車椅子の視線から「随想」 


(2002年 1月 〜2002年 6月)


 目次

◇ NHKの土曜特集「鶴瓶の家族に乾杯」を見て 2002.6.24 

◇ ポピーの花見 2002.5.25 

◇ 母の日 2002.5.12 

◇ 60歳の誕生日! 2002.5.1 

◇ 小さな夢の実現 2002.4.20 

◇ 「脳出血から二度生還して」を執筆して  2002.3.31 

◇ 次女の結婚式  2002.3.13 

◇ 介護保険の訪問介護サービスをを利用して  2002.3.1 

◇ NHKスペシャル 「車いすから立ち上がれ」をみて  2002.2.24 

◇ 年賀状と電子メール  2002.2.13 

◇ いつもイコールパートナーでありたい  2002.2.10 

◇ 訪問介護の利点と地域格差の問題 2002.2.6 

◇ 訪問介護のサービスはじまる! 2002.2.4 

◇ 介護保険法の被保険者になって 2002.1.25 

◇ おかあさん ありがとう!! 2002.1.16 


◇ NHKの土曜特集「鶴瓶の家族に乾杯」を見て 2002.6.23(日)

 昨晩の7:30〜8:40まで、妻と二人でNHKの土曜特集「鶴瓶の家族に乾杯」を見ました。

 この番組は、毎回違う日本の旅先で、ぶっつけ本番に土地のいろいろな家族と出会い、家族の素晴らしさを、

テレビの映像で浮き彫りにしてくれる紀行番組です。

 

 今回、笑福亭鶴瓶(つるべい)とゲストの元ボクサー畑山隆則が旅したのは富山県魚津市でした。

 今回の放映を見て、金さんと妻が特に印象に残った家族は、鶴瓶が魚津市で出会った

脳出血の後遺症で半身不随と言語障害のある、まだ若い(30代)娘婿を暖かく支える家族でした。

 娘さんは富山市に嫁いで、夫婦二人で暮らしていたのですが、夫が脳出血になったため一人で介護していたそうです。

 それを娘さんの実家の敷地内に引き取って、家族みんなで介護を応援しようと言ったのは、実家の長男の嫁さんだそうです。

 長男の嫁さんのことを「この人は一番大事な人」と言う実家のお母さんも、しっかりした明るい人で、

その人柄からか、この家には、ご近所の人がたくさん集まってきます。

 

 重い後遺症のある娘婿を、毎日デイケアへ車で送迎するのは家族で、そのデイケアへ迎えに行く途中で

鶴瓶に出会い、鶴瓶も一緒にデイケア先へ見舞いに行ったのです。

 娘婿は、半身不随に加えて言語障害も重いので、トーキングマシーンのキーボードを叩いて

自分の意志を音声(ロボットのような機械語)に変えて伝えているのですが、鶴瓶を見て大泣きしてしまいます。

その涙もろい姿に、金さんが病院のICU(集中治療室)に入院していた頃に思いを重ね合わせたのか、

テレビを見ている金さんの妻も涙ぐんでいました。

 涙もろいのですが、ユーモアを忘れていない娘婿に、金さんも「頑張れ!」とエールをおくりたいと思います。

 

 脳出血の後遺症のリハビリテーションは、少しずつの回復にも、考えるより時間がかかります。

 時間をかけても、思ったほど回復しないこともあるでしょう!

 ただ、彼はまだ若いのですから、もっともっと良くなる可能性があります。

 本人は、ねばり強くそして根気よく頑張り、ご家族もまた、みんなで長い目で応援してあげてください。

 

 金さんも2度目の脳出血の後遺症は、四肢麻痺+言語障害でした。

 妻は、命が助かったことを感謝しつつも、「この先どうなるのだろう!」と悲嘆にくれたそうです。

 しかし、金さんの場合、時間はかかりましたが、その後の治療とリハビリテーションに加えて、妻や子供たちの暖かい介護と、

職場の先輩や同僚の応援があり、幸運にも、車椅子生活で復職ができるまでに回復しました。

 言語障害も、高い声は出ませんが、日常会話にはなんとか不自由しないようになるほど良くなりました。

 カプセルの薬が飲み込めないで、かみ砕いてから飲み込むなどの、嚥下(えんげ)障害は

まだ残っていますが、ご飯もなんとか箸で食べられるようになりました。

 

 金さんは、病気からの人間の回復力の可能性は無限にあるように思います。

 あせることはありません。

 金さんも心がけていますが、「急がず、あわてず、のんびり」と、しかし決して「あきらめず」に頑張りましょう!

目次に戻る

◇ ポピーの花見 2002.5.25(土)

朝から快晴だったので、妻と一緒に、利根川の堤防にある「カスリーン公園」に

ポピーの花を見に行ってきました。 

“童謡のふるさとハイキング”に参加した人たちが、大勢来ていました。

ポピーは、まちの“はなさかボランティア”の人たち(今、100人位の人がいる)が、

河川敷に種を播いて育てたのだそうです。

河川敷も、ゴルフ場にするのもいいですが、ポピーやコスモスなどを咲かせて、

大勢の人が楽しめるのがいいですね!

人口1万5千人ほどの大利根町の町民も、

なかなか味なことをやっていると嬉しくなりました。

 −画像をクリックすると大きな画像でご覧になれます−

 

目次に戻る

◇ 母の日 2002.5.12(日)

毎年、母の日になると長女と次女が妻に花を贈ってくれるのが慣例になっている。

今年も、この週末に長女と次女から花が届くと、長男が妻に言った。

「今年は俺も何か贈らなくちゃなあ!」

「特に何も買ってくれなくていいわよ。」と妻が答えた。

「何かくれるって言うんだから、もらったら」と金さんが言う。

土曜日、夜勤明けの長男が帰ってきて、

間もなくどこかへ車で出かけた。

程なく帰ってくると、自分の部屋で寝てしまったらしい。

表で、草取りをしていた妻が、お茶に上がってきて、

「な〜に、これ! ひろしのプレゼント?」

何も長男から聞いていなかったので、

金さんが黙っていると

「自分で稼ぐようになったから、姉ちゃんたちに負けていられないのかな!」

と、妻が篭に入っている花を見ながら、満更でもなさそうに言った。

お母さんのご苦労を子供たちもわかっていて、

こうして母の日に感謝の花を贈るのだと、金さんは思った。

目次に戻る


◇ 60歳の誕生日! 2002.5.1(水)

