車椅子の視線から「随想」
◇ 日本の子供は、苦労が嫌い ! 2002.11.28 (木) ◇ 文化の危機 ! 2002.11.22 ◇ コスモス三昧 2002.11. 5 ◇ わが家にブロードバンドがやってきた! 2002.11. 2 ◇ 収穫の多かった信州旅行! 2002.10.28 ◇ 田舎暮らしは脳にいい! 2002.10.21 ◇ 嬉しい手紙 2002.10.16 ◇ 浅草オフ会に参加して 2002.10.11 ◇ 何でも電動(自動)は考えもの? 2002.9.29 ◇ ブロードバンドへの期待! 2002.9.16 ◇ 嬉しいこと 2002.8.12 ◇ 形見の酸塊(すぐり) 2002.7.7 |
◇ 日本の子供は、苦労が嫌い ! 2002.11.28 (木)
九州の福岡市で行われた大相撲九州場所で、モンゴル出身の朝青龍(あさしょうりゅう:大関)が優勝した。
モンゴル出身の力士としては史上初の優勝である。
過去に米国出身(ハワイ)の、高見山、小錦、曙、武蔵丸が優勝しているので、外国出身力士としては5人目になるという。
優勝を決めた九州場所の13日目、記者のインタビューに「頑張れば良いこともあると思いました」と淡々と応えていた
朝青龍にさわやかさを感じた。
朝青龍は1997年に高知県の明徳義塾高校に留学、相撲部に所属し、翌年の98年夏の全国高校総体で個人3位となり、
同年11月に角界入りしたという。
朝青龍は身長184cm、体重136kgと力士の中では決して大型力士ではない。どちらかというと小兵の力士である。
それが、素早い動きで相手を圧倒し、14勝1敗の好成績で初優勝したのは立派である。
インターネットで、大相撲の記録を眺めていて驚いた。
現在、大相撲の力士は692人、そのうち外国出身は31人で、うちモンゴル出身は29人もいるそうである。
これは「相撲どころ」と呼ばれる青森県などと肩を並べるらしい。
そういえば、北海道出身の力士が減っているという記事を読んだのは、ずいぶん前のことである。
日本の少子化傾向が一段と進んで、少年の将来なりたい人の「夢」も大きく変わっている。
何よりも、「若いときに苦労しても、将来夢を果たしたい」というような少年が少なくなったという。
日本の子供は、苦労が嫌いになったのであろうか?それとも、苦労すれば報われるような社会ではなくなったのだろうか?
いずれにしても、それは子供たちよりも、親たちに責任があるように思われる。
近年の相撲人気のかげりは、そんなところにも遠因があるのかも知れない。
大相撲に日本人の新弟子が減り続ける中で、外国人(特にモンゴル出身)力士は急増している。
この傾向が、国技としての大相撲の将来にどう影響するのか、はなはだ興味深い。
家では現在、日経新聞と読売新聞しか取っていない。他の新聞は、時々インターネットで読むだけである。
今日の朝日新聞の「天声人語」をインターネットで読んで驚いた。
米国の若者は、日本の位置を42%しか知らないという。それどころか、太平洋の位置を知らない若者も29%いたという。
もっとも、太平洋の位置を知らない若者は日本でも16%いたというから驚く。
米国だけでなく日本も、本当に「文化の危機」である。
何故そうなったかは知らない。
ただ、日本の最近の若者の傾向には、確かにそんなことが感じられる。
「本は面倒だから読まない」「新聞はテレビの番組欄だけ見る」
「テレビでニュースや文化・教養の番組は見ない」「携帯電話はよく使う」
などなど。
次代を担う若者に、こういう傾向が見える。
勿論、これは一部の傾向かもしれない。
だがこれで、考える力は育つのだろうか。
将来、主体性を持って自分の考えを言えるようになるだろうか。
と心配になる。
「・・・・・ ブッシュ大統領が双眼鏡をのぞいている写真がインターネットで出回っている。
その双眼鏡はふたをしたままだ。からかいの種にされているが、実際、大統領に世界が
見えているのかどうか心配になる。 」
という「天声人語」の結びの言葉が、何故かむなしく響いてきた。
11月2日、3日、4日の三連休は家の近くでのんびり過ごしました。
2日に妻と二人鷲宮町のコスモスふれあいロードに行ってきました。
鷲宮町の “コスモスロード”
3日の日曜日には、東京から次女夫婦が午後3時過ぎにやってきて、
家で一緒に夕食を食べました。
夕食のあとおしゃべりして9時頃に帰っていきました。
日帰りの方が、新婚さんも金さん夫婦にも疲れが残らなくていいのです。
4日の振り替え休日には、妻と利根川河畔のカスリーン公園にコスモスを見に行きました。
コスモスももうそろそろ終わりなのでしょうか?
