑にあんずがいっぱい植えてありそれが見事に満開である。

 小川の向こうにあんずの大木があった。

 そこまであまり人が見に来ないのはもったいないと思った。

 

 じゃまにならない所に車を停めて車椅子に移り散歩した。

 花の良く見えるところに行き写真を撮っていると

  「二人の写真を撮りましょうか?」

 と若いカップルの女性の方が車から降りてきて親切に声をかけてくれた。

 下の夫婦で写っているのがその時の写真である。

 

 

 

 

 

 あんずの花は淡いピンク色だったが、間違えて白に覚えていたのも無理もないね!と

 妻がなぐさめてくれた。

 

 

 

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◇ 不自由な自由人 2001.4.4(水)

 

 自由人になったとはいえ障害者の金さんは不自由な自由人である。

 机に向かってパソコンを使うときやインターネットをする時は

 車椅子から椅子に移るけれど、廊下に出て日向ぼっこする時や

 洗面所に行く時などの移動はすべて車椅子である。

 ただ、手すりなどのつかまるものがあれば立ち上がれることと

 四点杖を使うか(左は手をひいてもらう)、手すりにつかまるか

 でなら段差がない所でゆっくりなら少し歩けるのがありがたい。

 とにかく平日は安全第一、転ばないように気を付けよう!

 目下の所いろいろ試して平日の過ごし方を模索している。

 

 天気の良い日は廊下でルーと陽にあたりながら話をするのも楽しい。

 手すりにつかまって

 立ち上がりの訓練(リハビリ)をやるのも日課にしている。

 

        (写真はルーと金さん)

 

(昨日の金さんの日課)

午  前
午  後

起床(6:30頃)

着替え、洗面

新聞を読む

朝食を食べる。

トイレ

歯磨き

・・・妻、息子が出勤・・・

リハビリ(廊下の手すり使用)

廊下でルーと陽にあたりながら話をする。

メールチェック(返事を書く)

ホーム・ページの更新(ファイル作成)

 

昼食を食べる。

歯磨き

昼寝(約2時間)

洗面

メールチェック(長女からメール、返事を書く)

ホーム・ページの更新(ファイル転送)

次女から携帯に電話

ベッドでテレビを見る。

息子が帰宅

妻が帰宅(22:30頃)

夕飯を食べる。

歯磨き

就寝(24:00頃)

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◇ 自由人に 2001.3.31(土)

平成13年3月31日付けで東京都を退職し自由人になりました。

思えば長い年月でした。

自由を求めて精神の放浪の旅に出てから、

こうして自由人になるまでいったい何十年かかったことでしょう?

 

3月30日の金曜日に新宿の都庁に行って、石原慎太郎知事の「辞職を承認する」という辞令をもらい

知事から新生活へのはなむけの挨拶を聞いてきました。

石原知事にはテレビで時々お目にかかっていましたが、実際にお目にかかるのは初めてでした。

無理もありません。 金さんも5年前に復職したとき以来のほんとうに久しぶりの都庁でしたから。

それと、辞令をもらうまで気がつきませんでしたが

(メールや掲示板(BBS)への投稿などの私文書を「2001年04月02日 」のように西暦で書いているので)

退職の日が 13.3.31 付けで、左からも右からも数字が同じ配列に並んでいました。

偶然とはいえ面白い日(良い日)に辞めたものです。

 

退職辞令は会議室で局長からもらったのですが 

驚きましたね!

会議室に入ると正面に東京都旗と並んで国旗(日の丸)が飾られているではありませんか!

34年間の都政人生活ではじめての経験です。

一瞬何だか数十年昔に歴史の歯車が逆転したような

奇妙な錯覚を覚えたのは私(金さん)だけでしょうか?