4月27日は、金さんの60歳の誕生日でした。

インターネットの友人で親友のみっちょマンとクロちゃんから、

お祝いのアニメーションカードがメールで贈られてきました。

また、介護保険で訪問介護をお願いしているムサシK・Kの

Nヘルパーさんが、お花と金さんの家に来てくれるヘルパーさんたちの

メッセージを届けてくれました。

いくつになっても誕生日は嬉しいもの、と人はいうのですが、

ここ2〜3年、金さんは、嬉しいというより誕生日が来るのが恐い気がします。

それは、あと何年生きられるかなあ!と、必ず思うのが誕生日だからです。

60歳は、生まれ年の干支(えと)が60年後にもどってくることから、還暦と

いわれて、めでたいとされた年齢です。

ところが、いまや60歳どころか、70歳、80歳の人も珍しくありません。

ただ、30代に高血圧性脳症、40代に一回目の脳出血、50代に二回目の脳出血で倒れている

金さんにとっては、60歳の誕生日を元気(笑)に迎えられたのは、やはりめでたいことと言えるでしょう。

インターネットのおかげで、車椅子生活の金さんが、不自由な自由人として、インターネットライフを楽しみながら、

たくさんの人から元気をもらったり、上げたりできることは、幸せだと思います!

 

その日、久しぶりに、久喜市にあるイトーヨーカ堂へ買い物に連れて行ってもらいました。

妻におねだりして(笑)、若向きの衣類を数点買ってもらいました。

これから、少し若返って、電動車椅子の散歩を楽しみたいと思います。

昨日は、驚くことがありました。

仕事が休みで家にいた息子が、何を思ったのか、妻と金さんに、はじめて夕飯を作ってくれました。

ふだん妻の作る味とは違う情感を感じて、嬉しい夕飯でした。

 

目次に戻る

◇ 小さな夢の実現 (わが家のバリアフリー化に取り組んで)  2002.4.20(土)

 今年の春は、桜の開花や筍の顔を出すのが、例年よりも大幅に早くて驚きました。

 地球の温暖化が、季節の移り変わりにも影響しているのではないかと心配です。 

 □ リフォームの構想が生まれる

 金さんは、昨年3月末で、国、東京都、特別区と、39年間(うち、国と特別区はあわせて7年)勤めた

公務員生活を辞めて自由人になりました。

 自由人といっても、車椅子生活ですから、自由に外を出歩けるわけではありません。

 いってみれば“不自由な自由人”とでも、呼ぶのが適当かも知れませんね。

 最後の勤務場所である東京都を昨年辞めるときに、

「これからは、田園風景の見える埼玉の家で、のんびり気ままに暮らしていこう!」と、

金さん流のInternet Life を考えていたのですが、そう、思い通りにはいきませんでした。

 4月から約半年間、妻と息子と3人で、暮らしてみると、

わが家が、車椅子生活には、実に不自由なことがわかってきました。

 東京のマンションで娘と暮らしていて、週末だけ埼玉の家に帰っていた頃は、我慢してきたのですが、

ここが「終の棲家」と決めたからには、そう我慢しているわけにはいきません。

そこで、昨年の年末から、わが家のバリアフリー化に取りかかりました。

 金さんの家は、30年くらい前に建てたツーバイフォーの住宅に、数年後本格木造住宅を増築したものです。

 建てるときに、バリアフリー住宅を意識して建てていませんでした。

 当時、金さんには、まだ身体に障害がなく、義母もまだ若くて50代でしたから、

バリアフリー住宅の意識がなかったのも無理のないことかも知れません。

 

 ところが、金さんが43歳で一回目の脳出血になりました。

 この時の後遺症は、左片麻痺で、幸いなことに、杖をついて復職できるまで回復したので、

家も二階に上る階段に手すりを付けただけでした。

 その後、だんだん元気になり、東京都の本庁課長として、地方自治の一翼を金さん流に担ってきました。

 でも、心の隅には、再発の不安をいつも抱えていたように思います。

 再発の不安は、妻も同じだったようです。

 二回目の脳出血で倒れる前年に、アメリカにエイズ関連で出張したことがありました。

 出張は、東京都からは3人でしたが、家族で成田まで送迎したのは、金さんの妻だけでした。

 妻も内心では、金さんの脳出血の再発を相当に心配していたようです。

 

 52歳の4月に、二回目の脳出血で倒れました。

 部長職へ昇任し、局がかわってまだ3週間も経っていませんでした。

 この時は、一回目と違い家で倒れたのですが、倒れた直後、意識不明の重態になりました。

 そのため入院期間も、ICU(集中治療室)、脳外科の病室、リハビリテーション病院と、あわせて1年半に及びました。

 後遺症も、一回目の後遺症に二回目の後遺症が加わったので、四肢麻痺と言語障害と重症になり、

以後車椅子生活を余儀なくされたのです。

 

 二回目の脳出血の後、退院してから、しばらく自宅で療養している時に、古くなって使い勝手が悪い、

母屋の浴室を直してもらいました。

 ユニットバスにして、金さんでも、手すりを使うと一人でもなんとか入れるようにしたのです。

 手すりは、浴室の入口に一つ、浴槽の左右と正面に三つ、浴室の中の洗い場に一つ付けてもらい、

狭いながらも、金さんには快適な浴室になりました。

 ただ、浴室は入りやすくしたのですが、浴室に行く廊下が狭いのと、浴室のドアが開き戸で、

段差があるので、車椅子では浴室に行けません。

 そのため入浴の時には、食堂まで車椅子で行き、そこからは、右手に四点杖を持ち、

妻に左手をを引いてもらって移動しています。

 

 □ 構想の実現に向けて

 今度のリフォームでは、自由人になったので、快適な車椅子生活をおくるには、どうしたらいいかを、

妻とじっくり相談しました。その結果、ツーバイフォーの母屋には、あまり手を加えられないので、

金さんの書斎のある、増築した木造の棟を中心にリフォームをしてもらうことにしました。 

 最初に考えていたリフォームの候補は、次の5点でした。

 