春にポピーの花が満開で感激した花園にコスモスの花が少なくてさびしいのです。
コスモスを見ている家族も4人連れの一家族だけでした。
妻と気を取り直して、利根川の数キロ上流で毎年やっている加須市のコスモスまつりに
回ってみました。
さすがに歴史があるコスモスまつりは違いました。
車で河川敷が見える所まで行くと、河川敷がコスモスでいっぱいです。
まるでコスモスのジュータンを引いたように見えました。
車を近くに止めて車椅子に乗り換えてコスモスの花園を回ってきました。
歩道が舗装されているので車椅子でも楽でした。
帰りに、車で数分の園芸店と喫茶店をやっている店に寄り、
手作りのケーキとお茶を楽しんできました。
◇ わが家にブロードバンドがやってきた! 2002.11. 2 (土)
10月初め、ようやくわが家にもブロードバンド(Broadband)が開通した。
NTTのADSLの8Mである。「1.5MのADSLが利用できるようになります」という案内をNTT東日本埼玉支店から貰って
申し込みが済んでから「8Mにしようよ!」と提案したのは息子だった。
「NTTまでの距離(直線距離でなく実際に配線される経路の長さ)が長いほど通信速度が落ちるらしい。」と本で読んでいたので、
少しためらいがあったのだが、NTTに相談して思い切って8Mに変更してもらった。
結果的には、1.5Mでなく8Mにしたのは正解だったように思う。
8Mのスピードがまるまるでるわけではないのだがとにかく早い。スピードのの実感が従来とまるで違う。
ソフトのダウンロードやホームページの更新の時など、ストレスをほとんど感じない。
良い点をいくつか上げてみると
@ ファイルの転送が早いので、ホームページの更新がスムーズにできる。
A 画像の多いホームページが、ほぼ瞬時に見られる。
B 電話がかかってきても気にならない。
C 常時接続なので、急な来客とかトイレに行きたいときなどに、今までのようにいちいち切断しなくて良いのでらく。
D ADSLの料金もそれほど高くない。
などである。
ブロードバンドを快適にするために、今年の夏にデスクトップ型のパソコンをインターネットの通販で購入した。
ウィンドウズXP(ホームエディション)のインストールされているパソコンである。
CPUはPentium4、メインメモリを512MBにしたので快適である。
ウィンドウズXP(Windows XP)は、ウィンドウズNTやウィンドウズ2000から進化したパソコンなのでパソコンが
突然止まるといったことがおきにくい。
ウィンドウズXPを開発したマイクロソフト社が「ウィンドウズXPは、ブロードバンド時代のウィンドウズ」といっているように、
高速な通信回線でインターネットに接続して使うことが想定されているようだ。
これからは、ウィンドウズXP(Windows XP)を使いこなして、インターネットはADSL(ブロードバンド)で楽しむ。
これが、憂鬱な日本経済の中で、少しでも先行きに光明をみつけるための金さん流のインターネットライフである。
9月24日から9月26日の信州旅行は収穫の多い旅行でした。
晴れていたので久しぶりに浅間山もよく見えました。
故郷の信州新町では、なつかしい人にも会ってきました。
実家の菩提寺でいただいた貴重な本で、故郷の歴史もいろいろわかりました。
10月20日(日曜日)の日本経済新聞のサイエンス欄に「虫の声が脳を活性化・・・虫の声や小川のせせらぎなどの自然の音には
脳を活性化する働きがある。・・・」という興味深い記事が載っていた。
記事には「脳幹や視床の周辺は本能や情動といった脳の基本機能を担う。そこから抽象思考や創造など知的な作業を担う前頭葉
に向けて「A10」と呼ばれる神経が伸びている。脳の深い部分が活性化すると、この神経を介して前頭葉が刺激され目標に取り組む
意欲や成し遂げたときの感動が生まれると考えられている。・・・」
千葉工業大学の大橋力教授は「人類が森の中で進化したことを考えると虫の声や鳥の声が脳の深い部分を刺激するのは不思議
ではない」と話しているとも載っていた。
金さんが住んでいる埼玉県大利根町は「童謡のふる里」と呼ばれているように、虫や鳥の声が豊かである。
町の北部を利根川が流れていて埼玉県でも有数の穀倉地帯でもある。
