エッセイ(車椅子の視線から)

 ・・・ 2006年 7月〜2006年12月 ・・・


 
年賀欠礼状に思う    
定年ライフを考える  
偶然の発見        

和さんのピアノ発表会 

ミイの死と「般若心経」  

ゴーヤカレー         

だれとどこで?      




○ 年賀欠礼状に思う   2006年 11月28日 月曜日

今年も11月半ばを過ぎてから連日喪中はがきが届いている。
若い頃に机を並べて働いたことのある友人の奥さんからの年賀欠礼状もある。
つらいのは、自分が二回目の脳出血で入院していた時に、見舞いに来てくれた友人が亡くなったことを、奥さんの名前で届く年賀欠礼状で知ることだ。
あんなに元気そうに見えたのに、なぜ自分を追い越して行ってしまったのだろう。
そんなに急ぐことはないのに! とつぶやいてみる。
“一病息災”というけれど、二度も脳出血で倒れて車椅子生活にながら、めげることもなく、シクタラシクタラ生きている自分はきっと運が強いのかも知れない。

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○ 定年ライフを考える   2006年 9月28日 木曜日

9月25日(月曜日)の朝、NHKテレビで連ドラ(この日は「純情きらり」)の後、の「生活ほっとモーニング」は「解決します!妻と夫の定年ライフ」をやっていた。
金さん&和さんは、このところ朝の連ドラを見るのが日課になっているが、月曜日は金さんの訪問リハビリもあるのでゆっくり見てはいられない。それでも、この日だけは、「解決します!妻と夫の定年ライフ」のテーマにつられてしまった。見ていると、定年後の夫婦が困っている課題と解決方法を、具体例をあげて紹介していたので参考になった。これから定年を迎える人たちにも参考になると思うので、ここで紹介したい。

この日番組に愛川欽也とうつみ宮土理の夫妻がゲストで出演していた。二人ともサラリーマンではないので、サラリーマンには気がつかないような意見を聞けて面白かった。

日本では、まもなく団塊世代が定年を迎えるという。定年を迎える夫婦には期待もある反面で悩みもあるようだ。NHKの生活ホットモーニングがオンラインで「協力家族」の皆さんにアンケートしたところ、500人以上の方が回答を寄せてくれたという。

「定年後の生活に不安を感じますか?(感じましたか?)」という質問に対しては、7割の人が「不安を感じる(感じた)」と答え、どんな不安なのかの質問に、妻は「夫がずっと家にいるのが苦痛」「昼食の準備など家事が増え自分の時間が減った」、夫は「目標がない」「時間のつぶし方がわからない」という結果になったという。

アンケートに協力していた定年後間もない夫婦の悩みを具体的にあげると
(1)妻「家事を手伝って欲しいのに・・・」
(2)夫「じつは料理をしてみたい・・・」
(3)夫「ご近所にとけこみたい・・・」
(4)夫「まだまだ仕事をしたいけど・・・」

これらの悩みを解決するため番組で、実際に悩みを解決している具体例を取材してビデオで紹介していた。また、夫の「まだまだ仕事をしたいけど・・・」の一例として、NHKの「難問解決!ご近所の底力」の番組とも連携して、定年後の男性たちが立ち上げた佐賀県の会社を取材して紹介していた。

(1)妻「家事を手伝って欲しいのに・・・」
(2)夫「じつは料理をしてみたい・・・」では
退職を目前に料理を始めたという63歳の男性の家を、料理をしてみたい夫と妻が訪ねてポイントを教えてもらう事例を紹介していた。実際に成功している男性は、たった2年で「マイ包丁」を持ち魚の三枚おろしができるほどに上達したという。ただし、その裏には、妻の秘策があったという。その秘策とは決して難しいことではない。誰でもできる内容のように思えた。それは次の三つである。
@とにかくほめる 
A教えることは最低限に 
B夫のこだわりは大切に 
この三つを徹底することが上手くいくコツだという。

また、この男性宅を訪れた定年後間もない夫婦に、簡単に「麻婆ナス」をつくる方法なども教えていた。

定年後間もない夫の、「目標がない」「時間のつぶし方がわからない」という課題は、ご近所さんとどう付き合っていくか?という課題と一緒に考えると、解決も早いように感じた。