@ 書斎(兼寝室)と廊下にフローリングを張り車椅子で移動しやすくする。

A 書斎と廊下を同じ高さにして、車椅子で移動しやすいように、段差を無くす

B 廊下から、車椅子で庭に出られるスロープを付ける

C 食事や入浴の時に、増築した棟から母屋へ車椅子で移動しやすいように、段差に

 スロープを付ける

D 廊下の両側とトイレに、手すりを付ける

 

※ 金さんの書斎は、20年以上前に、子供が増えたのを機会に、ツーバイフォーの母屋 より数年遅れて増築した、

 本格木造建築の棟にあります。建てたときに、無理をして母屋と繋げたため、食事や入浴の時に母屋へ行くとき、

 3〜4pの段差を超える必要がありました。

 

※ 洗面所とトイレに通じる廊下は、幅が120pあり、片側に書棚を2つ置いていたの ですが、書棚を片づけて、

 両側に手すりを付けてもらい、手すりに掴まって歩くなど、 家でも、リハビリテーションができるようにしたらと、

 妻が提案しました。

 

 □ 工務店さがし

 インターネットで、トステム(TOSTEM)のリフォームチェーンである、埼玉県内の工務店を探すと、

幸手市の白石工務店が見つかりました。

 妻が電話すると、週末に串田さんという若いリフォームアドバイザーが家を見にきました。

 串田さんに、5つの構想を話すと、「B廊下から車椅子で庭に出られるスロープを付ける」は問題があるようです。

 金さんの素人考えでは、「廊下の端をぶち抜いて、ドアとスロープを付ければいいじゃないか」と

安易に考えていたのですが、専門家は違いました。

 金さんの案の代わりに、廊下から車椅子で出られるるウッドデッキの案を提案してくれました。

 これだと、天気の良い日には、庭に下りなくても、ウッドデッキで読書やお茶ができるというのです。

 ドアも、アルミサッシを取り替えて、二枚戸を三枚戸にし、平らにすれば廊下から出やすいようにできると言います。

 ウッドデッキは聞き慣れない言葉でしたが、テラスのことで、幸手市にあるジョイフル本田で組み立てる部品を扱って

いるので、買ってきて工事もしてくれるそうです。

 見積もりを出してもらい、検討した結果、やってもらうことにしました。

 

 ウッドデッキを付けて、車椅子で出られるようにしてもらったのは、今回のリフォームでも一番のメリットでした。

テラス(=ウッドデッキ)・・猫のシロも遊びに
ルーと一緒に読書、新聞タイム

 金さんの住んでいる家の周辺は田園地帯で、農業が盛んな所です。

 工業団地も割合近いところにありますが、家の周辺は田んぼが多いので、

時間までゆったりと流れているように感じられる所です。

 春は、木々の芽吹きの緑や、色とりどりに咲く庭の花や、飛んでくる野鳥を居ながらにして楽しめます。

 新聞や本を読むのにも、ウッドデッキは最適です。

 ウッドデッキの前に犬小屋をおいて、右足に障害のある愛犬のルーを繋いでいるので、

ルーと二人で、一緒の時間を過ごすのが、楽しみになりました。

ウッドデッキからスロープで庭に下りる
庭から玄関前を通り道路へ

 最終的に工事をしてもらったのは、次の6点でした。

@ 書斎(兼寝室)と廊下にフローリングを張った

A 書斎(兼寝室)と廊下の段差を無くして平らにした

B テラス(=ウッドデッキ)を付けた

C テラスから車椅子で庭に出られるスロープを付けた

D 庭から道路まで、車椅子で移動しやすいように舗装した

E 書斎のある棟と食堂・浴室のある母屋との段差に、木製のスロープを付けた

F 廊下の両側とトイレに、木製の手すりを付けた

廊下と書斎の段差を無くした
和室への段差を無くしスロープに

書斎から食堂へ行く段差を解消
廊下とトイレ(奥)に付けた手すり

※ Cの「庭から道路まで、車椅子で移動しやすいように、舗装工事をする」は、

 初めの構想にはなかったのですが、行動範囲の拡大のために、少し遅れて追加工事でやってもらったのです。

 おかげで、今まであまり会えなかった愛犬のアインとベルにも、天気が良い日には会えるようになりました。

 また、電動車椅子で道路に出るのが楽になり、家の外に出るのが楽しくなりました。

 妻と息子も、テラス(=ウッドデッキ)はお気に入りのようで、家にいるときには家族でお茶を楽しんでいます。

※ トイレは、手前が洗面になっているので、車椅子では入れないのですが、

 手すりに掴まると金さんがなんとか歩いて入れるので、入口に2つ、便器に座って、正面から左側に回り込む

 手すりを付けてもらいました。

 

 □ リフォームの成功(当たりだった工務店)

 新築もリフォームも、工務店をどこにするかで、当たりはずれがあります。

 金さんの家のリフォームは、白石工務店を選んだのが当たりでした。それほど大きい工務店ではないようですが、

どの工事も誠実にやってくれました。希望を聞いて気持ちよくやってくれたのは当たりだったと思います。

 うちを担当した、串田さん(※下の写真)という若いリフォームアドバイザーも、

自身が大工さんでもあり、良く話を聞いてくれるし、家にも工事のある日だけでなく、

良く来てくれたので、コミュニケーションがうまくいき助かりました。

 また、連絡には、電話とメールのどちらも使えるのも、金さんには良かったと思います。

 特に、テラス(=ウッドデッキ)は、大正解でした。

 金さんが、ウッドデッキで手が焼けたのを見て、妻が「元気なときより黒いみたい!」

 と笑っていました。 

 リフォームが終わり、串田さんとは、リフォームのことだけでなく、ホーム・ページの相談にのったり、

 インターネットの友人のように、なんでも話せるようになりました。

 「もし、新築も考えているのでしたら、こういう住宅はどうですか!」と情報も、もらいました。

 大工さんでもある若いリフォームアドバイザーも、いろいろ夢があるようです。 

 金さんもいつの日か、新築がもう一度できるかどうか、とても楽しみになりました。

目次に戻る

◇  「脳出血から二度生還して」を執筆して  2002.3.31(日)