昨年自由人になったので、東京のマンション暮らしにおさらばしてここに戻ってきたが、田や畑ががたくさん残っていて屋敷林もある
田園地帯のこの町は、一年中虫の声や鳥の声が絶えることがない。
二度の脳出血の後遺症で車椅子生活をしている金さんには、脳を活性化しインターネットライフをするには絶好の所のようである。
中学時代の同級生(女性)のAさんから手紙をもらった。
絵手紙のコピーが同封されている。
絵手紙には、蝉の絵とこんなことが書かれていた。
貴重なご本お送り下さり、ありがとうございました。『脳出血から二度生還して』は、
手にしてすぐ一気に読まされてしまいました。同世代ということもあり、自然と自分の
過去と照らし合わせるように読み進んでしまいました。違うところは金子さんの何事
も前向きで、勇気のある生き方です。とにかく“感動”しました。
良い人のまわりには、良い家族・仲間がついてくる、運が開けると思いました。
感想は たくさんあってここには書ききれません。
取り急ぎ感動したことをお伝えします。回し読みした後お返事させて下さい。
金さんの本『脳出血から二度生還して』を読んで同級生のAさんが感動し、何冊か購入してお友達何人かに
送ってあげたのだという。
その本をお友達が読んで、やはり感動してくれて、いま回し読みしている最中だという。
Aさんの手紙に、「同封の葉書には「良い人のまわりには、良い家族・仲間がついてくる、運が開ける
と思いました。」とありますが、私もそう思い、一つの哲学的な良い言葉だと思いました。」とあった。
同級生が金さんの本を読んで感動して友人にも勧めてくれる、ありがたいことだと思う。
テレビでは、北朝鮮による日本人拉致事件の被害者のうち5人が、24年ぶりの一時帰国を果たしたことが
報じられている。そして故郷に帰る被害者を迎えるために、被害者の故郷である新潟県と福井県では、
同窓生たちが歓迎準備を進めているという。
ここにも、嬉しい同級生がいる!!
金さんのインターネットライフの楽しみの一つにオフ会への参加があります。
※ オフ会(オフライン・ミーティング)
インターネットやパソコン通信で知り合った人たちが、実際に集まる会合。
オンラインでの付き合いに対して、オフライン・ミーティングという。
オフ会は、オフライン・ミーティングの略。
10月6日の土曜日、東京浅草の松屋・バンケットルームで開かれた浅草オフ会に夫婦で参加させてもらいました。
というのは、この浅草オフ会に、金さんがインターネットで交流している仲間で、まだ会ったことのない人が大勢参加する
ことになっていたからです。
金さんは、昔パソコン通信をやっていました。
パソコン通信仲間と、オフ会で集まり、花見をしたり、旅行も楽しんでいました。
浅草オフ会を開催するというメールをもらって、まだお会いしていない仲間に、是非会いたいと思いました。
浅草オフ会は、『金さんのホームページ学院』の卒業生である大阪のクロちゃんが、奥さんと東京へ一泊旅行を
するのが端緒になったようです。
クロちゃんは、大阪に住んでいて、ギランバレー症候群という病気を患って車椅子生活をしています。
車椅子生活をしていると、どうしても家に引きこもりがちになるので、何年か前に、『金さんのホームページ学院』で
クロちゃんがホームページを作るお手伝いをしました。
今では、「ギラン・バレー症候群を患って 」というホームページを持ち、
てるみさんのホームページ「照美の個展」の「トンチン句会」などで活躍しています。
ただ、ギランバレー症候群を患ってから、今回が始めての一泊旅行のようです。
クロちゃんが東京に来るというので、「トンチン句会」のてるみさんと博苦さんが、春から浅草オフ会の準備をしてくれました。
クロちゃん、てるみさん、博苦さんは、金さんのネットの友人なので、
博苦さんから金さんにも、メールで浅草オフ会の招待状が届いていました。
浅草オフ会では、嬉しいことがたくさんありました。
ひとつは、いままでお会いしていなかったネットの友人とお会いできたことです。
ひとつは、車椅子で参加した人が金さんを入れて4人いたことです。
ひとつは、ネットの友人がまた増えたことです。
「いままでお会いしていなかったネットの友人とお会いできたこと」 というのは、