話によると国旗及び国歌に関する法律が平成11年に制定されてから

東京都での辞令交付式では慣例になっているようです。

 

退職辞令をもらってから、局内の知人に車椅子で挨拶にまわりました。

東京都の庁舎ができたときには結構広いと感じた事務室のスペースも狭くなって

窓際にある管理職の席に車椅子で行くのは一苦労でした。

簡易型の電動車椅子でも職員が先導してくれなければまわれなかったと思います。

挨拶まわりが済み茗荷谷の研修センターに戻ろうと

28階からエレベーターで1階に下りて出口に向かっていると

偶然に○○局の課長をしているKさん(女性)にあいました。

復職したときに研修センターに一度復帰祝いにきてくれて以来なので 5年ぶりでしょうか?

「お久しぶりです!」

「しばらくでした」 挨拶を交わし

「実は今日退職辞令をもらいにきたんですよ」というと

吃驚して 沈黙してしまいましたが

しばらくして目に涙をためて

「ご苦労さまでした。お世話になりました。」と

丁寧にお辞儀をしていいました。

Kさんは昔、主任試験、管理職試験の勉強のお手伝い(論文指導と動機付け)を

した一人です。KさんとSさん(男性)の二人が同じ年に管理職試験を受けて

難関といわれる管理職A(合格率2パーセント弱)に二人そろって一発で合格したのでした。

長い管理職歴の間に次代を担う若手と出会い彼らが伸びていくお手伝いができたことは

金さんにとっても幸せでした。

 

都庁からタクシーに乗ると、晴れていた空から突然お天気雨が降ってきました。

一緒に都庁に行ってくれたYさんが

「参事 涙雨ですよ!」と言ったのが印象的でした。

窓から見る満開の桜が金さんの新生活を祝ってくれているようでした。

 

その日の夜 5年間住んだマンションに別れを告げ妻と埼玉の家に帰りました。

 

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◇ “卒業”します 2001.3.18(日)

この3月31日をもって東京都を退職することにしました。

ふり返ってみると昭和37年に厚生省に就職して以来、国、東京都、特別区において

39年の間、自分の希望通りに行政 特に地方自治の仕事に従事できたことは幸せだったと思います。

その間に二度の脳出血という大病を患い7年前から車椅子生活になりましたが、

この時も妻と3人の子供、多くの先輩、友人にささえられ職場復帰できたことは本当に幸せ者でした。

あの重い病状を思えば、よくもまあ今日まで生き延びたものだと感慨無量です。

山あり谷あり波瀾万丈の39年間でしたが、私には楽しい39年間でした。

お世話になった皆さん本当にありがとうございました。

 

2000年度末というキリの良い時に退職し自由人になって新しい生活をしようと決断したのは

2回目の脳出血の後始めたインターネットのおかげです。

今58才なので、定年までは残り2年と少しあります。

東京都の管理職の勧奨退職年齢にもまだ少し時間がありますが、

今年2月自分から勧奨退職の申し出をしました。

車椅子生活の私に「今の職場で定年まで勤めたらいいじゃないか」と言ってくれる声もありました。

涙が出るほど嬉しかったです。

でも、二度の脳出血で車椅子生活になり自分が地方自治に貢献しようとしていた夢の限界を知りました。

「人間は引(き)際が肝心」という言葉があります。

私もそう思い自分の信念にして仕事をしてきました。

3月末で退職しますが、引(き)際も自分の思い通りになったので

気分はちょうど今の季節のようにさわやかで幸せな気持ちです。

 

おかげさまで、3人の子供も立派に成人しました。

末っ子の長男も去年20才になり、やはり3月コンピューターの専門学校を卒業します。

時節柄心配していた就職も決まり4月から社会人になります。

今マンションに一緒に住んでくれている結婚している長女や、長女の都合が悪いとき

時々助っ人を頼む近くのマンションに住んでいる年頃の次女のためにも

私が埼玉の家に入る良い機会だと思います。

これまで、私を元気付け支えてくれた妻に心から感謝します。

そして、妻を助けてスクラムを組んで頑張ってきた子供たちに感謝します。

 