番組では、成功している千葉県我孫子市にある「町のたまり場」の具体例を紹介していた。そこでは、使われていない離れを利用した「たまり場」があった。手続きが面倒な、市や町の公民館などと違い、そこを利用するのが簡単であるのが素晴らしい。何をやるか?目的やスケジュールにしばられないので、気が向いたときにふらっと立ち寄れることが最大の特徴のようだ。そこの住民たちは、お茶を飲んでおしゃべりしたり、碁を打ったり、思い思いの時間を過ごしながら、だんだんに顔見知りを増やしているという。しかも、その建物は、趣旨に賛同した大家さんが格安で提供しているという。また、家賃や光熱費は我孫子市が負担しているらしい。行政の住民離れが問題になっている昨今であるが、この事例は地方自治体が住民本位の行財政を考える上でも参考になるような気がした。

(4)夫「まだまだ仕事をしたいけど・・・」では
佐賀県武雄市にある「定年退職者がおこした会社」の実例を紹介していた。それは、定年退職した人たちが集まって立ち上げた介護用品販売会社である。そこの社員たちは、それぞれ、前職で培った経験を生かして活躍していた。小学校の理科の先生だった男性は科学の知識を生かして「においのしないトイレ」を開発したし、メーカーで資材調達の担当だった男性は、豊富な人脈や知識を生かして、新商品に必要な仕入れ先を確保する業務を担当していた。それぞれが高齢者ならではの視点で、自分たちが作った会社に貢献しているのが素晴らしいと思う。

「妻と夫の定年ライフ」の金さん&和さんの例
2001年3月に金さんが58歳で、2年後の2003年3月に59歳で和さんがそれぞれ定年前に勇退した。二度の脳出血の後遺症で車椅子生活をしている金さんに、定年前に辞めることへの不安が無かったわけではない。それを乗り越えて定年2年前に自分から進んで退職したのは、「車椅子生活で何ができるか?」という課題を「インターネットライフ」で克服しつつあった金さんの冒険心に負うところが大きいと思う。いや、チャレンジ精神と言う方が当たっているかも知れない。

和さんが定年の1年前に退職したのは彼女なりの考えがあったからである。
それは、すでに2年間車椅子生活をしながら一人で留守番をしている金さんへの思いもあっただろうし、金さん&和さんで相談していた、「定年後はバリアフリーでユニバーサルデザインの新居を建てて暮らしたい」という構想を早く具体化したいという願いもあっただろうと思う。

いま、金さん&和さんは自分たち建てた新居で、金さんはインターネットライフ、和さんは菜園ライフを基本において楽しく生活している。この生活には、車椅子生活の金さんを介護しながら、自分の目標も持って頑張っている和さんの果たす役割が大きい。金さんもその根本のところを忘れないようにしたい。


生活ほっとモーニング (これまでの放送内容)を一部参考にしました。

協力家族:NHKの生活ホットモーニングでやっているオンライン協力家族は、 テレビを見ながら、 パソコンや携帯電話でアンケートや投票に参加するシステム。


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○ 偶然の発見   2006年 9月19日 火曜日

金さんの友人からメールが届いた。
信州には1999年に農林水産省の棚田100選に選ばれている所が多いが
信州の棚田の写真を撮りに出かけた友人夫妻が、信州新町の牧野島を通りかかった時に
金さんの甥が建てたログハウスを偶然見つけたらしい。
メールには
>>私の頭にバリアフリー旅の写真が沁みこんでいたようです。
と、書いてあり、懐かしい故郷の風景やログハウスの画像が何枚か添付されていた。

金さんの『車椅子の視線から』の「バリアフリーの旅」に載せてあるログハウスの写真が
友人の記憶に残っていて、それが棚田を撮りに出かけた帰り、偶然通りかかったところに
現物が突如現れたので驚いたと言う。

ログハウスの入り口には、車椅子で入れるようにスロープが付いている。
スロープが付いているログハウスは珍しいので、通りかかった友人夫妻も
「もしかしたら、金さんの甥が建てたログハウスでは?」と、ピンときたらしい。