クロちゃん夫妻、hissyさん、ゆうこさん夫妻、さだぼんさん夫妻に会えたことです。
親しく交流していながらお会いするのが初めてでした。
「車椅子で参加した人が金さんを入れて4人いたこと」 というのは、
クロちゃん、ゆうこさん、満理子さん、金さんの4人が車椅子での参加でした。
事前に松屋のバンケットルームを予約しておいてくれたので、
松屋のサービス嬢が業務員用エレベーターで7階のバンケットルームまで案内してくれました。
「ネットの友人がまた増えた」 というのは、
オフ会で古苑さん、fgfさんと友人になったことです。
お二人はトンチン句会のメンバーですが、
時々しか参加しない金さんは、この日からネットの友人になりました、
参加者15名中、障害のある人が金さんを入れて5名でした。
そのうち、車椅子で参加した人が4人でした。
もう一人は脳出血の後遺症で片麻痺があるHackさんです。
Hackさんは『金さんのホームページ学院』の最初の卒業生で
『金さんのホームページ学院』の名付け親でもあります。
車椅子4人の内訳は、女性2人、男性2人で、
浅草オフ会まで介護してきたのは、それぞれの配偶者でした。
なぜ4人が車椅子生活になったか?原因別に見ると、
脳出血が女性男性各一人ずつ、
ギランバレー症候群が男性一人、
筋ジストロフィーが女性一人でした。
(写真は博苦さんが撮りました。)
障害のある人4人は、全員金さんのインターネットの友人でした。
金さんのホームページ『車椅子の視線から』を通じて、4人ともインターネットの交流が始まったのです。
Hackさん、クロちゃん、さだぼんさん、ゆうこさんと、障害のある人やそのご家族の方のために
金さんのホームページが役に立って本当に良かったと思いました。
てるみさんと博苦さんが、クロちゃんの歓迎記念に浅草オフ会を計画してくれたことに心底感謝しています。
障害のある人もオフ会にでたいのですが、自分たちだけではオフ会をなかなかやれません。
会場探し、駐車場探し、会の進行、料理などの手配など、どうしても障害のない人に
ボランティアで手伝ってもらうことになります。
浅草オフ会は、てるみさんと博苦さんが計画したオフ会に金さんも参加させてもらいました。
オフ会では、fgf さん、hissyさん、Hackさん、hissyさん、古苑さんにも、お世話になりありがとうございました。
fgfさんが用意してくれた、クロちゃんとhissyさんの還暦記念、hinaさん介護福祉士の合格祝い、
金さんの出版記念、のランプありがとうございました。
ランプの作者の小薗國雄(こぞのくにお)さんのホームページ
「陶芸クラブ・すえの森工房みたせ窯」にも、お礼に行ってきました。
筋ジストロフィーのゆうこさんは、何年か前に金さんのホームページを見て、金さんにメールをくれました。
それから交流が始まり、今では、自分のホームページ「日日是好日」を持って活躍しています。
ゆうこさんのホームページの「リンク」のページに、金さんのホームページ『車椅子の視線から』について
「私のネットへの一歩は、このページから・ページ内の言葉に 疲れた気持ちが、癒されます。」
と紹介されています。
奥さんの満理子さんの介護をしているさだぼんさんは、「満理子の車椅子」 というホームページを開設しています。
クロちゃん、ゆうこさんたちに会えるというので、さだぼんさんが満理子さんと電車で浅草に来ていました。
「満理子の車椅子」には、「クロちゃん歓迎浅草オフ会」の様子が詳しく載っています。
hissyさんは、クロちゃんの高校の同級生ですが、写真が趣味で自分のホームページ「hissyweb」と
クロちゃんのホームページ 「ギラン・バレー症候群を患って」に作品が紹介されています。
浅草オフ会の後、湘南の写真サイトの仲間とのオフ会、
その後、鎌倉のお寺を廻り写真を撮ってから名古屋に近い家に帰ったそうです。
hinaさん、古苑さん遠くからご苦労様でした。
そうそう、忘れるところでした。
トンチン句会の世話人の一人であるだるまさんが、電話で石川県の自宅から参加しました。
皆さんからパワーを分けて貰って、全員楽しい思い出に残るオフ会でした。
皆さんありがとうございました。
また、機会があったらどこかでお会いしたいですね!!