 生まれて初めて、金さんが本を出版することになりました。

 この本は、単なる「闘病記」を書いたものではありません。

 人生の成熟期ともいえる四十代と五十代に、二度も脳出血に襲われ、生死の淵をさまよいながら、

九死に一生を得た金さんの、ありのままの生きざまを書いたものです。

 金さんは、52歳の時に2回目の脳出血になり、四肢麻痺と言語障害という重い後遺症のために、車椅子生活になりました。

 この本では、金さんが、「人生をあきらめずに、限定された条件の中で、人はいかに生きていくか」という、普遍的命題に、

前向きに取り組んでいる、実践の記録とでもいえるものを書きました。

 

 人は誰でも、人生で一度や二度は死にたくなるような、厳しい試練にさらされることがあるでしょう。

そんなとき、逆境に負けて人生を投げ出してしまうか、現実を受け入れて前向きに生きていくかで、

その人の人生が全く違ってきます。

 二度目の脳出血で車椅子生活が余儀なくなった時に、金さんは、現実を受け入れて前向きに生きる方法を選びました。

そして、「自分に残されている限られた機能を最大限生かして、前向きに生きていくことで、

他の人にも元気を分けてあげられることもある。」という一種のボランティアもできることを知ったのです。

 それは、「パソコン」と「インターネット」という、情報革命がもたらしてくれたものですが、金さんには嬉しい驚きでした。

 金さんは、いま埼玉の家で、脳出血の後遺症と付き合いながら、Internet Lifeを楽しんでいます。

そして、金さんなりに精一杯の努力をして、三人の子供の親としても、恥ずかしくない生き方をすることで、

子供に対する親の責任と義務をも果たそうと思います。

 本の出版に向けて、原稿を書いている金さんを、妻と子供たちも応援してくれました。

 なかなかはかどらないときもありましたが、なんとか書き終えたのは、そんな家族の応援が大きかったと思います。

 

 本の出版が、今年の8月に決まりました。

 インターネットを利用しない人も、この本を読んで、こんな生き方もあることを知ってもらえれば、嬉しいです。

 2000年の11月に、金さんのホーム・ページを見て、本の出版を金さんに勧めてくれたのは文芸社の山田さんでした。

そして、原稿を書き上げるまで、およそ1年かかりましたが、文芸社の今井さんには、アドバイザーとして、大変お世話になりました。

8月の出版に向けて、本の編集・制作には、文芸社の大滝さんにお世話になっています。

 皆さんの応援で、本の出版がいよいよ現実のものになろうとしています。

 金さんも、8月の出版がとても楽しみです。

 

目次に戻る

◇ 次女の結婚式  2002.3.13(木)

三月十日の日曜日、群馬の桐生市にある教会で、次女の結婚式が行われた。

次女と彼は、既に、昨年八月に入籍しており、彼と東京でマンションを借りて一緒に生活している。

彼の両親は、桐生市でお寿司やさんをやっている。彼は、そこの一人っ子である。

今、彼は、東京にあるお寿司やさんで修行しているが、いずれは実家のお寿司やさんを継ぐことになるのだという。

サラリーマンの家庭に育って、サラリーマンの家庭しか知らない次女が、

将来、お寿司さんの女将さんが果たしてつとまるのか?

親としては、正直の所不安もあった。

しかし、自分の人生は、自分で決めるのが当然である。

自分の知らない道を歩むのも面白い。

学生時代に、アメリカの家庭にホームステイして留学した経験のある次女は、

誰とでもうまくやっていけるはずだし、知らない所へ進む勇気も持っている。

まして、若い二人が、何回か桐生市の彼の実家に行き、両親とも話した上で、

自分たちで出した結論である。

次女が、自分で決めた結論なのだから、例え厳しい道でも 親が何もいうことはない。

自分で選んだ道を、しっかりと歩んで行って欲しい。

結婚式をやりたいが、式をやる費用を、二人で貯めるには時間がかかる・・・と、

次女に相談されたのは昨年の晩夏だった。

話を聞くと、最初のうちは「旅行に行って、ホテルの教会で結婚式をやりたいけれど

どうだろう」ということだった。

次女と妻と三人で、彼の実家のある桐生市に行って、両親とも相談したところ

「桐生市にも、教会で結婚式を挙げられるところがあるので、若い二人で見てきたら」

と、いうことになっとた。

その式場を見て、二人はすっかり気に入り、そこで結婚式をやることになった。

肝心の結婚式をやる費用は、取りあえず、両方の親が肩代わりしてやることにした。

 

次女は、三人姉弟の真ん中である。

少し、わがままな所もあるが、明るい性格で、頑張りやなので、仲良くやっていけると思う。

 

長女は、私と東京のマンションで暮らしているときに結婚したが、

入籍して、写真館で結婚の記念写真だけ撮って、結婚式はやらなかった。

自分が結婚して、マンションでの私の介護を、介護リレーで次女にバトンタッチしたことや

私が、車椅子生活で通勤中だったので、結婚式に耐えられないかも知れない、などの、

長女なりの心配と配慮があったのかも知れない。

長女は、「そのうちに、海外の旅行先ででも結婚式をやるから」といって笑っていた。

 

次女の結婚式は、私たち夫婦にも、思い出に残るものになった。

妻は、自分の着物を子供の結婚式に着ることができたし、

私は私で、バージンロードを、簡易型の電動車椅子で先導するという思いがけない経験をした。

結婚式では泣かなかったが、披露宴で次女の読んだ両親への手紙(写真)には

妻も私も、感動と、様々なことが浮かんできて、涙が止まらなかった。

 

次女は、次女なりの結婚式で、両親に感動を一杯くれた。

また、四年前に、長女は、結婚式をしない選択をして、両親に心配をかけないことで、

長女なりに、両親に感動を与えてくれた。

 

いつの日か、息子がどんな感動を私たち夫婦にくれるか? 