今年も秋の信州旅行で、ログハウスにも寄ることを計画している金さん&和さんにとって
嬉しいメールであった。

※  トップページ のログハウスの写真は友人が撮影したものをお借りしました。
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○ 和さんのピアノ発表会 2006年 9月3日 日曜日

9月2日(土)大利根町のアスタホールで開かれた第6回ピアノ発表会に
和さんが出演したので行ってきました。


このピアノ発表会は、和さんが習っている栗橋町にあるピアノ教室の発表会で
生徒が19名と講師が2名の計21名の人たちが、ピアノ独奏、ピアノ連弾、
講師演奏(独唱、ピアノ演奏)を発表してくれました。

生徒19名の内訳は17名が小学・幼稚園生で、
シニアはわずか2名、
その2名が講師のお母さんと和さんでした。

発表会は今年が6回目だけに、
小学・幼稚園生の発表は
皆さん慣れていて見事でした。
高学年の人は高学年なりに、
低学年の人は足が床に届かない人も何人かいましたが、
低学年なりのやさしい曲をしっかり発表してくれました。


シニアの2名は
二人とも始めてからまだ一年も経っていないのに独奏、連弾、
名曲とそれぞれ3曲ずつ発表してくれました。
発表の途中で少し躓きや失敗があったようですが、
それなりに最後まで弾けたのは立派だったと思います。

発表の後で和さんに聞いた話では、
「途中で指が動かなくなって困った」そうです。
しかし、生徒の発表会ですから、
失敗があったらそこはやり直せばいいのです。
小学・幼稚園生はその点は無心で良かったと思います。
シニアの2名は
人生経験が小学・幼稚園生より遙かに豊富ですから、
「あ!失敗しちゃった」とか
「客席からどう見られるかしら」とか
「孫の発表を見に同級生がきているわ!」など
無心になれない要素がたくさんあって苦労したようです。

アクティブシニアを目指す和さんのピアノ発表会は終わりました。
発表会に車椅子の金さんが見に行くというので、結婚して神奈川と群馬で
暮らしている娘が二人応援に来てくれたので助かりました。

一夜明けて和さんも夕べはぐっすり眠れたようです。
今日は日曜日良い天気です!
屋敷林でツクツクホーシやミンミンゼミが賑やかに鳴いています。
近くで一斉に稲刈りが始まりました。

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○ ミイの死と「般若心経」 2006年 8月29日 火曜日

8月17日の夕方飼い猫のミイが永眠しました。
わずか2歳になったばかりの若死にでした。
せめてものなぐさめは、食欲が無くなり元気もなくなってからの一週間
それほど苦しむでもなく眠るように静かに息を引き取ったことです。
いいえ、本当は声を出して泣き叫びたいほど苦しかったのかも知れません。
猫でない僕には、ミイの本当のところがわからないのです。

ミイは2年前の暑い夏の日
近くの畑に捨てられてミイミイ鳴いていたのを
「このままだと死んでしまう」と可哀想に思った
和さんが拾ってきた猫でした。
ミイはミルクを飲んだり猫用の餌を食べて
少しずつ元気になっていきました。

その当時、家には
シロとクロという雌の飼い猫が2匹いました。
猫は毛が抜けるのでシロとクロの2匹とも
室内に入れずに外で飼っていました。
地球温暖化で冬もだいぶ暖かくなったと言われていますが、
関東平野を取り囲んでいる山から吹いてくる強風は冷たくて
利根川河畔にあるこの町も冬には毎年のように雪が積もっていました。
そんな寒い日の夜シロとクロは、藁(わら)や農機具などの入れてある
納屋にある藁の上などで寝ていたようです。
(※外で飼っていましたが2匹とも10年以上長生きでした。)

2匹の先輩をさておいて、
栄養失調気味のミイは始めから特別扱いです。
金さん&和さんと息子が相談して、
当分の間室内で飼うことにしました。
家の中で飼う場合、
トイレトレーニングと爪研ぎの習性にどう対応するか?
が当面の課題でした。
しかし、「案ずるより産むが易し」ですね。
トイレは、箱に砂をいれてやると割合簡単に覚えました。
爪研ぎは、和さんが市販されている木製の爪とぎ用の板を
買ってきてミイの寝る籠の側に置いてやると
すぐにそれでやるようになりました。
和さんがお掃除を始めると「これはボクのだい」とばかりに急いで飛び乗り爪研ぎをするのでした。