クロちゃんのホームページ : ギラン・バレー症候群を患って
てるみさんのホームページ : 照美の個展
博苦さんのホームページ : hack private room
ゆうこさんのホームページ : 日日是好日
さだぼんさんのホームページ: 満理子の車椅子
Hackさんのホームページ : JLIEEE Hack’s HP
hissyさんのホームページ : hissyweb
fgf さんのホームページ : 稲毛ヨットクラブ ・ sobu こんにちは club
hinaさんのホームページ : ♪ボランティアパールの会♪
古苑さんのホームページ : 古苑の部屋にようこそ
だるまさんのホームページ : 障害と向きあう☆大路久志の館☆
金さんのホームページ : 車椅子の視線から
◇ 何でも電動(自動)は考えもの? 2002.9.29(日)
今度の信州ドライブ旅行で考えさせられることがありました。
初日の9月24日にウェルシティ長野(長野厚生年金会館)に泊まったのですが、室内の電動のドアには参りました。
バリアフリーの部屋にある、洗面所とバスルームへのドアが人を感知すると空き、入ると自動的に閉まる電動ドアだったのです。
「障害者には自動が便利に違いない」と、電動(自動)のドアにしたのでしょうが、発想は良くても実際使ってみると不便でした。
ここが、長野市内にある都市型のホテルの造りなので、
洗面所に車椅子で入ると、狭すぎて車椅子が置いてあるとドアが閉まらないのです。
ドアが閉まらないので、自動的に閉まりかけたドアは、車椅子にぶつかるとそれを感知してまた自動的に開いてしまいます。
これを何回も繰り返すので、とうとう妻が、ドアを開け放しにして、寝間着のヒモで結んで動かないようにしてくれました。
ここの夕食の洋食は、コースの料理で美味しくてお勧めだっただけに、ドアの電動は残念でなりません。
この秋、遅まきながら金さんの住む町でもブロードバンド(Broadband)が利用できるようになる。
ブロードバンドでインターネットに接続すると、ホームページで映像を見たり、ソフトをダウンロードしたりするのが、
今までより格段に時間が短縮される。そうすれば、今までの遅さにイライラするストレスも少しは減るだろうと思う。
ブロードバンドといっても、この町で利用できるのようになるのはADSL(Asymmetric Digital Subscriber Lineの略 )である。
ADSLの利用にはプロバイダに頼む方法とNTTに頼む方法があるが、金さんはNTTに頼む方を選んだ。
ADSLを使うと、最大で、自分のパソコンからプロバイダー(電話会社)へは従来のモデムの10倍くらい、
プロバイダー(電話会社)から自分のパソコンへは100倍くらいの速度で通信できるという。
ただし、これはあくまで理論的な値で、実際にはこの速度がでることはないようである。
NTTまでの距離(直線距離でなく実際に配線される経路の長さ)が長いほど通信速度が落ちるらしい。
金さんは以前からADSLに関心を持っていたが、住まいが田舎のためか?