4月からは、まだ田園風景の残っている埼玉の家で

Internet Life という自由な生活を楽しみたいと思います。

ネット仲間の皆さんには激励、励ましなどいろいろお世話になりありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願いします。

 

「良寛」にこんな歌があります。 

 

 “ 散る桜 残る桜も 散る桜 ”

 

自分の退職を迎え 思い出して味わっています。

 

 

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◇ 病院で感心したこと! 2001.2.15(木)

帯状疱疹で5日間入院した済生会栗橋病院で感心したことがある。

@ 点滴を毎日3回してもらったが、毎回担当の看護婦さんが点滴をセットする前に患者に姓名を言わせていた。

 「お名前をおっしゃって下さい。」

 「か○こ○ん○ちです。」

 単純なことのようであるが、顔を知っている患者でも患者自身に、姓名を言ってもらい

 点滴(薬)と患者との間違いを事前にチェックするようにするのは、昨今医療事故が多いだけに信頼がもてた。

 このため夜10時からの眠いときも、姓名を言ってから、寝るようにしていた。 

A 看護婦さんが総じて親切だった。

 入院していると、病院の印象は看護婦さん次第である。

 その点、この病院の看護婦さんは好感がもてた。(社会福祉法人立というのも関係があるのだろうか?)

B 外来の各科の受付の誰からも見えるところに、各科ごとの予約件数、診察終了件数が電光掲示板で流れていて、

 自分の予約番号を見ればあとどの位かおよその確認ができるようになっていた。

 再来者が自分で予約券をもらうシステムが導入されているのは、患者にいつまで待つのか?

 ストレスを与えないで良いと思った。

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◇ 「帯状疱疹」 2001.2.12(月)

「帯状疱疹」という病名は聞いたことがありますが、どんな病気なのか?知識は全くありませんでした。

 