ミイを室内で飼うことにしたのは結果的にも正解でした。
その年の秋、和さんがミイの去勢手術のために
かかりつけの動物病院に連れて行きました。
(※家の飼い猫は雄も雌も避妊・去勢手術をしていたのです。)
その動物病院では、去勢手術は手術したその日の夕方には
家に連れて帰れます。
でも、ほかの猫にウイルスを感染させないために
預かる猫はすべて事前に血液検査をするのだそうです。
ミイはこの手術前の検査で
「猫白血病ウィルス」に感染していることがわかったのです。

動物病院の獣医師が和さんに説明してくれたそうです。

「この猫は母子感染で生まれながら猫白血病ウイルスに感染していた。
 猫白血病ウイルスに感染している子猫は発病しやすく、
 若いうちに発病すると、助かる道はなくほとんど死んでしまう。」 と

せっかく助けた「捨て猫」ですが、
ミイは「あと何年生きるかわからない」という可哀想な状態でした。
しかし、当事者のミイはそれを知りません。
金さん&和さんは、ミイの命がある限りそれまでと同じように家の中で飼うことにしました。
人間や犬には感染しないというのが救いでした。

金さん&和さんも、「いつか発病するのでは?」と内心ビクビクでしたが、
ミイは元気にスクスクと育っていました。
2年目の今年の春も元気で、金さん&和さんは猫白血病ウィルスのことを
忘れていたと言っても過言ではありません。

ミイのねぐらはさいしょ旧い家の廊下の隅に布団を敷いた籠を置いていました。
トイレは箱に砂をいれていましたが、後で市販のフードが付いたものに変えました。
トイレの砂は頻繁に替えないと匂うので、和さんが新しい砂に替えていたようです。

ミイは、昼間は首輪に紐を付けていたので、
天気の良い日にはよく廊下からウッドデッキに出て、
老犬のルーと寄り添うように昼寝をしていました。

ミイが完全に自由になるのは毎日夕食後でした。
和さんが首輪から紐を放してやると、
ミイは一目さんに金さん&和さんの暮らす新しい家に
駆けていきます。
そして、和さんにまつわりついたり、浴室をのぞいたり
さんざん遊んだ後で
フローリングの床にのんびり寝そべるのでした。

風呂好きのミイ

ミイは風呂好きで水を恐がりませんでした。
金さんか和さんが風呂に入っていると、浴室のドアを自分で開けて入ってきて
浴槽に前足をかけて見ているのが好きでした。
また、時々浴槽の湯を舌でペロペロなめていました。
和さんがミイを洗ってやるときも、ミイは浴槽に前足をかけて動かないでいたそうです。

和さんを起こすミイ

昨年からミイは夜寝るとき和さんのベッドで寝るようになりました。
といっても和さんの布団にもぐって寝るのではありません。
しばらく和さんの枕元で「グルグル」音を立てて寝ていて、
やがて和さんが寝ると、和さんの足元で手足を伸ばして寝るのです。

家で一番の早起きは金さんです。
毎朝だいたい五時半に起きてトイレと洗面を済ませて
書斎のパソコンに向かいます。
しばらくするとミイが起きてきます。
まずベッドの上で、自分の足をきれいになめ顔などを洗い
書斎にやってきます。
そして金さんの椅子の周りを一回りしてから、
窓に飛び乗ってガラス越しに外の景色を見るのでした。
ミイも内心では、
「ボクも外に遊びに行きたいなあ!」と
思っていたのかも知れません。
しばらく窓の外を眺めると満足するので
金さんがミイに命令します。
「ミイちゃん、おかあさんを起こしておいで!」
すると、ミイは窓から降りてゆっくり寝室に行き、
和さんのベッドの傍らで「ミャーゴ」と鳴きます。
それで起きないと書斎に戻り「ニャーゴ(起きないよ)」と金さんに言いつけます。
「起きないか、もう一度起こしてお出で!」と金さんが言うと
前よりもゆっくり寝室に行き、和さんのベッドに飛び乗ります。
そして、和さんの手や足を軽く叩いたり引っ掻いたりして起こします。
それでもも起きないと、「ニャーゴオ−」と独特の声を出して和さんを起こすのでした。
和さんを起こしたミイは喜んで和さんについていき紐につながれたそうです。

金さんのベッドにミイがきた!