NTTのブロードバンドの情報通信インフラの整備が遅れて今まで利用できなかったのである。
それが、時代の波がブロードバンド等の情報通信インフラの整備が急速に進展する方向に進んだのが大きい。
そのためにNTTの姿勢が転換したのだろう、今まのでISDNからADSLに重点が変わってきた。
うまく行けば、そう遠くない将来に、FTTH(ファイバー・ツー・ザ・ホーム(Fiber to the home)の略)が
日本全国に普及することも予想される。
金さんが、ADSLを利用することにしたのは、この夏NTT東日本埼玉支店の「埼玉ITソリューションセンタ」の
TさんからADSLの案内が届いたのが決めてであった。タイミングが良かったのである。
「1.5MのADSLが利用できるようになります」という内容であった。
それを見て「待ちに待ったブロードバンドがようやくやってくる!」と思ったのである。
案内には、Tさんのメールアドレスも書いてあったので、早速メールで質問すると、親切な回答が帰ってきた。
それからメールでの金さんの質問に、何回も親切に相談にのってくれた。
NTT東日本のホームページをみて、この町が1.5Mと8Mをどちらも利用できることを確認し
息子とも相談して「1.5Mでなく8Mを利用できないか?」とメールで質問してみた。
Tさんの回答は、
「ADSLは距離と損失に大きく作用されます。損失が25sdB未満であればまず問題ありませんが、
金子様は44dBで距離は短いのですが線路損失が高いのです。
8Mは1.5Mよりも広い帯域を使用するため、損失が高いと、通信ができない、電話にノイズがはいるといったことがあります。
逆に1.5Mのほうが速度がでる場合もあります。安全なのは1.5Mと思いますが、
どうしてもというご希望があれば変更いたします。」
という内容であった。
「どうしてもというご希望があれば変更いたします。」ということは「、通信ができない、ことはまずないだろう!」
と希望的に考え、電話にノイズがはいるのも「やってみなければわからない」と考えて、1.5Mでは、
いままでの2,3倍の速度でしかないのだから、ここは一つ賭けてみようと思った。
少し不安はあったが、やってみてもし駄目だったら8Mを1.5Mにすることにして、8Mを申し込んだ。
メールだけでは家屋内の事情がはっきりしないからと、9月12日に今度はSE担当が金さんの家に調査に来てくれた。
そして調査の翌日、屋内LANと配線工事の見積もりがファックスで送られてきた。
個人でも工事をやれる人もいるが、金さんの場合NTTにお願いすることにした。
なお、インターネット接続機器のモデムとかルータはNTTの機器を購入することにした。
このあと、10月はじめに屋内LANと配線工事が済めばADSLが利用できるようになる。
「ブロードバンド」でインターネットライフがどう変わるか、今から楽しみである。
先週、嬉しいことが二つありました。
一つは出版社の文芸社からで、「新刊全点案内」に『脳出血から二度生還して』が掲載されたという報せです。
「新刊全点案内」というのは、TRC(図書館流通センター)発行の、全国の図書館向けの新刊案内雑誌です。
掲載紙が同封されていたので見てみました。
『脳出血から二度生還して』が、「新刊全点案内」の2002年7月30日号(1284)にカラージャケットで紹介されていました。
カラージャケットでの紹介は、TRCに登録される全ての新刊の中から『良書』として選定されるものだそうです。
また、「ストックブックス」というコーナーに掲載されたので、TRCより出版社に一括注文が入り、
TRCが全国の図書館からの注文に対応してくれるそうです。
金さんが初めて書いた著書が、全国の図書館に置かれて、
大勢の人に読んでもらえる希望がでてきたのは、著者として嬉しい限りです。
二つ目は、金さんが昨年まで勤めていた都庁の友人からで、
9月上旬に有志で出版記念会を開いてくれるという報せです。
金さんは、東京都で管理職になってから二度も脳出血で倒れ、二度とも後任者に十分な引き継ぎができなかったという、
不名誉な履歴の持ち主です。
与えられたポストで、十分働けなかったのですから、本来なら責められても仕方のないところです。
それなのに、先輩や同僚の皆さんが、出版記念会を開いてくれるというのです。
金さんは感動しました。
病気で休職しているとき、金さんの復職に骨折っていただいた先輩や同僚の皆さんに、金さんは心底感謝しています。