ですから(帯状疱疹の初期症状が疑われる)左目の下に赤い発疹とぴりぴりとした痛みが出た時、寝ている間に虫にでも

刺されたのかな?ぐらいに思って、ちょうど手元にあったメンソレータムを塗って出勤しました。

それが1月31日水曜日のことです。

ところが翌日の木曜日になると赤い発疹があったところが黒い穴になっています。時々弱い刺すような痛みが

ありましたが、この日も一日勤めて夜、妻の運転で埼玉の家に帰りました。

2月2日金曜日はお休みして一日寝たり起きたりして家で過ごしましたが、左顔面の黒い穴は大きくなって腫れてきました。

2月3日土曜日、妻に隣町にある済生会栗橋病院の皮膚科に連れていってもらいました。

皮膚科の医師は若い女医さんでした。診察・血液検査をして「帯状疱疹かもう一つ丹毒が疑われます。」といって

抗ウイルス剤のゾビラックスの錠剤と患部に塗るゲンタシンという軟膏を処方してくれました。

「これを一日5回飲んで月曜日にもう一度見ましょう。今日は念のため点滴をしていって下さい。点滴は明日の日曜日も

 救急の入口から入ってやって下さい。」というので、「月曜日仕事に出てはいけませんか?」と聞くと

言下に「だめです。ここにきて下さい。」といわれてしまいました。

その時には恐い女医さんだと思いましたが、結果的には適切な指示だったと思います。

日曜日点滴に病院に行きましたが腫れと痛みは益々ひどくなってきました。

症状が、土曜日、日曜日とインターネットで帯状疱疹について調べたのとだんだん似てくるのがわかります。

2月5日月曜日にもう一度病院の皮膚科に行くとまた診察・血液検査の後

「帯状疱疹の疑いが強いですね。内服の錠剤よりも点滴の方が効き目がありますが、点滴は入院しないとできません。

 ベッドが空いていたら直ぐ入院しますか?」と聞かれたので「はい、お願いします」と答えました。

これで2月5日月曜日の入院が決まりました。

経過が良ければ2月9日の金曜日には退院できるというので、

今週は神妙に患者をして金曜日には退院しようと思いました。

皮膚科の病棟は6階で眼科、泌尿器科も一緒でした。4人部屋の窓側のベッドが私のベッドでした。

部屋には各人毎にテレビが置かれていてカードを買ってイヤホーンで楽しめます。

カードは15時間使えて1000円でした。5日間携帯ラジオとテレビを併用して、結構楽しめたと思います。

治療は、毎日3回の点滴(AM6:00,PM2:00,PM10:00)で、およそ一回あたり1時間半かかりました。

夜の点滴は眠いので腕をだして寝ていると看護婦さんが点滴と後処理をしてくれました。

皮膚科の診察は毎日ありました。

左目の上下に発疹がでていたので火曜日と木曜日には眼科の診察もありました。

幸いにも目には異常がありませんでした。

 

病棟でちょっと不便だったのは、洗面所がバリアフリーになっていないことです。

脳外科の病棟の洗面所はバリアフリーになっているのでしょうが(?)ここは健常者向けにできていて

車椅子生活の人は私のように何かにつかまれば立てる人でなければ、一人では使えません。

トイレは3つある一番奥に手すりがついているので小はそれを使いました。

大は小の反対側の一番奥にあってそこだけカーテンでした。

私はカーテンのトイレに慣れていたので平気でしたが、

やはり病院は車椅子が入れるスペースと引き戸のついた車椅子用のトイレがあった方がよいと思います。

抗ウイルス剤の点滴で3日目ぐらいに腫れ痛みもなくなり、2月9日の金曜日に無事退院できました。

患部のあとに塗るゲンタシンという軟膏と目薬が処方されて、5日間の入院料、検査料などは

入院時に保証金で預けた50000円で3000円のおつりが戻ってきたそうです。

心電図とX線撮影、目の検査と今年職場で健康診断ができなくてどうしようかな?と

思っていた検査も思いがけず5日間の入院でできました。

 

初春のとんだひと騒動でしたが、

病気には早期発見、早期適切な治療が大事なことが良く解り貴重な経験になりました。

 

それと、嬉しかったのはメールとホーム・ページの掲示板(BBS)で大勢の人からいただいた励ましでした。

インターネットをやっていて本当に良かったと思います。

皆さん本当にありがとうございました。

 

※ 参考になったホーム・ページ(医師、患者のたくさんあるサイトの一部です。)

☆ 麻酔科医が答える帯状疱疹(胴巻き)についてのQ&A

☆ 帯状疱疹

☆ 皮膚感染症について

 

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 愛犬ルーの受難?  いや幸運! 2001.1.27(土)

 愛犬ルー(本名:ルドルフ)が首輪を抜けていなくなったのは

 大晦日の夜でした。

 家族がルーのいないのに気がついたのは元旦の朝になってからです。

 それから妻と息子が散歩コースを中心にさがしたのですが見つかりません。

 その後範囲を広げて自転車でさがしてもどうしてもわかりませんでした。

 もう8〜9年埼玉の家にいるルーは過去にも何回かいなくなったことが

 ありますがその時は直ぐに帰ってきていました。

 それが、今回は2日になり3日になっても帰ってきません。

 「交通事故にあったのだろうか?」妻と息子も、それも気にしてさがした

 けれど それらしい事故犬には会わなかったと言います。

 金さんは4日から仕事が始まるので、3日の夕方東京のマンションに送ってもらいました。

 

