エッセイ(車椅子の視線から)

 ・・・ 2011年 1月〜2011年 6月 ・・・




  大地震とわが家の水道の漏水  
 ○   東日本巨大地震  
 ○    「じじ大丈夫かなあ 心配だ〜!」 
   孫に遊んでもらう 





○ 大地震とわが家の水道の漏水

3月11日の東日本巨大地震の被害で、同じ地区の何軒も屋根の瓦が落ちたり、水道の漏水があった。
しかし、幸いのことにわが家では屋根の瓦も水道も無事で、アスファルトを引いた車椅子の散歩道が一部
壊れただけだと今まで思っていた。
何故なら、大地震後普通に水道が使えたし、敷地の中で漏水した水が吹き出すこともなかったからである。
だが、5月になってそれは大きな勘違いだとようやくわかった。
5月14日(土)の午後、2か月に一度の水道メーターの検針員がわが家にやってきてインターホンを鳴らした。
和さんが出ると、「何か特別に水道を使いましたか? いま水道を使っていますか?」と訊いた。

「特別なことはありませでした。それにいま使ってはいませんが」と和さんが答えると、
「どこか漏水しているかも知れません、前回より倍以上になっているのですが。」と検針員、

和さんが検針員と一緒にメーターを見ると、水道を使っていないのにメーターが動いている。

「水道やさんに見てもらって方がいいですね。水道課には漏水と報告しておきます。」と言い帰っていった。

早速、わが家の上・下水道の管理をまかせている会社に和さんが電話したが、
「土曜日で会社は休みなので人がいません、なるべく早く伺います。」という返事である。

「何かトラブルがあるときはいつも週末か連休だね、ついていない!」と和さん。
結局、担当の人が来てくれたのは、電話した日の翌日の5月15日(日)の昼過ぎだった。

それでも、さすがにプロである。
漏水場所を見つけるのにそれほど時間がかからなかった。
来てくれた担当の人がその場所を掘り起こしてみると、水道管の所が壊れて水漏れしていた。
それは、古い家のトイレに通じている水道管だったが、
大地震で壊れてずれていたので、そこから水が一部漏れていたようだ。
全部漏れたのではなく、まだ一部はつながっていたので
家では漏水がわからなかったらしい。
大地震であちこちの水道管が壊れ漏水していたのに、
家では、漏水後も水が出ていたので漏水が発見できなかったとは?
不運だったと言うより他にないだろう。
水道管の壊れた所を切断して新しい部品でつないでくれたので
漏水は止まった。
工事費は約1万4000円ほどかかったが、漏水がわかってから早期に解決できて良かったと思う。

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○ 東日本巨大地震 

2011年3月11日の午後に東日本巨大地震があった。
その日、金さんの訪問リハビリが終わってから和さんと一緒に買い物に出かけていたのだが、
帰りに東北自動車道の加須IC近くに差し掛かったとき 運転している和さんが言った。
「地震かな ハンドルが取られるよ!」
まわりをると見ると自動車は普通に走っているし信号も点いている。
しばらくすると、道路沿いの電柱が揺れて電線が大きく波打っている。
その揺れが次第に大きくなった。
「これは大きいよ!」と金さん。
北大桑(きたおおくわ)の信号で国道125号から県道に曲がると自動車が少なくなりホッとした。

「あれ、あの家 屋根の瓦が落ちているよ!」と和さん
見ると田んぼの向こうの二階建ての屋根のグシの所がずれ落ちている。
まだ揺れているので、ゆっくり5分ほど走り家に帰った。
道路から家の敷地への入り口の所がひび割れて亀裂が見える。
車が通れたのでそのまま敷地へ入った。
隣家の屋根の瓦もずれ落ちていたが、わが家の瓦は大丈夫のようだ。
軽い瓦だったのが幸いしたようだ。
ところが、まだ揺れているので なかなか車を降りて車椅子に座れない。
和さんの助けを借りてようやく車椅子に移ると、旧宅の玄関の前の所が変である。
コンクリートが盛り上がっていて車椅子が通れないのだ。
仕方がないので横の砂利の部分に迂回して車椅子の散歩道に出る。
そこから畑の横を通りコンクリートのスロープを上って新宅の玄関の前に出た。
幸いスロープも無事であった。
和さんが、急いで家の中に入って様子を見た。
棚からフォトスタンドや本が何冊か落ちていたが壁は無事である。
食器棚の食器も無事だった。
どうやら大きな実害は無さそうである。

テレビのスイッチを入れると、東北の太平洋沿岸で大きな地震があったと報じている。
津波と余震に注意するようにと 繰り返し報じている。
その後、岩手県沖と茨城県沖を震源とする大きな余震が続けてあった。
金さんは車椅子に乗ったままリビングの大きな机に捕まっていた。

和さんが家の回りを見て回ると何カ所かで液状化現象が見られると写真を撮ってきてくれた。
地震は恐い。金さんは車椅子の生活になってから特に怖くなったように思う。
この日、一晩中余震があったので金さんは恐怖と不安で まんじりともしない夜を過ごした。

また、この日からテレビで地震と津波の映像が繰り返し写されるので不安が益々増幅された。
テレビを点けるだけで揺れている感じになり、
しばらくの間ニュースの時だけテレビを見るようにした。


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 「じじ大丈夫かなあ 心配だ〜!」

お正月の夜、わが家のリビングは久しぶりににぎやかだった。
和さんと次女は子育てなどの話しで盛り上がっていたし、
孫の魁人(かいと)は大好きな自動車の本を繰り返し見て遊んでいた。
金さんは一人、テレビWOWOWで山田洋次監督の映画「おとうと」を見ていた。
そのうちに、魁人がトコトコと和さんと次女に近づいていきなりつぶやいた。
「じじ大丈夫かなあ 心配だ〜!」
和さんと次女は、魁人の突然のつぶやきに
「エエー 何!」と、顔を見合わせて大笑いした。

二歳の魁人がなぜ、そんなつぶやきをしたのかはわからない。
「テレビで「おとうと」を見ていた金さんが涙ぐんでいたんじゃないの」と
和さんは推測している。
しかし、魁人が何を察してそう言ったのかは定かではない。
大人三人は、ただ笑いでごまかすしかなかった。

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○  孫に遊んでもらう

 お正月に長女夫婦と同じ日に、次女が二歳になる孫の魁人(かいと)を連れて遊びに来た。
 魁人は誰にでも人なつこく人見知りしない。ゼロ歳から保育園に行っているからだろうか?
 魁人のしゃべる言葉が急に増えていたので驚いた。
 金さんの車椅子を見て「ジイジのぶーぶカッコいいねえ!」と言う。
 金さんが、「ジイジのぶーぶに乗って散歩するか?」と聞くと、
 「うん 乗る乗る!」と、バリアフリーの家の中を何回か回った。
 そのうちに家の中では飽き足らなくなったのか表に出たがる。
 昨年も何度か車椅子で表に出ているので表の味を思い出したのかも知れない。
 玄関で、次女に車椅子に乗った金さんの膝の上に乗せてもらって表に出る。
 ゆるいスロープをゆっくりゆっくり下りて行く。
 スロープから次は車椅子の散歩道を通り犬のジョンの小屋に遊びに行く。
こちらもスローにゆっくりゆっくりの散歩であるが、和さんと次女が心配そうに付いてくる。
約20分ほど魁人と表で遊んで家の中に入った。
ことのほか面白かったらしく魁人はご機嫌である。だが、じいじは少々疲れたなあ!


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