ミイは和さんが好きでした。寝るときも和さんのベッドにしか飛び乗りませんでした。
ある時、和さんがミイを金さんのベッドに寄越すと、後ずさりして嫌がるのです。

ミイは、捨て猫だった自分を拾ってくれたのも和さん、
毎日食事や水を用意してくれるのも和さん、
抜け毛の散らかるのを掃除してくれるも和さん、
トイレの砂を取り替えるのも和さん
とすべてわかっているようでした。

しかし、そんな平和な日も永くは続きませんでした。
2006年の8月のお盆前に
恐れていた悲しい運命がやってきました。
ミイが突然元気がなくなったのです。
紐を放してやっても、
それまでのように喜んで走り回ることが無くなりました。
食欲がなくなったのもその頃です。
それまでの猫用の餌を全くたべないのです。
水も自分からは飲もうとしません。
「ミイも夏バテかな」と金さん&和さんで話しましたが
食欲がなくなり、水分も自分からはのまなくなると心配です。
和さんに、かかりつけの動物病院に連れていってもらいました。血液検査をしてもらうと
白血球数:25,400/μΙ、Ht:14%、Hb:4g/bI でした。
「もうどうしようもないので猫の好きなようにさせたらどうですか」と言われたそうです。
元気のないミイはウッドデッキの隅にある室外機の上で寝ていることが多くなりました。
和さんがスポイトでやる水分も、声を上げて嫌がっていました。

そんなある晩、ミイが和さんのベッドから金さんのベッドに飛び移ってきました。
「珍しいこともあるなあ」と驚いて見ていると、ミイは寝ている金さんの両足の上に
座ってじっと金さんを見ています。かなり長い時間だったように思います。
ミイはやがて和さんのベッドに戻っていきました。
しばらく寝ていると足元のタオルケットが冷たく感じました。
「あれ、おかしいぞ!ミイがオシッコをしたんじゃないか?」
和さんにみてもらうと、案の定ミイのしわざでした。
金さんの両足も敷布もミイのオシッコでビッショリでした。
仕方がないので、和さんにシャワーをかけてもらい着替えて寝ました。
ミイは、最後まで和さんのベッドをオシッコで濡らさないように気を遣ったのかも知れません。
金さんも、たった一度でしたが、ミイがベッドに来てくれたことを嬉しく思います。

そして、8月17日の午後ミイは眠るように息を引き取りました。
つい1週間前まで、あれほど元気だったのにあっけない最後でした。

翌日の8月18日広域利根斎場組合メモリアルトネに電話して、ペットの合同葬があること
確かめ、斎場の係の人に言われた通りミイの遺体をビニールに入れて花を添え
段ボールの箱に入れて和さんが斎場に送って行きました。

やはり犬か猫を合同葬に送ってきたのでしょう。若い母と子供に会ったそうです。
泣きはらした目をしているお母さんの側に、ケロっとした顔で4、5歳ぐらいの子供さんが
話していたそうです。

2006年夏、ミイとの2年間の共同生活は終わりました。
この夏、新井満氏の「自由訳般若心経」と、柳澤桂子氏の「生きて死ぬ智慧」の二冊を
じっくり読んで見ました。

「もう、猫は飼わない」と和さんは言っていますが、金さんはそうは思いません。
猫も犬も好きな金さん&和さんです。
いつの日かまた、猫と元気に遊んでいることでしょう。

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○ ゴーヤカレー

昨日のお昼に和さんが珍しいカレーを作ってくれた
特製のゴーヤ(ニガウリ)カレーである。
ゴーヤは何年か前にNHKの朝の連続テレビ小説
『ちゅらさん』で有名になった。
『ちゅらさん』の主人公の故郷が沖縄で、
ドラマでもゴーヤを使った沖縄料理が紹介されたことから
「ゴーヤ」が全国に広まったようだ。
僕もあれ以来一度は食べてみたいと思っていたが
機会がなくまだ食べていなかった。