マンションのベッドの中でも「大晦日の夜いなくなったのは何か忘れ物をして20世紀へ

舞い戻ったのかな?」と思ったりしました。でも「今に戻ってくるだろう!待つより仕方ないな」と自分に言い聞かせていました。

ただ心配だったのは交通事故でした。

家の近くの道路もこのところ自動車の交通量が増えてきて人だけでなく犬やネコが交通事故にあうことが増えているからです。

それと今年は例年に較べ寒いのも気がかりでした。

5日(金)仕事が終わってからいつものように妻の運転で埼玉の家に帰りました。

そして7日(日)お昼が済んで私が昼寝している間に妻と息子が隣町の加須市に買い物に出かけました。それから間もなくです。

「おとうさん ルーが見つかったよ!!」

妻の甲高い声が玄関の方から聞こえます。

息子がルーを抱いて部屋にきました。

ルーは声も出さず悲しそうな目で私を見つめるだけです。

妻と息子の話では、家から百メートルも離れていない道路の向こう側の畑でうずくまっているのを

助手席にいた息子が白鷺(しらさぎ)を目で追っていて見つけたそうです。

「あそこは確かさがした所だけど?」と妻も息子も言って不思議がっていました。

白鷺が教えてくれたのでしょうか?

 

妻と息子が直ぐ加須市にある動物病院に連れていきました。

戻ってきた妻の話では、やはり両前足骨折だそうです。

検査をするのでしばらく預からせてくれといわれて置いてきたそうです。

翌日の成人の日は大雪でしたが、息子も自動車で会場に向かいました。

妻が動物病院と電話で話をしルーの「入院して手術」が決まりました。

 

1月16日に金さんの掲示板にルーの入院を投稿したところ大勢の人からメールや掲示板で

暖かい励ましをいただきました。

 

愛犬ルーの受難! 投稿者:金さん  投稿日: 1月16日(火)

わが家の愛犬ルー(本名:ルドルフ)が両前足骨折で動物病院に入院しています。

手術が済んでギブスをしていますが歩けるようになるか気がかりです。

骨折の原因は不明ですが、「交通事故にあったのではないか?」

と手術をした獣医さんが言ったそうです。

「両前足骨折で相当痛いはずなのに我慢強い犬だ!」と

獣医さんも驚いていたとも妻から聞きました。

 

ルーが首輪を抜けていなくなったのは大晦日の夜でした。

家族がルーのいないのに気がついたのは元旦の朝になってからです。

それから妻と息子が散歩コースを中心にさがしたのですが見つかりません。

その後範囲を広げて自転車でさがしてもどうしてもわかりませんでした。

過去にも何回かいなくなったことがありますがその時は直ぐに帰ってきていたので

「交通事故にあったのではないか?」と家族で心配していました。

ルーが見つかったのは一週間過ぎた1月8日(日)のことです。

家から百メートルも離れていない畑でうずくまっているのを

ちょうど妻の運転で助手席にいた息子が白鷺を目で追っていて見つけたそうです。

「あそこは確かさがした所だけど?」と妻も息子も言っています。

どこか別の所で事故にあい、

一週間かかって後ろ足とあごで必死になって家に帰ってきた途中なのかも知れません?

しかし大雪の降る前の日に見つかったのは運が良かったと言えるでしょう!

雑種ですがもう8年以上家にいるルーは利口な犬です。

家族全員退院が待ち遠しいです!!

 

ガンバレ!ルドルフ!! 投稿者:みっちょマン  投稿日: 1月16日(火)

金さん、↓『愛犬ルーの受難!』読んで涙・涙・涙・・・。

早く傷が治って、元のように歩けますようにと祈っています。。。

ルーちゃん不在の一週間、犬と言っても飼っていれば、もう家族の一員ですよね。

ルーちゃんにとっても、金さん家族にとっても、どんなにか長く感じた事でしょう。(;;)

両前足で痛いでしょうね。。。ダメだ。。。言葉が出ない。。。

ルーちゃん、ガンバレ〜!金さん家族はもちろん、私も帰りを待ってるからね!