今から楽しみである。 

目次に戻る

◇ 介護保険の訪問介護サービスをを利用して  2002.3.1(金)

今年の2月から、金さんは、介護保険の訪問介護サービスを利用しています。

訪問介護サービスには、「身体介護」と「家事援助」があります。

金さんが、2月に利用したのは、平日家に一人でいる時間帯に、調理をしてもらう家事援助のサービスでした。

11:00〜12:30と16:30〜18:00の一日2回ヘルパーさんに来てもらい、食事を作ってもらうサービスです。

 

ヘルパーさんが軽自動車でやってきて、手際よく暖かい食事を調理してくれます。

そのほかに、体温、血圧、脈拍を計り、金さんが食事の後に飲む薬を用意し、話し相手になったり、介護記録を2枚書きます。

1枚は、ヘルパーさんが勤めている居宅介護支援事業者用で、もう1枚は、金さんの家に「介護記録」として、置いてゆきます。

金さんの2月の「介護記録」をみると、「身体介護」の欄はほとんど空欄で、車椅子から食堂のイスへ移るときの介助が、

まれに書いてあるだけでした。「家事援助」の欄には、準備、調理、配膳、後かたづけ、などが書いてあります。

介護記録の用紙には、「話し相手」という欄も、「家事援助」の欄に分類されて、毎日チェックされています。話すことによる

言葉のキャッチボールは、利用者にとって癒しの効果や、言語障害のある人には、リハビリテーションにもなるので、この分類は

変です。別の分類にした方が、良いように思います。

2月の「家事援助」は、そのほかに、石油ストーブの石油を入れてもらったり、毎日食材屋さんの「ヨシケイ」に食材を届けてもらって

いるので、それを冷蔵庫に入れてもらったり、部屋の掃除をしてもらったり、新聞や郵便をもってきてもらうことなどでした。

体温、血圧、脈拍は、毎回計って「介護記録」にも書いてくれます。

2月はまだ寒いので、やりませんでしたが、暖かくなったら、電動車椅子で外出するときの外出介助も、やってもらおうと思います。

 

訪問介護サービスが一ヶ月過ぎたので、ヘルパーさんが、居宅介護支援事業者から利用者に渡す、「サービス利用票別表」を

持ってきてくれました。

「サービス利用票別表」には、2月分の、サービスの内容、サービスの単位、サービスの回数などが書いてあります。

それを見ると、2月分の介護保険の対象になる費用の総額と保険給付額、利用者の負担する額がわかります。

金さんの受けたサービスは、複合型介護3に相当するそうです。

単位は403で、46回分、2月分のトータルは、18,538単位になりました。

1単位が10円ですから、総額で185,380円ということになります。

そのうち、90%の166,842円が、介護保険の保険給付額、10%の18,538円が利用者である金さんの自己負担額になります。

いずれ請求書が送られてくると思います。

 

訪問介護サービスを一ヶ月間利用してみた、金さんの感想です。

良い点をあげると、

 

@ 食事が楽しくなったことです。

ヘルパーさんをお願いするようになり、食事を一人ですることが無くなりました。

それに、毎食、暖かいおみそ汁と、お茶が付く食事ができるのは、幸せだと思います。

ヘルパーさんをお願いする以前には、妻が作って置いていってくれるお弁当(冷たくなった)を、一人で食べていたので尚更です。

おかげさまで、食事が楽しくなりました。

 

A きまった時間に食事するので、間食をしなくなったことです。

それまで夕食は、妻が勤めから帰ってから用意してくれていたので、早い日でも九時過ぎになりました。ただ、それだと、

途中でお腹が空くときもあるので、間食用のパンなどを食べて待っていたので、健康にも良くありませんでした。

ヘルパーさんが来てくれるようになってからは、妻と息子が帰ってくると、金さんは、お茶だけ入れてもらって、

一緒に食事の団らんに仲間入りをしています。

 

B 書斎(兼寝室)で食事をしていましたが、食堂で食事をするようになったことです。

家の中の段差の解消などのバリアフリーの工事が済んで、車椅子で楽に移動できるようになったので、

書斎(兼寝室)で食事をするのを止めて、車椅子で食堂に行って、テーブルで食事をしています。

 

C ヘルパーさんとの会話のキャッチボールで、言語障害のリハビリテーションや、会話が癒しになって

心のリハビリテーションになるのも、嬉しいことです。

 

妻にも良い点があります。

 

@ 一つは、精神的なものです。

今までは、一人で留守番している金さんが昼間どうしているか?とか、夜はお腹を空かしているんじゃないか?とか、

気がかりだったのが、無くなったことは大きいそうです。

 

A 二つには、物理的なものです。

毎日金さんのお弁当を用意しなくても良いことや、帰りに食材を買って帰らなくても良くなったことで、物理的にも楽になったそうです。

妻は、東京の霞ヶ関までの遠距離通勤をしているので、毎朝金さんに食べさせたり、お弁当を用意するのは大変でした。

また、仕事が終わって、上野で宇都宮線に乗り換えて帰るときも、

以前は、金さんの夕飯を心配して、間に合う電車に飛び乗っていたそうです。

それが、ヘルパーさんが来てくれるようになってから、少し気がかりが減って楽になったと喜んでいます。

 

B ヘルパーさんが書く介護記録で、金さんの、昼間の様子がわかるようになったのも、妻には利点です。

体温と血圧、脈拍、その日の食事の内容などを介護記録に書いて置いていくので、

妻が介護記録を見て「保育園の連絡帳みたい」と言いました。 

 

昨年の晩秋に、妻が、介護保険を利用しようか?と言いました。

そこで、ヘルパーさんを頼む前に、妻と息子と三人で話し合いをしました。

妻と息子は、留守の間に、他人(ヘルパーさん)が家に入ってお勝手を使うことに、少し抵抗感があるようでした。

そのため、まず、町の介護保険のサービスのメニューにある、

食事の配達サービスを利用できないか、町の保健福祉課に聞いてもらいました。町の返事は、

サービスに限りがあるので、単身者だけを対象にしているサービスだから、家族がいる金さんの所は対象外だそうです。

そんな経緯があって、結局、ヘルパーさんをお願いすることにしたのです。

ヘルパーさんは、金さんが介護保険の被保険者になるときに、家に調査に来てくれた

介護支援専門員(ケア・マネージャー)の所が、居宅介護支援事業者になっていたので、そこに頼みました。

妻が家にいる一月の土曜日に、家に来てもらい、いろいろ説明を聞いて、二月からヘルパーさんに来てもらうようになったのです。

 

