創作と読書の部屋


目 次


◇ “時間” 
◇ 街へ出よう! 
◇ 「現在」というのは空想か? 
◇ 
猫二匹
◇ こんな日本人に誰がした!!
◇ 相手の立場になって考えていますか?
◇ 忘れる
◇ がんばるばかりが人生じゃないよ
◇ 「良寛」を読む
◇ 昔読んだ本



 

 





 ◇ “時間” 

 

“時間”というのは実に不思議だ

一日が24時間、1年が365日、そして4年に1度閏年がある

いつ誰が決めたのだろう?

一年経つと誰もが一つ年が増える

忙しく働く人も、寝ている人もみんな同じだ

この“時間”という観念は、 人間が考え出したものだろうが

人間が生まれる前から“時間”は間違いなくあったに違いない

目に見えない“時間”というものが流れ、

動物も植物も命あるものはその流れの中で年をとりやがて死んでいく。

しかし、またその頃には違う命が誕生している。

 

 ※ 1999年 1月 3日にこんな事を考えていた 

目次に戻る


 

街へ出よう! 

 

障害のあるあなたへ! 

人間の社会には 障害のある人がいるのが当たり前なんです 

車椅子でも 杖をついてでも 少しも気にすることはありません 

ごく自然にどんどん街へ出かけましょう! 

そうすれば やがて 誰もがそれを当たり前の社会と思うようになるでしょう 

それが 自然な社会「ノーマライゼーション(普通の生活)」なのです

 

日本は遅れています 

「障害者を特別視しないで一般社会の中で普通の生活が送れるような条件を

 整える
べきであり 共に生きる社会こそノーマルな社会である」

というノーマライゼーションの考えは 待っているだけでは決して実現しません

 

北欧から世界へ広まった障害者福祉の理念を 日本でも実現するために

わたしたち障害のある人が 積極的に街へ出るようにしましょう

そうすれば 障害のない人も障害のある人に気づき 

共に共存している社会こそがノーマル(普通、正常)であることを理解するでしょう

 

さあ あなたも今日から外へ出かけましょう!

目次に戻る


 

「現在」というのは空想か?

  ・・・時間について

 

「過去、現在、未来」という考え方(分け方)は正しいのだろうか?

時間の経過とともに「現在」はすべて「過去」になり、

「未来」もどんどん「過去」になっていく。

その「過去」と「未来」の境界をただ「現在」と

理論上呼んでいるに過ぎないのではないのだろうか?

もし仮に「現在」が在るとしても、時間はいつも動いていて経過しない時間はないから、

それはすべて「過去」に変わっていってしまう。

もしかしたら「現在」というのは「未来」が「過去」に変わる瞬間(=0又は≒0)のことを

呼んでいるに過ぎないようにも思える。

「現在」などというのは、空想でしかないのだ。

 

では、「過去」はどんどん増えていくとして「未来」はいったいどうなるのだろう。

時間が無限でない限り「未来」はどんどん減っていきやがて無くなってしまうのだろうか?

 

目次に戻る


 

猫二匹

 

師走の日溜まりで猫が二匹ひなたぼっこをしている

白い猫に「し〜ろ!」と呼ぶと「にゃ〜ご」と答えた

黒い猫に「く〜ろ!」と呼ぶと「にゃ〜ご」と答えた

まるまると太って目を細めている

大きく背伸びをしてまた目を閉じてしまった

のどかな田舎の昼下がりである

冷たい不景気の風も猫には届かないようだ

目次に戻る


 

こんな日本人に誰がした!!

 

 考えない人間ばかりにしたのは誰だろう

 学ばない人間ばかりにしたのは誰だろう

 人まねばかりする人間にしたのは誰だろう

 駄目にした張本人がどこかにいるはずだ

 親達だろうか

 教育だろうか

 政治だろうか

 マスコミだろうか

 科学だろうか

 宗教だろうか

 それとも

 ほかの何かだろうか

 そんなことには容赦なく

 毎日毎日新しい情報がシャワーのように降り注いでくる

 テレビから ラジオから 新聞から 雑誌から インターネットから

 そんな らちもない情報の渦の中から

 本当に役に立つ情報を選び出す術は いったい誰が教えてくれるのだろう

 どうしようもなくなって 情報の中で溺れている人がなんと多いことか

 自分自身を見失っているのだから それは当たり前のことだ

 だが それを責める資格がお前にあるのか

 そう問われたら 私は口をつぐむしかない

 私も同じなのだ

 どこへ行くあてもなく 私は今日もさまよっている 

目次に戻る


 

相手の立場になって考えていますか?

テレビ「シカゴホープ」の1シーンから(医師のせりふ)

「我々にとっては長い人生のうちの一日にすぎないかもしれない。
しかし、彼(患者)にとっては残りの人生のすべてなんです」

 

※ テレビから何気なく聞こえてくるセリフの中にも考えさせられる言葉がいっぱいあります。

目次に戻る


 

忘れる

 

 やりたいことをやらないで 我慢している

 言いたいことも言わないで 我慢している

 

 買いたい物を買わないで 我慢している

 行きたいのに行かないで 我慢している

 怒りたいのに怒らないで 我慢している

 

 何だかわからないけど 我慢している

 今日も一日我慢している

 

 我慢我慢 我慢我慢 我慢我慢 我慢我慢

 我慢我慢 我慢我慢 我慢我慢 我慢我慢

 

 とうとう 何を我慢しているのか 忘れてしまった

 忘れるって 長生きの秘訣かもしれないぞ

目次に戻る


 

がんばるばかりが人生じゃないよ

 

 がんばるばかりが人生じゃないよ

 時にはゆっくりやろうじゃないか

 

 人生わずか80年

 どんなにがんばったって

 どうせそれしか生きられないじゃないか

 

 ゆっくり楽しくやるのも人生

 ぎしぎし厳しくやるのも人生

 

 時にはのんびりやろうじゃないか

 それも結構面白いもんだよ

 

※ これを書きながら「自分はやっぱり頑張っているんだなあ」「この性格を変えれるかなあ?」と思いながら書きました。

目次に戻る


 

「良寛」を読む

 

「良寛」を読んでいたらこんな歌がでていた。

 

 “ 散る桜 残る桜も 散る桜 ”

 

 “ 形見とて何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉 ”

 

 “ うらをみせ おもてをみせて 散るもみじ ”

 

良寛の生きざまに似た味わいの深い歌である。
最後の歌は良寛の辞世の句とも伝えられているが、事実は誰かがよんだ歌を借句したのだという。

もっとも、そんなことは良寛にとってはどうでもいいことであろう。
裸で生まれきて裸で死んでいく最後の時に、自分の生きざまと自然の景色をただ重ね合わせるために誰かの歌を借用しただけのことであったと思われる。 

目次に戻る


 

昔読んだ本

昔どこかで読んだ本にこんな話が載っていた。

  ・・・小学校の先生が生徒に・・・

「これからはもっと自分に自信を持つように」

  ・・・生徒・・・

「はい 自信を持ちます」

「ところで 先生! 自信て何ですか?」

目次に戻る