でも金さん、見つかって良かったです。

 

ルー 投稿者:Hackさん  投稿日: 1月16日(火)

金さん、そんな話しをきくと、たまりません。

さぞいたかったでしょうね。早く治るといいですね。

 

ルー・がんばれ 投稿者:みち子  投稿日: 1月17日(水)

ルーちゃん、きっと良くなります。

私の家の近所のわんちゃんも、交通事故にあいました。

今は3本足で、何の不自由も無く遊んでいて励まされています。

早く退院すると良いですね。

 

ルーA 投稿者:金さん  投稿日: 1月17日(水)12時47分31秒

>みっちょマン、Hackさん、みち子さん

ルーと金さん家族への励ましありがとうございます。

きっと歩けるようになる! と金さんも信じて心の中で念じてはいるのですが

入院したときのあまりの悲惨な状況に不安も少し残っているのです。

 

発見して息子がルーを家に抱いて帰ったとき骨折している両前足は

ブラブラしていて、ルーは泣き声すら出せませんでした。

ただ悲しそうな目で見つめるだけでした。

無理もありませんね。大晦日から7日まで一週間も何も食べず何も飲まずで

必死でいざってきたのか? 体中泥で汚れていました。

 

人間でも両足を骨折し治療もせず 一週間も何も食べず飲まずにいたら

絶望してどうなるか わかりません?

 

見つけた畑は家から百メートルも離れていないのですが、

昼間は自動車の通行が多い道路を渡らなければ家には帰れないのです。

痛いのと疲労と空腹が重なってきっと力つきて

声ももう出なくなっていたのかも知れません。

 

同時に両前足骨折というのも珍しいし相当痛いはずなのに

ぜんぜん泣かない犬は珍しいと獣医さんも驚いていたそうです。

ルーは手術のとき(吠える犬が多いのに)目を閉じてじっと耐えていたといいます。

けなげじゃありませんか!!

 

              ◇

 

ルーは手術が無事済んで1月20日退院し家の中で療養中です。

まだ普通に歩けるようになるかわかりませんが、体位を変える様子をみると

右足はだいぶ良さそうです。左はまだ痛いのかかばっているように見えます。

 

心配していた声はでるようです。

私はまだ聞いていませんが先週仕事から帰った妻に「うう〜ん うう〜ん」と

甘えるような声をだし、玄関に人の声を聞いて一度だけ「わん!」と吠えたそうです。

元気になるにはまだだいぶかかりそうですが、希望がでてきました。

 

皆さんご声援ありがとうございました。

ルーは必ず 元気になります!!

 

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 箱根駅伝 2001.1.2(火)

嬉しいことがあった。

大学対抗箱根駅伝で母校法政大学が健闘したのである。

往路優勝は惜しくも逃したが、2区でトップに立ち5区の山登りも頑張って箱根駅伝コースの

最高地点までトップだったのは見事だった。

予選から勝ち上がっただけに予想以上の走りだったといっても良いかも知れない。

後輩たちの健闘に拍手!!

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 「21世紀ネットワーク市民が世界を変える」を見る 2001.1.1(月)

夜、NHKスペシャル「21世紀ネットワーク市民が世界を変える」を見る。

急速に発展しているネット社会が現実の社会との間でさまざまな軋轢を起こしはじめている

様子をVTRとインタビューを交えて放映され勉強になった。

インタビューされていたアルビン・トフラー教授(著書「第三の波」で情報化社会の到来を

予言)の先見性には改めて驚く。

スタジオの2人のゲスト(ノーベル化学賞を受賞した白川英樹さんと作家の荒俣宏さん)の

説明もわかりやすくて良かった。

ノーベ賞をもらうまであまり知られていなかった白川さんがこういう番組に招かれるのが

皮肉に見えて何かおかしい。

番組をみて20世紀時代のものの考え方が、今世紀は根底から再構築を余儀なくされるよう

な気がする。脳を柔軟にしなければついていくのが難しいだろう。

今までの生活スタイル(通勤、通学など)がIT革命(というかデジタル革命)によって

大きく変わり、これからは新しい生活スタイルに変わっていく。

それに沿って全く新しい概念が必要になるように思えた。

「著作権」など今の法律が否定されるようなアメリカの青年の考えを聞いてなるほどと思う。

日頃、Internet Lifeを目指し、実践しようとしている自分は、世の同世代の人に較べ少し

先行しているような気もした。

見終えて、この21世紀は「結構希望もあるぞ!」そう思うと楽しかった

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