二月に金さんの所へ来てくれたヘルパーさんは、3人でした。

主に30代と50代の女性のヘルパーさんが、交替で来てくれます。

その二人が来られないときに、一度だけ40代のヘルパーさんが来てくれました。

一ヶ月で、ヘルパーさんたちの人柄も大体わかりました。

金さんは、ヘルパーさんとの、その日の会話のキャッチボールで、

言語障害のリハビリテーションになりますし、会話で癒しになります。

それは、心のリハビリテーションになっていると言えるでしょう。

一人で留守番していた頃は、昼間ほとんどしゃべる機会が無かったので、

これからは、前よりも元気になれると、介護保険のサービスに感謝しています。

 

介護保険のサービス利用票別表を見て、妻が家庭でしている仕事を再認識しました。

今までは、妻の仕事をいくらぐらい?などと考えたことはありませんでしたが、介護保険のサービスで計算すると、

予想では、凄い額になることは確実です。

女性の家事労働を適正に評価することが、男女平等参画を進める上で大事な用件になると思いました。

 

目次に戻る

◇ NHKスペシャル 「車いすから立ち上がれ」をみて  2002.2.24(日)

2月23日 土曜日の夜、金さんの掲示板でインターネットの友人から教えてもらい、

NHKスペシャル 車いすから立ち上がれ・・脳卒中リハビリ革命・・、をみました。

 

脳卒中は、脳出血、脳梗塞、くも膜下出血、高血圧性脳症があります。

金さんは、31歳の時に高血圧性脳症、43歳に一回目の脳出血、52歳の時に2回目の脳出血で倒れ、

三回も、救急車で病院に運ばれ、治療とリハビリテーションの経験があります。

三回の脳血管障害の経験者で、現在車椅子生活をしている者として、「車いすから立ち上がれ」を大変興味深く見ました。

脳卒中のリハビリテーションは、入院したらなるべく早くからはじめる方が良い、というのは、

金さんが、一回目の脳出血で入院したときに、病院の婦長さんから聞いていました。

ただ、病院でのリハビリテーションは、理学療法士(PT)や作業療法士(OT)が、病院にいるときだけやります。

つまり、夕方5時過ぎや土曜日と日曜日には、患者が自主的にやらない限りリハビリテーションの訓練はありません。

休日は、看護婦さんも人手が少ないので、患者の自主的な訓練にまで、目がゆき届きません。

そのためか、転倒する危険のある人は、車椅子の人が多かったように思います。

病棟では、ベッドにいることが多くて、トイレや食堂などへの移動にも車椅子を使っている人が、

リハビリテーションの訓練室では、立派に歩いている患者さんを、金さんはたくさん見てきました。

車椅子の方が、看護や介護に人手がかからないからです。

リハビリテーションで歩けるようになれる人でも、車椅子を使うことは、脳卒中患者の今までの医療でした。

脳卒中の患者さんにも、夜間や土曜日、日曜日に、自主的にリハビリテーションをやる人がいます。

金さんもそうでした。

病院のリハビリテーションには休日がありますが、人間が生きて行くのに、休日はありません。

だから、リハビリテーションをやる目標を持ち、自分にあったリハビリテーションを

自主的にやることが、少しでも回復につながると、金さんは思ったからです。

もちろん、リハビリテーションですべての車椅子生活の人が、歩けるようになるのではないことは、金さんも知っています。

それでも、やらないで後悔はしたくないと思いました。

病院を退院してからも、家で手すりやパソコンを使って、自分流のリハビリテーションを続けています。

それでも、車椅子生活から立ち上がれなければ、自分でも納得できる気がします。

 

国立長寿医療研究センターの大川弥生(おおかわやよい)医師は、テレビで前にも見たことがあります。

大川さんが、車椅子を使わずに、マヒのある人も歩けるようになる、新しい看護や介護の方法を開発して、

各地の病院で実践しているのは、素晴らしいことだと思います。

残念なのは、番組でも様子がわかったように、患者のリハビリテーションの目標設定に当たって、

理学療法士(PT)や作業療法士(OT)、看護婦さんなどが、大川さんほどわかっていないのではないか? ということです。

何を退院後の目標にしたらいいか、患者の自宅や職場を訪問して、

自分の目で見たり、患者や家族との話し合いで、理解しようとしている医療スタッフが、どの位いるでしょうか?

患者が、病院に入院しているのは、6ヶ月前後なのです。

家に帰ってからの方がはるかに長いのです。

「人手が足りない」「診療報酬が安すぎる」など、やれない理由はいくらでも探せます。

でも、それでは、患者や家族が期待しているリハビリテーションには、ほど遠いと思います。

高齢者でも、目的を持ってリハビリテーションをやれば、歩いて退院できる人がいっぱいいるのです。

 

長野県は、高齢になっても、畑などで働く人が多いのか、医療費も他県に比較して低いそうです。

医療費が高すぎる原因を解消するために、保険料の値上げが繰り返されていますが、

番組を見て、医療についての、医療スタッフや国民の意識を変えることの方が、大切だと思いました。

そして、こういう番組は、患者や家族だけでなく、医療スタッフにも見て欲しいと思います。

目次に戻る

◇ 年賀状と電子メール  2002.2.10(日)

金さんは、今年(2002年)も、約500枚の年賀状をだした。

その中には、年賀状だけのお付き合いの人もいる。

年賀状は、儀礼的なお付き合いだから、やめようと言う人もいるが、金さんはそうは思わない。

お互いに、50円で近況を伝えることができるのだから、年賀状のお付き合いも重要だと思う。

 

金さんの場合、年賀状には、近況とか、今年の抱負とかを書いている。

年賀状を読んでホーム・ページを見てもらったり、メールをもらえるように、ホーム・ページのURLと、

メール(電子メール)のアドレスも書いている。

今年は、勤めをやめて自由人になったので、本を出したいことを書いた。

本の原稿も、ようやくできあがったので、予定通り今年中には出版できると思う。

 