それが意外なことで味見できることになった。

「ゴーヤどこで手に入れたの?」と和さんに聞くと
「○○○ちゃんからもらったの」と和さんがニコニコしている。
なんでも、二、三日前に和さんが自分の菜園で育ったズッキーニを
「食べてみて」とご近所の奥さんである○○○ちゃんに分けてあげたところ
お返しにゴーヤをもらったのだそうだ。
「菜園ライフはいいね実業だから 物々交換で意外なものがもらえるしね!」
和さんが、ネットトレイダーのまね事をして実入りのない僕を笑う。

○○○ちゃんの家には100歳に手が届こうというおかあさんがいる。
そのおかあさんは元気で何でも食べる人なのだが
ゴーヤの苦いのが苦手なのかあまり食べようとしないという。
「これの方がクセがなくていい」と
ズッキーニは喜んで食べるらしい。
ズッキーニは今年初めて和さが種を買ってきて
菜園に三粒蒔いた。
それが三株とも芽を出して見事に育っている。
和さんの菜園では、
茄子やキュウリ、カボチャも育っているので
三人だけのうちの家族では食べきれない。
僕はゴーヤもズッキーニも生まれて初めて食べたが
どちらかというとズッキーニの方がクセがなくて食べやすい。
しかし、今日のゴーヤカレーもなかなかおつな味がした。

−写真上はゴーヤ、下はズッキーニ−
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○ だれとどこで?  2006年7月22日

昨日(2006年7月21日(金))の夜、NHKの「首都圏金曜特集 新トーキョー人の選択「終(つい)のすみか だれとどこで?」を金さん&和さんで見ました。
午後7:30〜午後8:45(75分) までの番組でした。

人生85年と言われていますが、誰一人例外なく生きているかぎり人は歳を取っていきます。
したがって「終のすみか」を あなたはどうしますか?は、決して人ごとではありません。自分たちの課題なのです。
番組では、東京の高島平団地で配偶者を亡くした老婦人が、一度他の場所へ移ったのに、新しい所でのコミュニケーションが旨くいかないので、また高島平団地に戻ってからの一人暮らしのコツをはじめ、光が丘団地で別棟に住むことで実現した現代版の大家族の暮らしぶり、気が合う人だけで専用住宅を建て家族のように暮らす高齢者の日々の様子、茨城県にある実家の土地に、診療室などがある高齢になっても不安のない建物を建てようと、共同で暮らす仲間を集めている中年夫婦などを紹介し、あわせて高齢者を見守るシステムやリフォームのアイデアなども紹介しながら、あなたはどうしますか?と問いかける番組でした。

番組を見て金さん&和さんで話し合ったことが、三つあります。
第一は、将来、子供たちとは一定の距離を保って一緒に住まないことです。
例え自分たちの子供でも人格が違うので好きな食べ物も違うし生活スタイルなども違います。それぞれの家族を持ってからは、親は子離れ子は親離れしていくのが当然だと思います。
それでも親子は親子ですから、「老いても子に頼らず!」と突き放すのではなく、一定の距離を保って必要に応じて相互支援の関係が続けられれば嬉しいと思います。
第二は、金さん&和さんのそれぞれの友人に感謝して大事にすることです。
「人生はやり直しができる」と言いますが、歳だけはリセットできません。
金さん&和さんの友人はどなたも、同じ時代を共有し楽しんだり苦しんだりした大事な友人なのです。
第三は、地域のご近所さんとより友好関係を築くことです。
この土地に住んでいる人たちは、老若男女それぞれ境遇が異なるので、考え方や思想信条が違って当然です。でもこの土地に住む仲間なので皆さんと仲良くやっていきたいと思います。

金さん&和さんは、2004年この敷地内に、より快適に暮らせるようにユニバーサルデザインの家を作りました。車椅子生活の金さんにも暮らしやすいバリアフリーの家です。
この家で金さんはインターネットライフ、和さんは菜園ライフを基本に置いて、明るく楽しく精力的に暮らしながら、将来に備えたいと思います。

※ バリアフリーの家を建てる

※ 『リフォームの本VOL.2』 オレンジページインテリア特別編集
  2006年7月17日発売号で金さん&和さんの家が46頁〜49頁に紹介されています。

  




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過去の車椅子の視線から(エッセイ)はこちらから