その感謝の気持ちを都民に還元したいと思い、在職中はそのことを念頭に置いて仕事に取り組んできました。
また、自由人になってからは、都民に限らず、国内や海外の脳血管障害の人やその家族のために
ささやかなボランティア活動をすることでお返ししたいと思い、ホームページやメールでの交流をしています。
そして今年は、初めての著書『脳出血から二度生還して』を出版しました。
インターネットを利用する人も、まだ利用していない人も、ホームページや本を読んで、
金さんと家族の生きざまから、何か感じてもらえると嬉しいです。
金さんは四肢マヒで車椅子生活ですから、やれることには自ずから限りがあります。
それでも、自分にできる範囲でこれからもボランティア活動をして行こうと思います。
都庁の友人が出版記念会をやってくれるのは、そういう金さんを後押しして
元気づけようという意図がかくされているものと思います。
しばらくお会いしていない皆さんと、歓談できるのが今から楽しみです。
わが家の庭に、酸塊(すぐり)の木があります。
酸塊は、高さが1〜2メ-トルで落葉の低木ですが、この酸塊にはバラのようなトゲがあるので、
少年の頃、信州の故郷の家では、バラ酸塊(すぐり)と読んでいました。
故郷の家は、土地が狭かったので、庭の樹木も少なかったのですが、酸塊(すぐり)の他に、
なつめ、ハタンキョ、小柿(こがき)、こりんごの木がありました。
どれも、食べられる果実がなるものばかりです。
戦後の食糧不足の時代だったので、家で採れる果物は貴重でした。
春の終わり頃になると、酸塊(すぐり)の木に、
薄い緑色をした球形の果実が、葉の陰にたくさんなりました。
緑色の果実は、そのまま食べると酸っぱいので、熟してから食べるのですが、
少年は、黒ずんで紫色に熟すのが待てなかったのでしょう!
例年、梅雨に入って甘酸っぱく熟す頃には、いく粒も残っていませんでした。
故郷の家は、父母が亡くなってから誰も住む人がいなくなり、ずっと鍵をかけて無人になっていました。
十数年前にその家が傷んだので取り壊したときに、千葉県に住んでいる兄が、
庭にあったバラ酸塊(すぐり)の木を自宅に持ち帰りました。
それを一株、金さんも分けてもらったのです。
金さんの家のバラ酸塊(すぐり)も、その後だいぶ増えて、果実もたくさんなるようになりました。
ただ、トゲがあって草取りに不便なので、金さんが倒れてから妻が掘り上げて、そのうち少しだけ鉢に植え替えていました。
それを、金さんが車椅子生活になり、昨年から終日家にいるようになったので、また庭に戻してくれました。
きっと「これは珍しくて大事な草木だから」と、妻に話しておいたのを、覚えていたのでしょう。
庭のウッドデッキからバラ酸塊(すぐり)の木が見えますが、甘酸っぱく熟した果実は、もうあまり残っていません。
ウッドデッキで妻とお茶を飲むたびに、お茶請けになったのです。
故郷の実家の庭には、バラ酸塊(すぐり)と一緒に房酸塊(ふさすぐり)もありました。
房酸塊(ふさすぐり)も落葉の低い木ですが、バラ酸塊(すぐり)と違いトゲはありません。
房酸塊(ふさすぐり)の球形の果実は、緑色から熟して赤くなると、おいしく食べられます。
フサスグリ(房酸塊)は、信州や東北の山地に数種が自生するといわれています。
金さんも、信州の “鹿教湯(かけゆ)温泉”に旅行したとき(1999年6月)に、
温泉街の家の庭先で 栽培されているフサスグリ(房酸塊)を見つけ懐かしかったのを記憶しています。
でも、バラ酸塊(すぐり)は、他で見たことがありません。
故郷の実家の庭に、バラ酸塊(すぐり)と一緒に房酸塊(ふさすぐり)を植えたのは、
何故なのか? 父母が亡くなっている今となっては、聞くすべもありませんが、
せめて、家のバラ酸塊(すぐり)は、形見のつもりで大切に残していきたいと思います。
そして、いつの日か、信州の房酸塊(ふさすぐり)の木を手に入れて、
庭に植えたいと考えています。
ウッドデッキに出て、わが家のバラ酸塊を見ていると、
少年の頃、過ごした故郷の家や父母のことを思い出します。
秋のお彼岸の頃にでも、父母の墓参りに行ってこようと考えているこの頃です。
※ 大型連休に故郷の墓参りに行ってきた甥が、実家の跡地を写真にとって送ってくれました。
庭の酸塊のあった場所は、雑草だけがあって、近所の親しい家の駐車場に使われていました。