二度の脳出血の後遺症で四肢マヒになり、ペンや筆で字を書けないので、年賀状はパソコンで書いている。

パソコン、プリンタを使うと、細かい字も綺麗に印字してくれるので便利でありがたい。

嬉しいことに、今年年賀状を見て、また一人先輩からメールをもらった。

メールには、はじめてのメールを、金さんに出したので無事届くことを、祈っていると書いてあった。

また、ホーム・ページも見てくれたそうである。

ホーム・ページを見て、先輩自身が勇気をもらったとも書いてあった。

パソコンは、中高年の人もコミュニケーションのツールに使う時代になった。

金さんも、パソコンを早くから使っていて本当に良かったと思う。

障害者になってから、インターネットをはじめ、

自分のホーム・ページを持って、それをつくづくと感じている。

目次に戻る

◇ いつもイコールパートナーでありたい  2002.2.10(日)

パートナー(partner)という言葉は、「相手」とか「共同経営者」のことで、一緒に何かをする仲間のことを指す言葉だという。

三十何年か前、金さん夫婦は、人生のパートナーとしてお互いを選び結婚した。

夫婦は、人生のパートナーであるが単なるパートナーではない、イコールパートナーである。

金さん夫婦は、結婚してから人生の様々な場面で、喜びはもちろんのこと、苦しみや悲しみを共に味わってきた。

そして三人の子供たちを、無事に成人させることがてきた。

これは、三十余年の間、夫婦がイコールパートナーとして、助け合ってきたからだと思う。

 

金さんは、52歳の時2回目の脳出血になった。

その時の後遺症で四肢麻痺になり、それ以来車椅子生活である。

車椅子生活にはいろいろと不便が多い。だが、それは仕方がない。

命が助かっただけでももうけものと、頭を切り換えて、できるだけ楽しく生きようと心がけてきた。

人生には、そんな割り切りも必要だと思う。

そのおかげで、車椅子の7年間は、つらいこともいろいろあったが、結構楽しかった。

特に嬉しいことは、車椅子生活になってパソコンを前よりも使うようになったことである。

折からの日本でのインターネットブームに乗って、ホーム・ページを立ち上げてからは、インターネットでの交流が盛んになった。

電子メールやホーム・ページの掲示板(BBS)による交流から、親しい友人が、日本だけでなく、世界に広がりつつある。

これは金さんにとって嬉しいことで、自分でInternet Lifeを楽しんでいると公言している。

インターネットの友人には、民間の会社に勤めている人も、官庁に勤めている人も、家でお店をやっている人も、

家でみかんづくりをしている人も、家事を任されている人もいる。

みんなそれぞれの人生を頑張っているので、金さんにとって人生を楽しむイコールパートナーである。

 

最近話題になった非政府組織(NGO)と外務省の関係のように、

アフガニスタン復興についてはイコールパートナーだと思っていたのに、

政府に気に入らないことをマスコミで発言するからと言う理由で

アフガニスタン復興支援国際会議への参加を拒否された例もある。

国民の税金で雇われているのに、いまだにお上意識が抜けない官僚や、

国民の代表なのに、国民のことを忘れている政治家がいることには驚かされる。

だから、金さんは、夫婦や友人の関係は、いつもイコールパートナーでありたいと思う。 

ただ、残念なことは、この頃、妻に負担をかけてばかりいることである。

これではいけないと考えて、車椅子生活で肉体的には大して貢献できないいろいろな面を、

せめて精神的には役立とうと、金さんの、ささやかな挑戦が続いている。

金さんが、生きがいを持って毎日明るく暮らしていくことが、妻にも楽しい人生になるらしい。

 

※ イコールパートナー(equal partner:対等の立場で、互いに提携しあう関係)

 

目次に戻る

◇ 訪問介護の利点と地域格差の問題  2002.2.6(水)

今日で金さんの訪問介護サービスの3日目です。

金さんは、調理などの家事援助をお願いしていますが、もう少し温かくなったら

電動車椅子での散歩の付き添いなどの、身体介護もしてもらおうと思います。

 

ホームヘルパーさんが来てくれるようになって、金さんが嬉しいことは

温かい食事が食べられることだけではありません。

毎日、血圧をはかってもらうことで、体調と血圧の関連がわかることもメリットです。

それと、ホームヘルパーさんとの何気ない日常会話が、言語障害のリハビリテーションに貢献するように思います。

今までは、週末をのぞいて、昼間ほとんどしゃべる機会がなかったのですが、

毎日少しでもお話できるので、また元気が出てくるような気がします。

 

※ 介護保険を利用した自己負担のめやす

 @ 身体介護が中心の場合:30分以上1時間未満 約402円

 A 家事援助が中心の場合:30分以上1時間未満 約153円

 B 身体介護と家事援助の同じくらいの場合

             :30分以上1時間未満 約278円

※ 利用時間の長さやホームヘルパーさんの資格や時間帯などにより、値段が異なります。

 

自己負担が上記の額ですから、介護保険でみる費用の総額はこの10倍になります。

家事援助のサービスだけの場合、1時間約1530円にしかならないので、都会とか移動が楽な地域と違い

山の多い地方や雪深い地方で、移動に時間がかかる所では、訪問介護をやる事業所があまり喜ばない

という報道も無理もないかも知れません。

訪問介護をする各人の自宅への移動時間は費用に計算されていないようですから。

目次に戻る

◇ 訪問介護のサービスはじまる! 2002.2.4(月)

2月4日今日は立春です。寒が終わり、暦の上では春になりました。

とはいえ、まだ雪の多いところもあると思います。

今日2月4日から、金さんの介護保険の訪問介護のサービスがはじまりました。

お昼と夕飯の調理サービスです。

一人の時には、冷たいお弁当を食べて、温かいみそ汁など食べたことが無かったのですが

今日は違います。娘とほぼ同年輩のヘルパーさんが、美味しいご飯とみそ汁

それに、おかずを用意してくれました。

おかずの食材は、「ヨシケイ」という食材屋さんが、

毎日配達してくれるように妻が手配してくたのです。

介護保険法のおかげで、家事援助のサービスを、一割負担で

受けられるので、金さんも美味しくご飯がいただけます。

そして、何よりも妻の負担が軽減されると思うと、介護保険を

利用することにして、良かったと思います。

ただ、家事援助のサービスだけでは、値段が安いので、サービスをしてくれる業者があまり喜びません。

介護される人も、介護する人も喜べる制度は、難しいものですね。

妻が心配して東京から電話をくれました。

「どう!夕飯食べた?」

「うん、温かくて美味しい夕飯を食べたよ!」 

金さんが答えると、安心したようでした。

目次に戻る

◇ 介護保険法の被保険者になって 2002.1.25(金)

 介護保険制度が平成12年4月からスタートしている。

 運営主体は市町村・特別区で、65歳以上の人(第1号被保険者)と40歳から64歳までの脳血管疾患などの病気による要介護状態や

要支援状態の人(第2号被保険者)が、介護保険のサービスを利用できるようになった。

 金さんも、在職中は、介護保険の保険料を医療保険の保険料に上乗せして天引きされていたが、退職して家で暮らすようになったので、

今度は、介護保険のサービスを利用することにした。

 介護保険のサービスを利用するには、住んでいる市町村から、「あなたは介護が必要な状態です」と認定されて、はじめて利用できる。

 妻が町役場の保健福祉課に相談して、介護保険法の被保険者に認定してもらうための、「介護保険 要介護の認定・要支援認定」の

申請書をもらい、町役場に提出した。

 幾日か経って、町役場から委託された、介護支援専門員(ケア・マネージャー)が、どの程度の介護が必要か家に調査にきた。

 調査をもとに、マークシート方式(コンピューターによる判定)で、第一次判定が行われて、第一次判定の結果と調査員の特記事項、

金さんのかかりつけ医師(現在は都立大塚病院の内科の医師)の意見書をもとに、介護認定審査会(市町村が設置、保健・医療・福祉の

学識経験者)が第二次判定をする。

 第二次判定の結果が、町役場から申請から30日以内で通知されてきた。予想していた通り、認定結果は要介護3である。

 認定の有効期間は平成13年11月30日から、平成14年5月31日までと書いてある。要介護の認定は6ヶ月ごとに更新される。

 いま、介護支援専門員(ケア・マネージャー)に、介護サービス計画(ケアプラン)を作ってもらうようにお願いしている。あとは、居宅介護

支援事業者と契約して、平日、ホームヘルパーさんに食事を作ってもらうサービスなどを利用する予定である。

 金さんが介護保険のサービスを利用することで、働きづめの妻の負担が少しでも軽減されると嬉しい。

 妻は、今まで、金さんと自分のお弁当を作ってから、東京まで通勤し、夜は、帰宅してから家族の夕飯を作り、風呂の準備、入浴の介助

と洗濯をするなど文字通り働きづめである。

 それだけではない。毎週末には、病院に義母を見舞って、洗濯物を持ち帰り、翌日に届けている。

 何も不平を言うわけではないが、妻の疲労も、目に付くようになった。

 介護保険のサービスでは、調理などの訪問介護が利用できるので、少しは妻の負担も軽減できると思う。

 また、介護保険のサービスは、福祉用具の貸与や住宅改修(段差を解消したり、手すりの取り付けなど)などに利用できる。

 福祉用具は、購入するには高いのが難点だったが、これからは、福祉用具の貸与を利用していこうと思う。

 

 日本は、これから本格的な高齢社会になる。

 高齢社会では、家族と社会が「介護は社会で 愛は家族で!」と、介護の社会化を進める1万人市民委員会の標語のように

完全に役割を分担するのではなく、家族と社会が、共同して支えていく社会にしていくのが望ましい。

 介護を受ける人も、その方が、生きがいのある人生をおくれると思う。

目次に戻る

◇ おかあさん ありがとう!! 2002.1.16(水)

 三十数年前、結婚当初の埼玉の家は、古くて実に使いにくかった。

もし、あの頃病気で倒れていたら、家で車椅子生活など、とても考えられなかったに違いない。

 当時、不便なのは風呂とトイレだった。

どちらも、屋外に別に建っている風呂場と便所まで行かないと、使えない。

雨や雪の日には、風呂とトイレに、傘を差して行ったものである。

 三十歳の時に、自己資金なしで全額借金で建てられるというので、思い切ってミサワホームのプレハブ住宅の家を新築した。

プレハブ住宅といっても、今のようにしゃれた住宅ではない。

ミサワホーム(株)が設立してまだ五年ぐらいだったので、プレハブ住宅の工法自体がまだ開発途上だった。 

 それでも、三十歳で住宅を建てたので、自分自身は意気揚々と東京から埼玉の家に帰ってきた。

 もっとも、内情をいえば長女が一歳になり、町の保育園に預けられるようになったので、義母に、保育園の送迎をしてもらうためである。

 それともう一つ、結婚の少し前に義父が病気で亡くなっていたので、埼玉の田舎で一人暮らしの義母のためにも、

若い者と一緒に暮らした方が良いのではないかと、妻と相談して決めたのである。

 あれから、ほぼ三十年、妻は、いまも霞ヶ関まで六十キロ以上の距離を、遠距離通勤で頑張っている。

 次女が生まれた時や、長男が生まれた時など、途中で何回か退職を考えたこともあったらしいが、

そのたびに金さんが倒れたので、やめる機会を逸してしまったらしい。

 義母は、いま寝たきりで、療養型病床群を併設する病院に入院しているし、金さんは、脳出血の後遺症で車椅子生活である。

住宅のローンは、増築した書斎と和室の分も含めて、退職するまでに支払いが終わっった。

 いまは、金さんの車椅子生活が便利なように、家のバリアフリーになっていないところを、工事中である。

段差の解消、手すり、車椅子で出られるウッドデッキやスロープを付ける工事などが、着々と進んでいる。

 出たいときに庭に出て、花や緑を見たり、鳥の声を聞いたりする小さな幸せが、妻のプレゼントだ。

 そして、まだまだ、妻の頑張りはつづく。 おかあさん ありがとう!!

目次に戻る